4 わんこ、成長してない?(気のせい?)

 

 昼時の厨房は戦場だ。腹を空かせた若者たちは、1秒だって待ってはくれない。

 だから、従業員は忙しなく厨房を動き回っていた。

 

「グラタン皿、用意できてる!?」

「はい」

 

 その声に答えたのは、地味な容姿の娘だった。彼女は料理には携わらず、ひたすら皿洗いをしている。冷たい水で、指先がかじかんでいた。

 

 彼女がこの食堂で働き始めたのは、今から1週間前のこと。

 身寄りがないのだという彼女を、食堂の主人・エマは快く受け入れた。

 少女はすでに洗い終わったグラタン皿を持ってくる。

 

「ありがとう、ジーナさん」

 

 エマが礼を言うと、少女はぺこりと頭を下げて、また洗い場に戻っていく。

 ……無愛想なのがたまにキズだが。

 でも、エマは少女――ジーナのことをすでに気に入っていた。

 彼女はある程度、料理ができるにちがいない。ただ皿を洗うだけでなく、どの順番で皿を綺麗にしていけば注文に対応できるのか、常に考えて動いている。料理人が今、どの料理にとりかかっているのかを瞬時に把握しなければ、できることではない。

 

(……いい拾い物をしちゃったわね)

 

 少女の名は、ジーナ。姓を持たない平民の娘だ。

 彼女は魔法学校フィオリトゥラの食堂で、下働きをしている。

 

 

 +

 

 仕事を終えて、ジーナは寮までの道を歩く。

 道中、学校の生徒とすれちがった。彼らが着ている制服は、黒を基調として裏地はえんじ色、金の糸で紋章が刺繍してある。ジーナが通っていた学校と雰囲気が異なり、「魔道士」としての風格を感じるデザインだった。

 魔法学校と名のつくものは全国に存在するが、その中でもフィオリトゥラ魔法学校は、王族・貴族の子らが通う名門校だ。魔力を生まれつき持った子供だけが通うことができる。

 ジーナには魔力がないため、こことは異なる王立学校に通っていた。


 学校の生徒とすれちがう度に、ジーナは警戒の視線を向ける。その中にフィンセントがいないかを確認していた。

 フィンセントはこの学校に通う3年生だ。

 エマに出会って、ここでの仕事を紹介された時、ジーナは悩んだ。フィオリトゥラは全寮制で、フィンセントもそこで暮らしている。もし、彼に会ってしまったらと考えると怖かった。しかし、他に選べるような職もなかったし、容姿が変わっている今は彼に気付かれることもないだろう。フィンセントは第一王子だし、こんな雑用人の娘を気にかけることもないはずだ。ジーナは自分に言い聞かせ、ここで働くことを決めた。


 実際、働き始めて1週間が経ったが、ジーナは一度もフィンセントを目にしていない。

 職員寮にたどり着き、ジーナはホッと息を吐いた。

 ベッドの上で、指先をこする。

 

「いた……」

 

 連日の皿洗いのせいで、手が荒れている。薬を買いたいが、今の給料ではそれも難しい。

 屋敷に戻れば、もっといい暮らしができることはわかっているけれど。

 

(戻りたくない。……今の方が、気持ちが楽)

 

 ジーナはそう思っていた。

 誰も自分の正体を、公爵家の娘と――『ゲテモノ作りのジーナ・エレメア』と知らない。馬鹿にするような目で見られない。それだけで、とても息がしやすい。

 明日の朝も早い。もう休もうと思った時だった。

 

 ――こん、こん。

 

 窓を叩く音。ジーナは怪訝に思って近付く。

 カーテンを開けて、ジーナは驚いた。子犬が座っていたのだ。

 

「あなたは……あの時の」

 

 窓を開けてやると、子犬はしっぽを振りながら中に入る。そして、ジーナの脚にすり寄った。「くぅーん」ねだるような声を出す。

 ジーナは朝食用に用意しておいたブルスケッタを持ってきて、犬に与えた。薄く切ったパンを焼いて、生ハム、クリームチーズ、トマトを乗せたものだ。

 子犬はしっぽを振りながら、それにかぶりついている。


「こないだ、あなた、喋らなかった?」


 その頭を撫でながら、ジーナは尋ねる。 


「あなたが、この不思議なイヤリングをくれたの?」


 ジーナはイヤリングを外す。すると、その容姿は地味な娘から美しいものへと変わる。

 犬は答えず、食べ終わると欠伸をする。

 その様があまりに呑気なので、ジーナは「……気のせいかな」と思った。

 

「そうだ、名前……どうしよう」


 子犬がじっと目を見つめてくる。すると、ジーナの頭は、ぼうっとなって、

 

「……『ベルヴァ』……」


 と、呟いていた。

 ジーナはハッとして、子犬を見る。

 

(え? この子の名前、今、私が考えたんだよね……?)


 自分で口にしたはずなのに、確信が持てない。

 ジーナが首を傾げていると、子犬――ベルヴァは、そそくさとベッド脇に向かう。くあ……と、欠伸を漏らして、横たわるのだった。

 

 

 +


「ジーナさん。ちょっといい?」


 仕事終わりに、エマに呼び止められる。

 彼女は1本の包丁をジーナに差し出した。


「あげる」

「え……」

「あなた、自炊してるでしょう。自分専用の物があった方がいいわ」


 ジーナは呆然として、それを受けとる。

 表情を変えずに頭を下げた。


「……ありがとうございます」

「いいのよ。それに、これは先行投資」

「え……」

「あなた、料理ができるでしょう」


 ジーナは固まった。

 その言葉で、蓋をしていた記憶が弾ける。


『ああひどい。これはひどい味だ』


 フィンセントの言葉が脳裏によみがえった。ジーナは無表情のまま目を曇らせた。


「美味しくない物しか、作れません……」

「そんな、謙遜なんてしないで。あなたの手際を見ていればわかるもの。だから、そのうち料理の方も手伝ってもらうつもりだから」


 エマはジーナの肩を叩いて、去っていく。

 ジーナは手の中の包丁を見つめる。そして、ため息を吐いた。


 本当ならジーナは、もう料理をしたくなかった。しかし、この学校は貴族向けなので食事の物価が高い。下働きの給料では手が出せず、仕方なく自炊をしていた。

 自分やベルヴァ用ならともかく、学校の生徒相手になんて――料理を作れるはずがない。



 +


 ジーナとエマのやりとりを、物影からじっと見つめている人物がいた。


(何であんな女を……! 私の方が長く働いているのに!!)


 と、思っていたのは、1人の女性だった。

 名はアルビナ。

 彼女はここで3カ月ほど前から働いている。料理人になるのが夢だ。それなのに、厨房では未だに雑用しか任せてもらえない。

 それを不満に思った彼女は、何度もエマに交渉した。料理の腕には自信がある。しかし、エマは「あなたにはまだ早い」とばっさりと言う。


 それなのに、あの女にはあっさりと、あんなことを……!


 アルビナは手を握りしめる。

 ジーナが包丁を棚の中に保管して、去っていく。それを見届けてから、アルビナはそっと近寄った。

 その棚には、厨房の料理人たちの包丁が収められている。その中にジーナの名があることに、アルビナは苛立った。

 彼女は包丁をとり出す。


 ――こんな物。どこかに捨ててやる。


 そう思って、部屋を去ろうとした、その時。


「ひっ……」


 アルビナは硬直した。

 目の前に1人の男が立っていたのだ。

 近付いてくる音も、気配もなかった。


 荒々しい雰囲気の男だった。黒い髪に、赤い瞳。ハッとするほどにその見目は美しい。アルビナは思わず見とれてから、その表情にたじろいだ。

 彼の瞳が怪しく光っている。まるで、アルビナの行為を咎めるように。

 彼女はハッとして、包丁を背に隠した。


「な……何よ、あんた……」

「それは、あいつのだ」


 アルビナは目を見張る。


「あんた……あの子の……?」

「あいつに何かしてみろ。俺が許さねえ……。覚えておけよ?」


 彼の瞳に、火花のような感情が走る。アルビナは喉をひきつらせた。


 次の瞬間――彼の姿は消えていた。


「な……何、今の……?」


 アルビナは恐怖に縛られていた。体が震えている。包丁を元の場所に戻すと、逃げるようにその場を立ち去った。




 +


 宵闇の中に、男が立っている。黒髪赤眼の男だ。

 彼の周りを淡い光が覆う。すると、その姿は見る見ると縮んで、子犬へと変わった。


「さーて。今日の夕飯は何かなー♪」


 子犬はウキウキとした様子で、ジーナの部屋へと戻っていく。



 +


 次の日。

 ジーナは首を傾げていた。


(うーん……?)


 と、怪訝な目で、ベルヴァを見つめる。


「あなた、少し大きくなった……?」

「くーん……?」


 ベルヴァは無邪気な瞳でこちらを見返す。あざとい動作で首を傾げるのだった。

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