5 デンカー同士の対決だってよ
国からのお達しは、魔法学校にも届いていた。
ジーナの耳にその話が入ったのは、従業員の噂話からだった。彼らも朝からざわついて、その話題ばかりを口にしている。
「英雄の試練を行うなんて。とっくに廃れた制度だと思ったけど……まだ残っていたんだねえ」
――1週間後に英雄の試練を執り行う。
その話を聞いて、ジーナは驚愕していた。
(それって……)
歴史の授業で学んだことがある。確か前に開催された時は、人死にが出たと聞いている。
ジーナはそのことを思い出して、さっと顔を青くするのだった。
その後、ジーナは仕事が手につかなかった。
昼食休憩になると、急いで食堂を飛び出した。
「シスト様……っ」
通り道でシストの姿を見かけ、ジーナは声をかける。
「お話、聞きました。『英雄の試練』を行うと……」
「ああ。フィンセントの奴、先日の決闘がよほど口惜しかったのだろうな」
と、シストも苦い表情をしている。
その時だった。
「お前がそうやって調子に乗っていられるのも、今のうちだけだ」
割って入った声にジーナは硬直する。自分の顔から表情がすとんと抜け落ちるのがわかった。ジーナは感情のない瞳で、彼の姿をとらえる。
フィンセントの不遜な態度も口ぶりも変わらない。それどころか、以前よりも目付きが荒んだ様子があり、嫌な空気までまとうようになっていた。
「あの時の私は不調だったのだ。先日のような奇跡は、二度も起こらないと心得ておくがいい」
「お前もしつこいな……。俺は王座に興味はない。何もしなくても、あんたが王位を継ぐのは決定事項だっただろうが」
「それでは、私の気は済まない! お前のような無能者に敗北したとあっては……一生の恥だ」
「無能ではありません」
気が付いたらジーナはそう口に出していた。フィンセントの言葉にじんと怒りが湧き上がり、黙っていられなかった。
「シスト様を悪くおっしゃるのはやめてください」
「貴様は……。先日も、私に口答えをした雑用人か」
フィンセントは不快そうに顔をしかめる。もうジーナは彼と対峙しても、恐怖を感じなかった。フィンセントには何も心を動かされない。どうでもいい人と成り下がっていた。
今ジーナの心にあるのは、シストを侮辱されたことに対する怒りだけだ。ジーナが冷えきった眼差しで見返すと、フィンセントは険しい面持ちをする。
「何だ、その目は! 顔だけでなく、心まで可愛げのない女だな」
「…………は?」
それに低い声で応えたのはシストだった。
「目が腐っているのは、お前の方だろう。フィンセント。ジーナは可愛い」
不意打ちだったので、ジーナはぽっと顔を赤く染める。シストがフィンセントの方を向いているので気付かれないのが幸いだった。
(えっ……!!?)
と、冷えきった面持ちから一転して、ジーナはうろたえる。
(う、ううん……シスト様はこう見えてお優しい方だから……。私をフォローするために言ってくださっただけよね)
胸元をきゅっと握りしめて、何とか心を落ち着けるのだった。
フィンセントは馬鹿にしたように笑うと、
「はっ……。私はそんな小汚い女を娶りたいとは露ほどにも思わないが、お前には確かにお似合いなのだろうな」
彼は見下しきった目をシストに向ける。
「そして……お前を、その女の前で打ちのめしてやったら、さぞ気持ちがいいことだろう」
自分の勝ちをすでに確信しているのだろう。その声は高慢さに塗れていた。
「ところで」
昼食の席で。
そう切り出したのはクレリアだった。
「英雄の試練って何ですか?」
今日のメイン料理はビーフのトマト煮込みだ。それをとり分けながら、ヴィートが答える。
「王位を決めるため、この国に古来から決められている伝統的な方式だよ。まあ、言っちゃえば、公式な決闘だな」
「シスト様、フィンセント殿下とまた決闘するんですか!?」
「今度のは王命だからな。俺にも拒否権はない」
シストは憮然として告げる。
ジーナは目を伏せて、言葉を足した。
「100年前に行われた試練では、王弟殿下が亡くなられたので、それ以降、廃れた制度であるとお聞きしています」
「え……そんなに激しいものなの!?」
それは前回の魔法決闘よりも、熾烈なものだった。魔法決闘は、言わば学生同士のお遊びのようなものだ。審判が危険と判断した場合、即座に止めに入ることとなっている。
しかし、英雄の試練は命をかけた真剣勝負だ。試合中、外部からの介入はいかなる理由があろうとも禁止されている。その上、戦闘方法に規定はない。武器や魔道具の持ちこみも自由だ。極端な話、刃に毒を仕込んだナイフを使用しても問題ないのだ。そして、対戦相手を殺傷しても罪に問われない。
フィンセントはシストに憎しみに近い感情を抱いている。彼が決闘で何をしでかすのか、ジーナは怖かった。
そんな危険な試合なんて、やめてほしいと思う。しかし、そんなことは言えるわけがない。
今のジーナにできることは、
「当日まで、たくさん料理もお菓子も作ります。私の料理でどれほどシスト様の魔力を上げることができるのかわかりませんが……それでも、できる限りのお手伝いをさせてください」
「ああ、助かる。お前の料理は、とても美味いからな」
「シスト様がお怪我をされたらと思うと怖いですが……私には料理で応援することくらいしかできません」
シストは真摯な眼差しで、ジーナを見る。
「前の時は、俺が勝つと信じてくれたな。今回も信じてくれるか」
「はい。もちろんです。シスト様が勝つと信じています」
シストの身を案じていると同時に、ジーナは確信を持っていた。またシストが勝ってくれるということを。
周囲からの視線に気付いて、ジーナはハッとする。ヴィートとクレリアがこちらを温かい視線で見守っていた。
後から恥ずかしくなって、ジーナは目を伏せる。
「俺としては、フィンセント殿下が王位を継ぐのはちょっと……って気持ちがあるので、シスト殿下を全力で推したいところですね」
「私ももちろん応援します!」
ジーナは膝の上に乗せた手を、きゅっと握りしめる。お料理を頑張らなくちゃ、と思った。自分がシストのためにできることがあることが嬉しかった。
+
学校の屋根の上に、その影は2つ佇んでいた。
片方は黒犬。そして、片方は猫のぬいぐるみ。両者ともに赤い瞳を怪しく光らせながら、学校内を見渡している。
「へぇ……? 『デンカー』同士の対決だってよ。おもしろそうじゃねえか」
黒犬ベルヴァはにやりと笑う。しっぽを振り振りと上機嫌に揺らしながら、学校内を観察していた。
「どっちが勝つと思う?」
「ふん……賭け事は好かん」
「あ? つまんねえな、悪魔族ってやつは」
「血の気しかない魔狼族に言われたくはないわ」
ベルヴァは不満げに尻尾を振る。そして、遠くに視線を飛ばした。野外に設置された訓練施設。そこで魔法を撃っているのは、フィンセントだった。
「おい。あっちの『デンカー』だ」
と、ベルヴァはフィンセントの魔法を観察する。
「なるほどな。前の時は魔力量にあぐらをかいただけのボンクラだったが、格段に魔法の扱い方が上手くなっている」
「ほう……よほど良い師と巡り合えたのだろうな」
リズもベルヴァの横からひょっこりと顔を出して、そちらを見る。彼の視線はフィンセントではなく、その傍らに立つ教師の方へと吸い寄せられた。
「ぬ……?」
「どうした」
「あ奴は、まさか……」
リズは忌々しそうに、大きな頭を振る。ぴょんぴょんと飛び跳ねて、屋根から降りた。
「我はしばらく、小僧の腕の中にこもっておる。起こすでないぞ」
「おい……」
ベルヴァは怪訝そうな声を上げる。
+
その日もエリデは、フィンセントにカンノーロを差し入れていた。
「また同じものか!? いい加減、別の物を作ってこい。よいな」
フィンセントは渋面でそれを奪いとる。そして、エリデには興味もない様子で、その場から去っていくのだった。
(本当に文句ばかりね、フィンセント様って……)
と、エリデはげんなりとする。
あれだけ文句を言うのなら、カンノーロはもういらないのだろうか。そう思って何も持って行かないと、今度は「なぜ持ってこないのだ」と非難されるのだ。
エリデはだんだん彼に貢ぐのが面倒くさくなってきたが、フィンセントが菓子に執着しているのは確かなようである。このまま彼の胃袋をつかんで、婚約者の立場を手に入れようと画策していた。
そのためには、そろそろ別の菓子が欲しいところだが……。
(誰が作ってるのかしら、あのカンノーロ……)
従者を遣わせて食堂に確認したが、作成者については頑なに教えてもらえなかった。
このままでは困る。フィンセントに毎日のように文句を言われるのも限界だった。
(他のが手に入らないんだから仕方ないわ。明日は私が作った菓子を持って行きましょう)
エリデは男爵令嬢だ。この国では、菓子作りは令嬢の嗜みとされている。もちろん、エリデも一通りの菓子は作れる。
――よく考えてみれば、何もあのカンノーロじゃなくてもいいのよね。それなら私の菓子だっていいはずだわ!
エリデはほくそ笑んだ。自分の手作り菓子を口にしたフィンセントが、喜んでくれる光景を想像して。
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