7 信じることはできない、賛辞

 

 フィンセントが振り返る。彼の面持ちはやつれていた。

 可哀そうに、とエリデは思った。

 

 ――だから、このアマレッティで元気づけてあげなくっちゃ♪

 

 エリデは上機嫌で、アマレッティを手渡す。フィンセントの反応は鈍かった。のろのろとそれを受けとり、眺めている。

 

「……ちがう」

「え……?」

 

 フィンセントの言葉に、エリデは唖然とする。

 

「これじゃない! 私が食べたいのは、これではない!!」

「フィンセント様……!?」

 

 フィンセントが手を振りかぶる。愕然とするエリデ。

 手製のアマレッティが投げ捨てられる――と、思った、その直前。

 

「おやめください。殿下」

 

 誰かの声が、凛と響いた。

 

「彼女が作った物を、粗末になさらないでください」

 

 フィンセントも、エリデも、唖然としてそちらを見やる。

 一瞬、ジーナだと思った。

 だが……視線を向けた先には、彼女とは似ても似つかない地味な女が立っていた。フィンセントは失望した顔をする。それは怒りに変わったらしく、彼女に向かって大股で歩み寄った。

 

「雑用人の分際で、この私に指図をするな!」

 

 フィンセントは彼女を乱暴に突き飛ばす。彼女はよろめいて、倒れかかる。それを誰かの手が支えた。

 少女の後ろから現れたのは、シストだった。彼は苦い表情でフィンセントを睨み付けている。

 

「てめえ……女に手あげてんじゃねえよ」

「シスト……! お前……」

 

 フィンセントは苛立っているのだろう。煮えたぎるような瞳で、彼を睨む。

 

「王家の面汚し――落ちこぼれめが。お前には、そのようなみすぼらしい女がお似合いだ」

 

 フィンセントはそう言って、踵を返す。すれちがう瞬間、アマレッティをエリデに押し付けると、

 

「不要だ。私が欲しいのはこれではない」

 

 聞いたこともない冷たい声で告げる。

 エリデは愕然として、立ち尽くした。

 

(どうして……!? フィンセント様は以前、私のお菓子を美味しいと言ってくれたじゃない……!!)

 

 泣きたいような気持ちが膨れ上がる。エリデはその場から駆け出した。

 

 

 +

 

 2人がいなくなると、ジーナはシストと向かい合った。

 

「……助けていただき、ありがとうございます」

「は!? たまたま通りかかったところに、お前が倒れてきたんだ」

 

 焦った様子でシストは言う。

 

(言い訳に無理がある……)

 

 と、ジーナは思った。

 

「お前こそ、どういう神経をしている? 普通、あいつに言い返そうとするか?」

 

 苦い口調で咎められて、ジーナはハッとする。

 

 フィンセントとは顔を合わせたくもなかった。だから、廊下で彼の姿を見た時、すぐに踵を返そうとしたのだが……。

 彼は、誰かの手製の菓子を投げようとしていた。その瞬間を目にしたら、居てもたっても居られなかった。

 その菓子が自分が作った菓子と重なったのだ。

 気が付けば、ジーナはフィンセントに声をかけていた。

 だが、それは軽率な行動だった。

 ついこのあいだまで、彼はジーナの婚約者だった。フィンセントと会話をしても誰にも咎められない。だが、今のジーナは平民でただの雑用人だ。そんな女が王子に口答えするなんて、恐れ多すぎることだった。

 

「そういえば……私はただの食堂の下働きでした」

「は?」

 

 ジーナがぽつりと漏らすと、シストは呆気にとられる。

 それから、ふっ、と吹き出して、

 

「ふ……は……はは、……っ、変な奴」

 

 笑われた。

 その表情をジーナは不思議な気持ちで見つめる。

 

(怖い人かと思ったけど……)

 

 その笑顔は少年らしさのある、明るいものだった。相変わらず、王子様らしくはなかったけれど。

 

「それより、ちょうどよかった。お前を探していた」

「え……」

「こないだの丸いパニーニ……お前とぶつかった時、ランチボックスが入れ替わっただろ」

 

 ジーナは硬直した。

 何それ……。と、顔を青くしていく。

 

 シストと衝突した後、ジーナはそのランチボックスを食べなかった。いつものようにベルヴァに与えたのだ。だから、中身が入れ替わっていたことに気付かなかった。

 

 ジーナは顔を蒼白にすると、

 

「申し訳ございません……!」

「おい……どうした?」

「殿下にあのような粗末な代物を押し付けて……! 本当に、お詫びの言葉もありません……どのような罰でもお受けします」

「何を言っている!」

 

 シストは焦ったように声を上げる。

 

「美味かった!」

「……え……?」

「ものすごく美味かったんだ。あれからずっと同じものを探していた。だが、食堂には売ってなくて……お前、あれをどこで手に入れた?」

 

 ジーナは硬直していた。

 

 ――何……何で……?

 

 その言葉が頭の中で渦を巻いている。

 

 ――あんなひどい味の物が欲しいなんて……どうして?

 ――何のために、この人はあれを欲しているの?

 

 その時、エリデが自分をあざ笑う声が聞こえて来た。

 ジーナは腑に落ちた。

 

 ああ、そうか。

 フィンセントとエリデが、自分のことを影であざ笑っていたことを知っている。だから、この人もきっと同じにちがいない。

 『ものすごく不味い料理!』と、仲間内で馬鹿にするために、あれを欲しがっているのだ。

 

「…………すみません。お答えできません……っ」

「あ、おい!!」

 

 ジーナはその場から逃げ出した。耳の奥で嘲笑の声が渦を巻いていて、離れなかった。

 

 

 

 少女が去った後、シストは顔をしかめていた。

 

「名前、聞きそびれた……」 

 

 ようやくあのランチボックスの手がかりにたどり着けたかと思ったのに。

 なぜ彼女はあんなにも怯えていたのだろうか。

 

 その時、シストは彼女の言葉を思い出す。

 

『私はただの食堂の下働き――』

 

 確かにそう言っていた。

 ということは――

 

(食堂に行けば……)

 

 

 +

 

 フィオリトゥラ魔法学校では、魔法実技の授業がある。

 3年生の授業は、いつも見学者であふれ返っていた。皆の目当ては第一王子フィンセントだ。

 学校が始まって以来の大天才――フィンセントはそう呼ばれていた。彼の身に宿る魔力は膨大だった。あの建国王にして英雄王の『スフィーダ・フェリンガ』に匹敵するのではないかとささやかれているほどだ。

 

 フィンセントが実技を披露する番になると、女生徒は一斉に目を輝かせた。

 火属性・上級魔法『紅蓮:業火』。辺りは火の海に呑まれる。豪快な攻撃呪文だ。消費魔力が大きいので、一般的な魔道士では1度撃つだけで精一杯だった。

 

 フィンセントはその魔法を10回以上連続で発動することができる。規格外の魔力量の持ち主だった。

  

「フィンセントさま……今日も素敵」

 

 と、周りからは感嘆の声が漏れる。

 

 

 

 いつもだったら、その憧憬の視線にフィンセントは酔いしれる。

 しかし……。

 彼はその時、軽いめまいを感じていた。足元がふらついて、頭を抑える。

 

(またか……っ)

 

 この症状は、魔力欠乏症の一歩手前に似ている。しかし、まだ上級魔法を3回しか使っていないのに……魔力が足りなくなるわけがない。

 最近はそういうことが多かった。――ジーナが失踪してからだ。

 なぜ上手くいかないのか。フィンセントは苛立ちを覚えていた。

 

(最近、妙に調子が悪い……っ)


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