6 美味しい、はトラウマで

 

 お昼時――戦場の調理場にて。

 

「料理長、ちょっとよろしいですか」

 

 エマは従業員の1人に呼び出された。かなり困った顔付きをしているので、エマは手を止めて、彼の元へと向かった。

  

「シスト殿下が訪れていまして、聞きたいことがあると……」

「殿下が……?」

 

 エマは首を傾げる。この学校は王侯貴族の子らが通っている。提供する食事には気を使っているが、時折、言いがかりのような苦情クレームを受けることはあった。その場合、普通は従者を遣わせてくるので、生徒本人が現れることはまずない。

 

(シスト殿下といえば、素行が悪いことで有名だけれど……)

 

 エマは内心で警戒しながら、そちらに向かう。

 

「お待たせいたしました、殿下。どうかなさいましたか?」

 

 シストは鋭い目付きでエマを捉える。

 

「ここで売っているパニーニは、細長いものばかりだな。丸いものはないのか?」

「…………はい?」

 

 質問の意味がわからず、エマは首を傾げた。

 

「ええっと、うちで扱っているのはすべてこの形状のパンになりますが……」

 

 シストは少し面食らったような表情をする。しかし、すぐに納得した様子で頷くと、

 

「そうか。なら、全種類のパニーニをもらおう」

「は、はい……」

 

 要望に応えると、彼は去っていった。エマは怪訝な顔をしながら、調理場へと戻る。

 

(丸いパン……そういえば)

 

 彼女はハッとして、洗い場を見る。今日もジーナは淡々と皿洗いを続けている。

 先日、ジーナが学校近くのパン屋の袋を抱えていた。その時、彼女が丸いパンをとりだしていたのをエマは見たのだ。

 

(……まさか、ね)

 

 彼女は首を振ると、調理に戻るのだった。

 

 

 +

 

 その日の仕事終わり。

 エマはジーナに尋ねていた。

 

「あんたが自炊している料理、私にも試食させてくれない?」

 

 帰り支度をしていたジーナは、その言葉で固まった。警戒するような視線をエマに向けてくる。

 

「なぜ……ですか」 

「そりゃ、あんたにもいずれ調理を手伝ってもらおうと思ってるからさ」

「申し訳ありません……。私には荷が重いです……」

「そう? あんたの料理、見たところどれも美味しそうだったよ」

 

 エマは本心で言っていた。この少女の料理は、どれも食欲を刺激するいい匂いを漂わせている。

 が、その時。

 ジーナの血の気が見る見ると引いていく。

 

 突然、ガタガタと震え出したので、エマは驚愕した。

 

「……やめて……」

 

 ジーナはクールな娘だった。あまり感情を表に出さない。

 だから……彼女がこんなにも感情を噴出させた瞬間を、エマも初めて見た。

 

「お世辞は……聞きたくない……」

 

 あまりに怯えた様子なので、エマは何も言えなくなってしまった。

 

 

 +

 

『美味しい』

『美味しそう』

 

 その言葉に、ジーナは脅えていた。

 フィンセントに食べてもらった菓子は、フィンセント以外の者からは好評だった。

 

『これ、すごく美味しいです!』

『お嬢様の料理は最高です!』 

 

 使用人たちはいつも絶賛してくれた。

 

 でも……。

 

(私が公爵家の娘だから……皆、お世辞を言っていたのかも……)

 

 本当はフィンセントの反応が正しかったのかもしれない。

 

『ああ……ひどい。これはひどい味だ』

 

 その言葉が毒のようにジーナの心を蝕んでいく。 

 ジーナは自室で項垂れていた。

 くーん……、とベルヴァが心配そうにやって来る。子犬を抱き上げて、ジーナはきゅっと体を縮める。

 

「今日も……食欲湧かない……。ベルヴァ、食べて」

 

 ジーナはランチボックスをベルヴァに差し出す。

 最近は何を食べても美味しいと感じられない。だから、食事を作っても食べないことが多かった。きっと、ベルヴァがいなければ料理をすることもなかっただろう。

 ベルヴァがしっぽを振って、ランチボックスに頭をつっこんでいる。

 

 ――やっぱり、犬には美味しいと思ってもらえるんだ。

 

 食事を無駄にしなくて済んだことは喜ばしいけれど、それでジーナの心が晴れることはない。

 一心不乱に食べている子犬の姿を見つめながら、ジーナは考えていた。

 

 もう二度と……誰かに料理を食べてもらうことはないだろう、と。

 

 

 +

 

 シストは唖然として、目の前の物を見つめていた。

 一口食べて、これじゃないとわかる。

 あの夢のように美味しかった、丸いパニーニ。あれからシストはそれを探し求めていた。

 食堂には細長いパニーニしか売っていなかった。形がちがうだけで、味はあの時と同じものがあるのかもしれないと、シストは全種類のパニーニを買って食べてみた。

 しかし、あの時のパニーニとは何もかもちがう。

 確かにあのランチボックスには学校の名前が書かれていたのに。

 

(どうなっている……?)

 

 あれは学校の食堂で売られている物ではないのだろうか。

 あの少女は、あれをどこで手に入れたのだろう。

 

(こうなったら直接、聞いてみるしかないか……)

 

 しかし、彼女がどこの誰かわからない。 

 制服を着ていなかったので、この学校の生徒ではなさそうだが、どこに行けば会えるのだろう。

 ――彼女は、何という名前なのだろうか。

 シストは知りたくてたまらなかった。

 

 

 +

 

 男爵令嬢のエリデ・ヘルツは、ずっと上機嫌だった。

 

 ――ああ、やっとあの邪魔な女がいなくなってくれた!

 

 そう考えるだけで、足取りは弾む。

 あの女……ジーナ・エメリアがエリデは大嫌いだった。

 エリデは童顔で小柄だ。金髪碧眼の見た目は儚い雰囲気である。だから、周りからは蝶よ花よと扱われてきた。

 それをいいことに、エリデは周りに甘えきって、何でもしてもらうようになっていた。

 

 だが……。

 今から数年前、社交界で会った女。

 あの時のことは思い出しただけでも腹が立つ。

 ジーナはエリデとは正反対の娘だった。凛とした佇まい。早朝の空気のような、しゃんとした雰囲気をまとわせた女。

 更には立ち振る舞いまで――。


 その時、令嬢の1人が手を滑らせ、飲み物が零れるというハプニングがあった。それはジーナとエリデのドレスにかかったのだ。

 両者の対応は、正反対だった。

 エリデは憤慨し、彼女を罵倒した。すぐに使用人を呼び、ドレスを拭かせた。

 ジーナは、件の令嬢を気遣っていた。彼女は気分を悪くしてしまったらしい。恐縮する少女に「気にしないで」とジーナは告げる。ドレスの汚れは、自分のハンカチでさっと拭きとった。


 ――その時の周囲の突き刺さるような目。


 今思い出しても、腹が立って仕方ない。

 まるで晒し者にされたかのような、最悪な気分だった。

 あの女のせいで………! あいつさえいなければ!

 その後、フィンセントとジーナの婚約が発表されると、エリデは猛烈に悔しかった。

 第一王子まで、あの女を選ぶの!?

 自分と正反対な女が選ばれたことで、エリデは自分の存在をすべて否定されたかのような気持ちになった。

 

 ――だから、フィンセントから悩みを打ち明けられた時、エリデは胸が空くような思いだった。


 エリデはフィオリトゥラ魔法学校に通う3年生だ。フィンセントとは同じクラスである。ある日、フィンセントに「相談したいことがある」と、エリデは呼び出された。彼は浮かない顔でこう言ったのだ。


『実は婚約者の料理が舌に合わなくて……。しかし、彼女を悲しませたくはないから、私はいつも完食してあげているんだ』

『まあ……!』


 その話を聞いて、エリデは「フィンセント様は何てお優しいんだろう!」と感動した。同時に、ジーナに対してうっとりするほどの優越感を覚えた。

 ああ、あの女に自分が勝っている面があった! あの女はあんなに澄ました顔をしておいて……料理はド下手なのだ!


 その後もフィンセントからの『相談』は続いた。

 始めはフィンセントも、ジーナの料理を控えめに表現していた。婚約者を傷付けないように言葉を選んでいるのだ、と思って、エリデはますます感動した。だから、言いづらそうな彼の代わりに、エリデは言ってやったのだ。


『それって、料理ではなくてゲテモノじゃありませんこと!? 嫌ですわ……。そして、そんな物を召し上がるフィンセント様は何てお優しいのでしょう!』


 すると、フィンセントは満足そうにほほ笑んだ。エリデは痺れるような快感に浸っていた。 


 フェリンガ王国では、料理は令嬢の嗜みとされる。それなのに第一王子の婚約者が、料理の1つもまともにできないなんて。


 ――これはチャンスかもしれない。

 エリデは思った。


 ジーナの代わりに、自分がフィンセントの胃袋をつかむことができれば。

 ゆくゆくはフィンセントと結婚し、王妃となれるかもしれない。

 

(私の方が料理は勝っているんだから、当然、フィンセント様に相応しいのも私よ!)

 

 エリデは上機嫌でアマレッティを焼き上げた。今日はそれをフィンセントに持って行くつもりだった。

 

(ああ、フィンセント様……喜んでくださるかしら!?) 

 

 彼女は胸を弾ませて、フィンセントの元に向かう。

 学校の廊下でその後ろ姿を見つけると、

 

「フィンセント様……!」

 

 エリデは彼に駆け寄った。

 

「フィンセント様は先日、アマレッティを食べたいとおっしゃっていましたよね。これ、私が作って来たんです♪」



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