12 『食べて欲しい』の幸せ【終】
「陛下。ご多忙のところ失礼いたします。娘と殿下の婚約に関わることでしたので、早急にお話をと存じまして……」
「構わぬ。貴殿の後ろにいるのがそうか」
アベラルドがジークハルトの後ろに視線を向ける。
そこには2人の人物が控えていた。フィンセントも見覚えのある顔だった。
「はい。以前、陛下にもお話しした通りでございます」
「なっ……貴様は……!」
フィンセントは唖然として、彼らの姿を見た。
片方は騎士のヴィート・ランディ。そして、もう片方は食堂の雑用人であった少女だ。栗色の髪の地味な女だった。その女にまつわる記憶は嫌なものしかない。フィンセントは顔をしかめて、少女を睨み付ける。
「どういうことだ。貴様は、エメリア公と何か関わりを持っていたのか」
「殿下。この者は娘の行方を捜すため、私がフィオリトゥラ魔法学校に忍ばせておりました」
ジークハルトは淡々と答える。その際、彼がちらりと振り返ったのはヴィート側の方であった。しかし、フィンセントはジークハルトの視線にまで気を払う余裕はなかった。平民の女を忌々しく睨み付けていた。
「そうか、貴様はエメリア公の手の物であったのだな」
「彼女が何か?」
「その女は学校で私に多くの無礼を働いたのだ。二度と顔も見たくない。今後一切、その女を私に近付けるな」
「――承知いたしました。時に殿下。殿下はジーナの料理に不満を抱いていたそうですね。ジーナの行方を探るために学校に置いていたランディが、偶然にもそのような情報を耳にしたようですが」
フィンセントは顔をしかめた。学校での噂話が彼の耳に入ることはないと今まで高をくくっていたのだ。
「殿下がそれほどまでに娘の料理に悩まれていたとは……。今まで気付かず、申し訳ありません。これ以上、殿下にご迷惑をかけるわけにはいかないと考えております。つきましては、この婚約を解消したいと……」
「う、嘘だ!」
フィンセントは咄嗟に叫んでいた。
「まずいと言っていたのは嘘だ! ジーナの料理は夢のように美味しかった。私は彼女の料理に満足している。よって、婚約は解消はしない」
「では、殿下は本当はジーナの料理に満足していたにも関わらず、嘘を吹聴していたと?」
「それは……!」
「なぜそのような嘘をついていたのか、お聞きしても?」
「他愛もないじゃれ合いのつもりだった……。口に合わない物でも、彼女が作った物ならすべて食べられるのだと見せることで、愛情を表現していたのだ。やりすぎたことは謝罪しよう」
状況を静観していたアベラルドが、厳かに口を開く。
「フィンセント。お前は私の子だ。私も親である以上、お前の幸せを願っている。お前が王位継承権を失ったとしても、心からエメリア嬢との婚姻を望むのであれば、それを尊重したいと考えていた。しかし、お前の振る舞いからは彼女を愛しているとは到底思えぬ」
「何を言うのですか! 私は彼女を愛しております! ジーナさえそばにいてくれれば、他には何もいりません」
「お前が執着しているのは、エメリア嬢の料理だけではないのか?」
「いいえ! 料理だけではありません! 私は彼女の心に惚れているのです」
「そうか。では、エメリア嬢よ。貴殿の考えを聞かせてくれるか」
「えっ……!?」
フィンセントは素っ頓狂な声を上げる。室内にいる人物の視線は、1人の少女へと集まっていた。
ジークハルトも、ヴィートも、そしてアベラルドも。当然のようにそちらを向いている。
フィンセントは目を白黒させていた。その地味な女が何だというのだ。と、思った直後のこと。
彼女がイヤリングに触れ、耳から抜きとった。栗色の髪が、夕日にきらめいていて――髪の毛の一筋、一筋が、陽光をまとうように変化していく。美しい銀髪が背中へと落ちた。冴えない顔立ちは、涼しげな美貌へ。最後に瞳の色が冷めた碧眼へと変わった。
フィンセントはその顔を見て、泡を食った。
「お、お、お……お前は……!? お、お前、が……っ!?」
「殿下が私の料理を『まずい』とけなされていたのは、愛情表現だったとのことですが」
ジーナは氷点下と言えるほどの冷ややかな視線で、フィンセントを射抜く。
「そんな歪んだ愛情は、私は要りません。料理を『美味しい』と素直に褒めて下さる、そんな方を好ましく思います」
「これからは褒める! お前がそれを望むのなら、料理を存分に褒めよう! だから、ジーナ……! 頼む、私の婚約者でいてくれ! そして、これからも私のために料理を作ってくれるだろう!?」
「以前、申し上げたはずです。もう二度とあなたに料理は作らないと」
「私が愛しているのは料理だけではない! 私はジーナのことを愛しているのだ」
「先ほど、殿下は私に『二度と顔を見せるな』と仰せられましたね。その言葉には従いましょう」
「そ……そんな……」
フィンセントはその場にへたりこむ。
ジーナの冷たい無表情を呆然と見上げていた。フィンセントは彼女のクールな態度が不満だった。彼女の料理をけなすことで、クールな仮面を剥がすことが快感だったのだ。
しかし、フィンセントはその時、初めて気付いた。
(……私は……)
なぜ彼女がそのような冷えた眼差しでフィンセントを見るのか。その理由に今まで思い当たらなかった。
(そうか…………。私は、ジーナに嫌われていたのか……)
フィンセントがジーナの料理をけなせばけなすほどに、彼女の心は凍り付いていった。ジーナの態度がより冷ややかになっていくので、フィンセントはむきになって、彼女の料理を貶めるようになったのだ。
心のどこかでフィンセントは思っていた。私は何も悪くない、可愛げのないジーナが悪いのだと。
だが……その時、フィンセントはようやく痛感した。
なぜこんな単純なことに今まで気付かなかったのだろう。
――嫌いな男の前で、彼女が感情を殺すのは当然のことではないか……。
+
フィオリトゥラ魔法学校の敷地内には、春の花が咲き誇っている。
ジーナは普段通りに早起きをしていた。イヤリングを付けて、お仕着せ服を着る。食堂で昼食の準備を終えると、菓子の袋を手に中庭へと向かった。
『英雄の試練』が行われた翌日。
魔法学校は日常の風景へと戻っていた。早朝の清涼な空気が満ちている。
いつもの中庭――ジーナがたどり着くと、すでにシストの姿があった。
「おはようございます。シスト様」
「ああ、おはよう」
シストはちらりとジーナの顔を窺う。
そして、その言葉を付け足した。
「わざわざ来てもらってすまなかったな。――エメリア嬢」
「いえ、そんなことは………………あ」
思わず返事をしてから、ジーナは口元に手を当てた。今のジーナの姿は平民のはず。それなのにシストが呼んだのは、公爵家の名だった。
ジーナは唖然として、彼の顔を見返す。
すると、シストはおかしそうに肩を震わせていた。
「エメリア嬢でも、こういうのに引っかかるんだな。可愛い」
「は……はい!?」
今、おかしな言葉が聞こえた気がする。『可愛い』とか。
それに、こんな風に楽しげに笑っているシストは初めて見た。思いがけないことの連続にジーナは混乱して、赤面する。
シストはひとしきり笑ってから、ジーナと向かい合う。
「……エメリア嬢は、呼び慣れないな。いつものように名前で呼んでも構わないか」
「はい……」
「元の姿からずいぶん変わったな。こちらもとても可愛いが」
「あ……あのっ」
聞き間違いでなければ、また言われた気がする。「可愛い」とか。
ジーナはじわじわと首元まで赤く染めながら尋ねる。
「いつ私の正体に気付かれたのですか……?」
「つい昨日だ。だが、君のことは以前から可愛いと思っていた。だから、もっと早く気付くべきだった」
「え……っ」
ジーナは目を白黒させる。全身が熱くなりすぎて、そろそろ湯気でも立ちそうなくらいだ。
「……先ほどから可愛いと何度もおっしゃられてますが……」
「ああ、すまない。元の姿の方も、綺麗で可愛いと俺は思っている」
「いえ、そういうことではなくて……! シスト様らしくないと言いますか……っ」
「俺らしくない? そうかもしれない……だが」
と、真摯な眼差しでシストはジーナのことを見る。
「俺は前からずっとエメリア嬢のことが好きだった。それに、食堂で下働きをしていたジーナのことも。お前がこの学校を去ったら、好きだと告げるチャンスがなくなるだろ。後悔する前にちゃんと言っておきたい」
ジーナは今度は目を回しそうになっていた。
前から好きだった? それに、平民を装っていたジーナのことも好き? 二重に告げられた告白に、心臓がうるさく騒ぎ出す。
「ありがとうございます。嬉しいです……。それと、私、ここに残ることになりました。お父様と、それに国王陛下もその方がよいと」
ジーナはこれからも、フィオリトゥラ魔法学校に残ることになっていた。それは父ジークハルトと、国王アベラルドの指示によるものだ。『ジーナの料理に不思議な力がある』ということは、アベラルドにだけ報告した。
その結果、アベラルドもジーナの能力に興味を抱いた。今まで魔法が不得手だったシストが、なぜ突然、試合で見せたような魔法を使えるようになったのか、それは『ジーナの料理のおかげ』という結論に至ったのだ。アベラルドはジーナに感謝を示した。そして、ジーナさえよければ、これからもシストの支えになってほしいと頼んできたのだ。
ジークハルトも学校に残ることを認めてくれた。
今のまま食堂の雑用人で構わないとジーナは言ったのだが、それにはジークハルトが大反対した。学校に残るのなら、平民を装うのはやめてほしい――ということで、ジーナは公爵令嬢として、フィオリトゥラ魔法学校に編入することが決まった。ジーナは魔法が使えないので、実技授業には参加せず、座学のみの履修となる。魔力に自分の料理が作用すると知ってから、ジーナも魔法について勉強してみたいと思っていたから、ちょうど良かった。
食堂は辞めることになるので、料理長のエマには事情を話した。その際、どうしてもと引き止められて、たまにジーナの菓子を食堂で売ってもらえることになった。
ジーナがここに残ると知って、シストは目を見張る。
「俺の力が引き出せるようになったのは、確かにジーナのおかげだ。しかし、君はそれでいいのか」
「はい。この学校に残らせてほしいとお父様にお願いしたのは、私ですから」
ジーナはほほ笑んで答える。そして、持って来た菓子をシストへと差し出した。
「これを……。シスト様に召し上がってほしくて作りました」
今朝、ジーナが目覚めて一番に考えたことは、「今日は何を作ろうか」ということだった。考えている間も、料理をしている間も、ずっと心が弾んでいた。
朝日が学校の城壁を越えて、昇り始める。柔らかな日差しがジーナの表情を照らした。
この学校に来たばかりの頃には、凍り付いていた少女の表情。
それが今は、春の陽光を思わせるほどに柔らかくとろけていた。
「明日、作るお菓子は何がいいでしょうか」
――あさっても、その次も……。
これからも、ずっと。
「食べてほしい」と思って、作る料理。
「美味しい」という言葉と笑顔を想像しながら、作る料理。
それは作る手間を上回る幸福感だった。
その温かさに胸が満たされて、ジーナは心からの笑顔を浮かべるのだった。
終わり
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「前世で悪女をしていた者ですが、」
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