4 王妃の画策
王都トゥオーノは、魔法学校より馬車で半日ほどかかる。
学校の休日――フィンセント・フェリンガは早朝から馬車を走らせていた。
彼がトゥオーノ城に足を踏み入れると、周囲の者たちは膝を折って、敬意を払う。
「殿下」「ご機嫌麗しゅう」と、恭しく紡がれた言葉に、フィンセントは満足していた。フィオリトゥラ魔法学校では表向き、生徒の身分を振りかざすことを禁止されている。教師の言うことに生徒が逆らうことも許されない。そのため、フィンセントは日ごろから鬱憤をためていた。
(やはりこれが私のあるべき姿だ)
と、気分を良くして、目的の部屋まで向かう。
「父上、いらっしゃいますか。お話があります」
フィンセントは国王アベラルド・フェリンガの部屋を訪れた。室内には母・マファルダの姿もあった。どちらも金髪碧眼の容姿で、フィンセントと似ている。
マファルダはフィンセントの顔を見るなり、そばに寄ってくる。うっとりとした様子でフィンセントの頬に手を伸ばした。
「ああ、フィンセント……! 帰って来ていたのね。まさかお前が遺跡なんて、危険な場所に行かされるなんて……母は心配でたまりませんでした。無事に戻って来てくれて何よりです」
「母上。お久しぶりです」
「何用だ」
息子との再会に感極まった様子のマファルダ。一方でアベラルドは顔色を変えることなく、冷徹に問いただした。
「父上……なぜ私がデフダ遺跡への調査に向かうこと、止めて下さらなかったのですか。手紙でも申し上げたはずですが」
「お前はシストに決闘で負けた。遺跡の件は、決闘での取り決めだろう。それに発案者はお前だと聞いている」
「それは……!」
フィンセントは歯噛みする。まさかあの時は自分がシストに負けるとは思いもしなかったのだ。
ちょうど決闘の前日に、フィンセントはデムーロからデフダ遺跡への調査の話を聞かされた。とても危険な調査になると聞き、シストへの制裁にぴったりだと思ったのだ。
「あの決闘は無効だと言っているではないですか! あの時、私は体調不良にあったのです。そうでなければ、私がシストに負けるはずがないでしょう」
「ああ……可哀そうなフィンセント……。ええ、その通りです、陛下。わたくしの息子は、学校が始まって以来の大天才と評されるほど、優秀なのです。それなのに、あんな無能……いえ、魔法の素質に劣る者に敗北するなど考えられません」
と、マファルダは吐き捨てるように告げた。シストのことは名前を口にするだけでも汚らわしいとでも思っている様子であった。
母からの援護に気を良くして、フィンセントは胸を張る。
「そうです、父上。そして、遺跡に同行したデムーロという男ですが、彼は数多くの狼藉を私に働きました。即刻、クビにしてください」
アベラルドは鋭い視線でフィンセントを射抜く。その面持ちに呆れたような色が含まれていたことに、フィンセントは気付かなかった。
「……できぬ」
「なぜですか! あの男は学校に赴任して1年目の新任教師……指導方法も技術も、そして私に対する態度もどれもが拙く、教師として相応しいとは思えません」
「フィンセント」
マファルダが口を挟んだので、また自分の援護をしてくれるのだろうとフィンセントは期待を込めて母を見る。しかし、マファルダはあっさりとその話を流した。
「その男の話は、置いておきなさい」
「母上までもですか!?」
「そんなことより、決闘の話です。お前が負けるなど何かの間違いであったと私は思っています。きっと、出来損ないのあれがお前の食事に悪い物を混ぜたか、能力を封じる魔道具でも仕込んだに決まっています」
「はい。腹立たしいことに恐らくは。ですが、仮にシストがあの決闘で不正を働いていたとしても、それを今さら暴くことは不可能でしょう。ですから、私は決闘のやり直しを求めます」
「……それがどういうことか、わかっているのか」
アベラルドは厳かな声で言葉を紡ぐ。
「この国の慣習を知らぬわけでもあるまい。我が国は英雄王によって興され、英雄の血を引く者を代々、王として定めてきた。――決闘の結果次第によっては、真に王として相応しいのがどちらであるか、公知のものとなるのだぞ」
「父上……! 私が二度もあんな無能に負けるとでもお思いなのですか!?」
彼の言葉にフィンセントは激高した。隣ではマファルダも不快そうに眉をひそめている。
「シストを無能と呼ぶなと、私は前にも諫めたはずだ。お前の弟なのだぞ」
「ですが……!」
「よいではないですか。陛下」
話に割って入ったのは、マファルダだった。扇で口元を覆い隠して、彼女は目を細める。
「フィンセントが王位を継ぐことは、確乎たる事実であっても……このままでは民に示しがつきませんもの。ここは1つ、『英雄の試練』を執り行ってはいかがです?」
「あれはここ100年近くにわたって、開催されておらぬ。国中から関心を引く事態になるとわかった上で、言っておるのだな?」
「ええ、わたくしは構いませんわ。フィンセント。お前もそうでしょう? 民の前でお前の真の実力を見せつけておやりなさい」
「はい。母上」
フィンセントは暗い笑みを湛える。
「あの無能……いえ、私の弟も、次こそは思い知ることでしょう。私の力が、どれほどのものであるのかを」
数日後、国中にお触れが出された。
『英雄の試練を執り行う』との旨だった。
その通達を耳にし、公爵家の当主ジークハルトは険しい表情を浮かべていた。
「まさかこのような事態になるとは。娘の身が心配だ……」
+
王都が宵闇に沈む時間帯。
王妃マファルダは自室のバルコニーに佇んでいた。険しい面持ちで街並みを見渡している。ふと、彼女の背後で空間が歪んだ。一際、闇が濃い一角にその影は突如として現れた。
「――お呼びですか。王妃様」
マファルダは振り返ることもしない。扇で口元を隠し、潜めた声で告げた。
「お前は、遺跡でフィンセントを危険にさらしたそうですね」
「誤解があるようですね。私はフィンセント殿下に適切な指導を行ったまで。……フィオリトゥラの魔法教師として」
男の顔には影がかかっている。そのため、顔付きが判別できない。王妃と対話しているとは思えないほど、飄々とした口調だった。
「もちろん、私がついている限り、殿下に危険はありませんよ。遺跡でも全力でお守りいたしました」
「本来であれば、遺跡に向かうのは出来損ないの方であったというのに……。少々、手違いがあったようです」
男は何も答えずに、肩をすくめる。彼が手首にはめている無骨なリングが、しゃらん、と闇の中で揺れた。
「あれは何としぶといのでしょう。今回も運よく免れただけでなく、10年前のあの時だって事故に見せかけて、処分してしまう計画でしたのに」
忌々しそうに吐き捨て、マファルダは勢いよく扇を閉じる。
「『英雄の試練』では死傷者が出ようとも、その責任はいっさい不問にするという決まりがあります。これは絶好の機会です」
男は何も言わない。主人からの命令を待つ忠臣のごとく、微動だにせずに佇んでいる。
「試合前に、お前はあの出来損ないに魔法をかけるのです」
「細工をするということですか」
「フィンセントがあれに負けるとはわたくしも思いません。ですが、不安の芽は摘んでおくに限ります」
沈黙が落ちる。
男は恭しく告げた。
「仰せのままにいたしましょう」
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