身上と潜入

「まぁ…ギャラルの見立てた通り。いつもなら、他人の財布になんて手を出したりしないよ」


 笑いながら続けたイーラの顔に差したわずかな影を、ギャラルは見逃さない。テーブルの上に置かれた甘苦い茶を彼女の前へと差し出す。


「今回に限っては、どうしても…という事情があったんだね。僕が何か出来るわけじゃないだろうけど、話すだけでも楽になるんじゃないかな」


 立ち昇る湯気をしばらく眺めていたイーラは、やがて躊躇いながら両手で杯を手にした。目を瞑って静かに茶を飲み込む。


「…あたし、本業は盗賊でね。当たり前だけどギルド組合に所属してんだ。その組合費が急に跳ね上がったの。今までの二倍以上」

「急に二倍以上か…どうして?」

「知らないよ、ギルドの事情なんて」


 話を続けるイーラの顔が曇っていく。


「遺跡調査に地下墓地の盗掘、…大っぴらには言えないけど、貴族のお屋敷からの盗み働き…。あたしだって、それなりに依頼をこなしてきてる。こう見えて腕には自信があるからね。でも、今回ばかりはどうにもなりそうにないんだ。単純に、今の倍働かなきゃならないんだもん」

「ギルドを抜けるわけにはいかないの?」


 無知なふりをしたギャラルの問いに、イーラは諦めた様な顔を向ける。


「もぐりの盗賊なんて、やってけるわけないでしょ。そもそも依頼が回されないんだから。ギルドに籍を置かない盗賊の末路が追い剥ぎや野盗…人を殺めてまでのその日暮らしなんて、冗談じゃない」

「この街を出る…って選択肢は?」

「それも却下」


 茶を飲み干したイーラは、小さい溜息と頬杖をつく。


「どこに行っても迫害されるハーフエルフが何年も何年も流され続けて…ようやく見つけたのがこのアズノロワなんだよ。ここは人が多いからね…隣人がどんな奴かなんて、大概の人は気にしてないから。無関心のおかげで、あたしは問題なく暮らせてるってわけ。

 これがもっと小さな街だったら、間違いなくエルフの連中審問会に見つかってるよ。最悪、今頃この世にはいなかったかもね」

「…立ち入った話をさせちゃったね。申し訳ない」


 素直に小さく頭を下げたギャラルに、イーラは慌てて笑顔を作る。


「いや、いいのいいの!あたしが勝手にペラペラ喋っただけなんだから。ギャラルが謝るところじゃないよ」

「…それにしても、急に組合費が上がったのは一体何なんだろうね…」


 ギャラルは、すっかり粒がなくなったトウモロコシの芯をじっと見やる。


「直接聞いてみないと分からないか、やっぱり」

「…ちょく…せつ…?」




「へぇ…立派なお屋敷に住んでるんだね。盗賊からひと財産築き上げたにしても、これはちょっと凄いなぁ」


 アズノロワの北には、有力貴族達の別邸や大臣、宰相達の邸宅が立ち並ぶ区画がある。その中のとある屋敷の前に、ギャラルとイーラはいた。


「感心すんのはそのくらいで良いから!ね、帰ろうよ!まともに取り合っちゃくれないって!ねぇ!お願い、聞いて!」


 小声で慌て続けるイーラをよそに、ギャラルは小さく何かを呟きながら、門番の下へと独り歩み寄る。

 最初こそ槍を向けられていたギャラルだったが、組んだ後ろ手の指先が不思議な文様を描くと、門番達は深々と頭を下げ、重い扉を気前良く開け放った。

 呆気に取られるイーラにくるりと向き直ると、ギャラルは笑顔で彼女を手招きする。


「おいでよ。通してくれるってさ」

「ギャラル…あんた、何者なの…?」

「調査員」


 豪奢な庭先で剪定鋏を手にする庭師。ツヤのある廊下を磨く従僕。階段ですれ違った侍女。敷地内で忙しそうにするどの人間も、招かれざる二人を目にするや、訝し気な視線を送ってくる。

 だが、ギャラルがぶつぶつと詠唱を呟きながら笑みを浮かべ、その指先がくるりとルーンを描く度、彼らの顔は旧知の人間に再会したかの様に、晴れやかなものへと一瞬で変化した。


「ギャラル…あたし、もう驚き過ぎて疲れてきたんだけど」

「それは良かった。一生できっと何回もないよ?そんな経験」


 イーラに飄々と返したギャラルは、屋敷に入ってから一度も足を止める事なく歩き続け、主の部屋の扉を大きな音でノックした。

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