7 わんわんわんと狙います
春の柔らかな日差しが、街を照らしている。
過ごしやすい天気と気候。絶好の散歩日和だった。
「ジーナ! 見て見て! これ、可愛いよ」
明るい声に、ジーナは口元を緩める。クレリアがぶんぶんと手を振っていた。
じんわりと胸が温かな感情に浸る。その一方で、ふとすれば心臓がじくじくと痛んで、切ない思いに捉われる。
(こんな風に過ごせるのは……今日で最後)
なるべく考えないようにしようと思ったのに、どうしても心に浮かんでくる。その感情を、ジーナは必死に押し殺そうとしていた。
「もう、待って、クレリア……わっ」
駆け出そうとしたところ、前から来た人にぶつかりそうになる。ジーナは咄嗟に脇に避け、体が傾いた。
誰かの手に肩を支えられる。
「大丈夫か」
シストの声に横を向く。想像以上に至近距離で目線が交わった。ジーナは、ぱっと顔を逸らす。
「あ……すみません」
「あ、いや……」
と、シストもぱっと手を離した。互いに別方向を向いて、気まずい沈黙が流れる。
「ほら、ジーナ! このお店、見て」
クレリアの声でジーナは我に返った。
彼女が見ているのは服屋のショーウィンドウだった。町娘が着るようなカジュアルなデザインのものが並んでいる。公爵家で暮らしていた時は縁がなかった物だ。しかし、こうして眺めてみると、可愛く動きやすそうなデザインが好ましく思える。
「わ、素敵……」
「ねえ、ジーナ。このお店、入ってみようよ」
「あ……でも」
中を窺う限り、女性服専門店のようだった。ジーナは申し訳なく思って、後ろを振り返る。
すると、
「外で待っている」
「いいよ。気にしないで行っといで」
シストとヴィートはあっさりと告げる。
「ありがとうございます! すぐ戻りますね!」
「すみません……それじゃあ、少しだけ」
クレリアは笑顔で、ジーナはぺこりと頭を下げて、服屋へと入っていくのだった。
+
少女たちが服屋に入っていくのを見送ってから、シストとヴィートは道端へと寄った。
「ちょうどいい。お前に聞きたいことがある」
「はい。何でしょうか」
真面目な口調で切り出され、ヴィートは顔を引き締める。
「お前、ここ最近はずっとジーナの料理を食べに、昼休みにやって来てたな」
「え、ダメでしたか? もしかして、殿下もクレリアちゃんみたいに『取り分が減っちゃう!』と……?」
「ちがう」
と、苦い顔で切り捨ててから。
シストは言葉を選ぶように視線を漂わせた。
「……ジーナの料理は美味すぎる」
「また惚気ですか……」
「別に惚気てない! というか、彼女とはそういう関係じゃない。これは真面目な話だ。他の料理が味気なく思えるくらいに、ジーナの料理は美味い。毎日でも食べたくなる」
――いや、それは惚気だろう。
と、普段のヴィートであれば茶化しているところだったのだが。
彼はハッと口をつぐんでいた。シストの台詞に心当たりがあったからだ。
「…………俺も本当は毎日、昼休みに押しかけるつもりはなくて……。けど、気が付いたらどうしてもジーナちゃんの料理が食べたくなって、ふらふらと」
「俺の魔力は何をしても増やせなかった。それが、ここ最近、急激に増えている。聖女にも似たような変化がある。聖女の魔力は特殊で、それが原因で声に影響が出ていた。が、それも今は治っているんだ」
「殿下はそれがジーナちゃんのおかげだと……?」
「わからないから、お前にも聞いている。お前は、何か体に変化はないか?」
ヴィートは何も答えなかった。
沈黙が落ちる。
と、その直後、
「お待たせしました」
「何の話をしてたんですかー?」
ジーナとクレリアが戻ってきた。
「いや、別に」
シストはあっさりと答えて、彼女たちの元へと向かう。話をしている3人の姿を、少し離れたところからヴィートは見ていた。ぼんやりと今の話を咀嚼する。
(……魔力が増えた……?)
そんなことがあり得るのだろうか。それもシストはジーナの料理のおかげではないかと思っているらしい。
――そんな話は聞いたことがない。
(ありえないだろ。ありえない……だけど)
もし、それが本当の話だったとすれば。
ヴィートには1つだけ、心当たりがあった。
思考にふけっていたヴィートは、前を見ていなかった。人とぶつかりそうなる。
「あ、すみません」
「いいえ? こちらこそごめんなさいね」
と、告げたのは金髪の女性だった。すらっとした手足、その反面、胸元は服の上からわかるほどの豊満な肉付きだ。
ヴィートは彼女ににこりとほほ笑みかけて、道を譲る。
彼女はさっとその場から去っていった。その後ろ姿を見送り、ヴィートは放心していた。
――
(そういえば、最近、妙に大人しいな……)
その時、彼は初めて気付いたのだ。
――自身の体に起こった変化に。
+
ルリジオンの街は景観を保つために、建築に決まりが設けられている。そのため、大通りに並ぶ建物は、すべて高さが均等となっていた。
その横並びになった屋上にて。
「さてと」
ベルヴァはほくそ笑んでいた。鋭い視線をずっと、眼下に向けている。彼が捉えていたのは、ジーナたちの姿だった。
ベルヴァが振り返る。その先には巨大な狼が2体、控えていた。白銀の毛は逆立っている。獰猛な瞳は血走り、獲物に飢えた色をしている。口腔からは大きな牙がはみ出ている。そこから、ぽたり……と涎が垂れ落ちた。
魔物――『ガルム』。
2体のガルムは、ぐるるるる……と、地の底から響くような唸り声を上げていた。
「いいな、お前ら。あの騎士を狙え。そして、殺せ」
ベルヴァのサイズは、ようやく中型犬に届くかといったところだ。ガルムと比べれば、親と子のように小柄であった。
しかし、彼は横柄な態度で、自分よりも凶暴な顔付きの魔物たちに命じる。
ガルムたちがベルヴァを見る。カッと瞳孔を開いた。今にでも跳びかかろうとするばかりの、獰猛な雰囲気だ。
が……その直後。
ガルムたちは後ずさった。耳はぺちゃんこ、尻尾はくるりん、挙句の果てにはその巨体に似合わない悲痛な声で、「きゅーん……」と鳴く。
そして、いやいやと首を振るのだった。
「おい、怖気づくな! ……何だって?」
ガルムが「ばうばう」と何かを説明する。それに耳を傾け、ベルヴァはふんふんと頷いた。
「『あの騎士、強そう。僕たちじゃかなわない』だと……? お前らそれでも魔物か……! え、『何か飼っている』? まあ、そうだな。心配するな。大した気配じゃねえ。そいつごと殺せ」
ガルムたちは身を縮ませる。とうとう丸めたしっぽを脚の間に入れてしまった。その情けない姿に、ベルヴァは激高した。
「おい、てめえら! くそっ……今の俺は力が戻ってねえから、こいつらより上位の魔物は召喚できねえし……ん?」
ベルヴァは眼下へと視界を戻す。ジーナたちの動きを目で追いかけた。そして、黒犬は目を光らせる。
「――ジーナ、持ってるな?」
ベルヴァはガルムと向き直る。
「おい、聞け。お前ら」
と、厳かな声で、魔物たちに指示を飛ばすのだった。
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