推論は盛夏を飛び交う
「…ちょっと待っておくれよ…嘘だ、こんなの…」
下を向いたまま、レジアナは呆然とする。
彼女の左に座ったギャラルは、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「…大丈夫だよ。きっと、思ってたより大した事ないはずだって」
「少し重く捉え過ぎなんじゃないか、レジー。挑んでみたら見えてくるものだってあると思うぞ」
向かいのアレリオスの言葉にも、レジアナは微動だにしない。
遅れてやってきたウィルヴは、苦笑いしながら彼女の右隣に座る。
「いや…これまでの傾向から言うと、レジアナには少々厳しいかもしれないな。何せ今日のは香りで分かるぐらいだ」
「…苦手な魔法詠唱の授業も、この時間があるから乗り切れたってのに…こんなのってあんまりだよ…」
山羊のチーズ、黒パン二切れ。そして、根菜をふんだんに煮込んだスープ。
今日の昼食の主役であるその湯気からは、明らかに胡椒がふわりと漂っていた。
「……辛いの駄目なんだって、私……!」
「はははは、情けないなレジアナ。選り好みしないでしっかり食事を摂れなきゃ、いざって時に頭が回らないぞ」
「さっきの授業で唯一不合格だったのに、その元気はどこから涌き出てるの?」
勝ち誇った顔でスープを飲むラインズに、ギャラルが心底不思議そうに尋ねる。
輝かしい未来を掴み取らんとする若者達は、学食で一時の喧騒に身を委ねていた。
ゴルダ着任から半年。王立兵学校に短い夏が訪れている。
散見された離脱者も落ち着き、在籍している八十三期生は、厳格なゴルダの指導に日々必死に食らいついていた。
彼の課す宿題は、常に限界の際の際である。必然、大半の生徒は余裕などなく、毎日を追い立てられる様に過ごしていた。
無論、ウィルヴ達五人も、各々の得意分野以外では苦戦を強いられている。
だが幸い、彼らは折れる事なく向上心を持ち続け、また、唯一の武器とも言える厚い絆もあった。
漫然とこなす事と、進んで挑む事とは、根本的に意味が違う。
苦手を相互に補い合う事で幾つもの難局を乗り切ってきた彼らは、いつの間にか同期で頭ひとつ抜けた存在になっていた。
「しっかし教官は化け物だな。流石に詠唱の授業じゃ出る幕ないと思ってたんだけどなぁ…お、このチーズ美味ぇ」
ご満悦のラインズに、アレリオスが首肯する。
「俺も驚いたよ。基本中の基本とは言え、『発火』をあれだけ多彩な詠唱で唱えられるんだからな。逆に何が出来ないのか聞きたいぐらいだ」
「本当に、どこにも弱点が見当たらないんだよね…。先月の精神魔法の授業は僕も心が折れかけたもの。あんなに魔法が効かなかった人は初めてだよ」
「まぁ、そうじゃなけりゃ兵学校の主任指導官なんて務まらないんだろ」
苦い顔をしたギャラルに声をかけたレジアナは、自身の右側が静かな事に気付いた。
まただ。最近、ゴルダが話題に上がる度、ウィルヴは独り何かを考えている。
「ねぇ…そろそろ何を思い悩んでるのか、私らに打ち明けても良い頃合いなんじゃない?」
それは努めて柔らかい語調だったが、当のウィルヴには、すぐにそれが逃げ場のない尋問だと分かった。小さく肩をすくめる。
「俺も皆と同意見だよ。ゴルダ教官には隙らしい隙が微塵も見当たらない。剣に魔法、戦略は当然、人格も極めて厳しいところを除けば、非の打ち所のない人物だ」
「随分と高い評価だな。…あーあ、もう終わっちまった。晩飯までまだ相当あるぞ」
恨めしそうに空の皿を眺めるアレリオスをよそに、ウィルヴは話を続ける。
「そう、そこなんだよ。誰の目に見ても明らかに突出している人間が、わざわざこんなところで教官に着任する理由がないんだ」
「その…鬼みたいな厳しさが災いして、陸軍で疎まれたんじゃないのか?」
「だとしてもだよ」
黒パンをスープに浸すラインズに、ウィルヴは向き直る。
「例えば教官の人格に問題があったとしても、あまり人と関わらない部隊に配置転換すれば良いだけの話じゃないか。教官ほど何もかもこなせるのなら、行き先なんていくらでもあるはずだよ。
それに、陸軍がとことん腐っているとしても、有能な人材をみすみす手放すほどには愚かじゃないとも思うし」
「回りくどいね」
ちびちび進めるスープの辛さも手伝ってか、レジアナの表情は険しい。
「結局、ウィルヴは教官がどうしてここに来たと思ってるんだい?」
「内偵…なんじゃないかな」
「何かを探ってる…?あの人が?」
「おいおい、急な陰謀論だな。演劇じゃあるまいし、そんな突拍子もない」
「流石に無理がある気がするなぁ…」
男達が一斉に口を揃えて異論を唱える中、レジアナは思案に耽る横顔を静かに見ていた。
「…ウィルヴがそこまで言うって事は、何か思い当たる節があるんだね?」
「あぁ。…もっとも、まだ確証は得られてないけどね」
そう応じたウィルヴは、簡素な食事に視線を落としている。
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