10 魔法決闘


 魔法決闘――それは純粋な魔法のみを用いて決闘を行う。敗北者は勝利者の要求を呑まなければならない。この魔法学校では、事前に申請を出し、両者の合意が認められた場合、執行を許可される。


「そんな……」


 ジーナは顔を引きつらせた。先日の騒動で、シストはジーナを庇うためにフィンセントを殴ったのだ。つまり自分のせいではないか。

 この学校での決闘には、厳格なルールが定められている。そのうちの1つに、『両者の合意が必須』というものがある。


「シスト様……っ」


 ジーナはシストを振り返った。「辞退してください」と続けようとした直後、


「反対側も殴ってほしいってことか?」


 シストが挑発的に言い返したので、ジーナは驚愕した。


「魔法決闘は魔法のみで勝敗をつける。物理攻撃が禁止されていることは、いくら落ちこぼれのお前とて知っているはずだ。決闘は明日の朝。――逃げることは許さないぞ、シスト」


 フィンセントは淡々と告げ、去っていく。彼の姿が見えなくなると、ジーナは慌てて言った。


「シスト様、今からでも遅くはありません。決闘は辞退なさってください」

「売られたケンカは買う。今さら逃げ出すなんて、みっともない真似ができるか」


 シストは険しい表情で告げる。

 少し迷うように口をつぐんでから、

 

「明日は、見に来るなよ」

「なぜですか」

「来るな」

「シスト様……」


 強い口調で告げられて、ジーナは言葉を失う。


 

 +

 

(まさかすんなりと了承するとは……。やはり王族の血を引いているとは思えないほどの愚か者だ)

 

 フィオリトゥラ魔法学校は全寮制だ。王族であっても例外はない。ただし、フィンセントの寮室は、一般寮よりも広く、装飾も豪華だ。身の回りの世話をする使用人もついている。

 フィンセントはベッドに腰かけて、明日の決闘のことについて考える。

 

 ――相手はあの落ちこぼれの弟。

 シストだ。

 

 負ける道理がない。

 フィンセントはそっと頬に触れる。先日の痛みを思い出し、怒りが噴出した。

 

(この私の顔を殴ったこと……後悔させてやる)

 

 

 +


 一方、シストもまた、自室で明日の決闘について思いを巡らせていた。

 

 フィンセントが自分のことをよく思っていないことは知っていたが……まさか決闘を申しこんでくるとは。

 シストは苦い気持ちで思った。

 

 フィンセントはこの学校で一番の実力者だ。1年ほど前から急激に才覚を伸ばし、教師からも『100年に1人の天才』と称えられている。

 魔法は魔力を消費して行使する。その魔力量がフィンセントは膨大だった。一方でシストは運動神経こそいいものの、魔法の才能がさっぱりなかった。フェリンガ王国の子供は、6歳になると魔力測定を行う。シストの結果は散々なものだった。平均的な数値をはるかに下回っていた。

 魔力量は訓練により伸ばすことができる。実際、フィンセントは1年前から魔力が増大した。だから、シストも毎日のように魔法を使って、魔力の増加を図った。

 

 結果は――悲惨なものだった。

 魔力量がこれっぽっちも伸びなかったのだ。いくら魔法を使っても、夜な夜な自主訓練に暮れようとも。教師たちも首をひねった。「これは100年に一度の鈍才かもしれない……」彼らは陰でシストのことをそう呼んだ。

 

 シストはやがて学校の授業をさぼるようになった。そのせいでますます「不良」と蔑まれるようになった。

 周りは皆、自分のことを見限っている。

 だが。

 自分で自分のことを、まだ見限りたくはない。シストはそう思っていた。

 授業に出ない代わりに、シストは魔力量を上げる方法を調べ、自主訓練を積んでいた。魔力を伸ばすには、魔法を使うことが一番のようだ。それを目的とするなら、講義に耳を傾けるより、ひたすら魔法を使った方が有意義だ。

 

(とはいえ……結局、成果は何も出てないんだが……)

 

 シストはやるせない思いを吐き出した。

 優秀な兄フィンセント。落ちこぼれの弟シスト。

 両者の決闘――結果は火を見るよりも明らかだ。

 

 考えていても仕方ない、とシストは割り切る。決闘はもう承諾してしまったのだから、今はできることをするだけだ。

 

 シストが使える魔法属性は『風』。もっとも魔力消費が少ない『風弾』のみ。それもシストの場合、1回撃てば魔力が切れる。

 シストは精神を集中させて、詠唱を始める。

 

 『風弾』。起動成功。

 小さな風の塊が飛んでいく。

 

(…………ん?)

 

 いつもならここで眩暈がする。魔力欠乏症を起こして、立っていられなくなるのだ。

 シストは自分の両手を見下ろす。開いて、閉じて、まだ余力が残っていることを確認した。

 

 『風弾』二発目。起動成功。

 

「………………は?」

 

 シストは思わず、声を漏らして、目をぱちくりさせた。

 ……余力は、まだある。

 

 『風弾』三発目。起動成功。

 

 どうなってる……!? シストは驚愕した。

 ずっと、ずっと……気が遠くなるくらい長い年月、訓練してきて、それで今まで何の成果も出なかったのに。

 

 なぜ、今になって急に……?

 

 その日、シストは人生で初めて、魔法を3回連続で発動できた。



 +


 翌日。

 シストが寮の外に出ると、そこで待っている人物がいた。

 

「……シスト様」


 ジーナだ。両手にバスケットを持っている。それをためらいがちに差し出してくる。

 

「差し入れ、です」

「来るなって言っただろうが……」


 シストは苦い表情を浮かべる。

 初級魔法が3回使えるようになったところで……それだけでフィンセントに対抗できるわけがない。きっと、自分は負ける。

 そして、シストはその様をこの少女には見られたくなかった。


 ジーナはぐっとバスケットの持ち手を握りしめる。そして、静かに語り出した。

 

「シスト様は、私の料理を『美味しい』と召し上がって下さいました。

 それに私の心がどれだけ救われたか……。だから……」


 相変わらずの、愛想のないクールな面持ちだ。

 と、思った直後。

 ジーナが顔を上げる。朝日が彼女の顔立ちを照らし、

 

「あなたの応援をさせて下さい。あなたが勝つと信じています」


 その陽光を口元に湛えるように――彼女は微笑した。

 シストは目を見張る。その相貌がとても美しく映ったからだ。

 言葉を失くして、シストはバスケットを受けとった。


「カネストレッリ……俺の好物だ」


 マーガレットの花のような形をしたクッキーである。口に含むと、柔らかな食感。バターの優しい甘みが広がる。胸がじんと痺れ、

 

「……美味い」 

 

 どこか懐かしいと感じるようなその味は――どんなお菓子よりも、美味しかった。

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