邂逅と別解

 音高く鳴らしたノックへの応答より早く、重々しく扉が開いた。どうやら先に来客があったらしい。

「おっと」と呟いたギャラルは廊下の端へと退き、小さく頭を下げて待つ。見様見真似でイーラもそれに倣った。


 やがて部屋から姿を現したのは、長身痩躯の男だった。好天には似つかわしくない墨色の外套をはためかせ、暗く淀んだ双眸は前だけを向いている。



(…え……なんで…?!)


 ちらりと顔を確認したイーラは次の瞬間、男の放つ異質な空気に息を呑んだ。殆ど同時に、全身を汗がじっとりと包む。それは、長く裏稼業に身を置いているからこその、本能からの警告だった。


 以前、目にしたのは何の式典だったか。その時も薄々感じてはいたが、この距離で出くわした今、改めて痛感する。


 やっぱり、この男は。およそまともじゃない。



 生きた心地のしないイーラをよそに、長身の男の足音は二人の前を過ぎ去り、遠ざかっていく。一拍を待ってギャラルが扉に手をかけたその時、足音は背後でぴたりと止まった。


「何者だ」


「…ただの侍従でございます」


 平然と返したギャラルだったが、その口角は上がっている。



 屋敷に入ってから施した幻術は、二人の姿を侍従と侍女として周囲に認知させているはずだった。事実、今に至るまで、出会ったどの人間にも一切怪しまれていない。


 この精神魔法に違和感を覚えられる人間など、そうはいない。だが、今回は相手が相手だ。ない話ではない。



「そうか」


 短く呟いた長身の男――デルヴァン十将第四席シュナイゼン――は、二人に背を向けたまま低い声で続ける。


「どうやら鼠がいる様だ。速やかに屋敷から追い出せ」

「かしこまりました」

「あまり派手に駆け回る様なら駆除せねばならん」


 遠ざかっていく足音が聴こえなくなると、イーラは糸が切れた様にその場にへたり込んだ。


「……生きた心地がしなかったよ…殺されるかと思った…」

「相手は名だたる十将様だよ?いきなり命を奪うなんて事はしないさ。ま、…幻術に違和感を覚えたのは流石だったけどね」


 小さく声を上げて笑ったギャラルに、イーラは詰め寄る。


「ねぇ、なんで?なんであんな大物が、盗賊ギルドの元締めに会いに来てんの?」

「それをこれから確かめなきゃ」


 口角を上げて返したギャラルだったが、その眼は既に笑っていなかった。




 デルヴァン王国に潜伏し、調査を進めるギャラルの前に現われた存在。それが暗殺者ギルドだった。

 杳として知れない組織である一方、王国の歴史の転換点には、必ずと言って良いほど、暗躍したであろう痕跡が仄見えている。


 もっとも新しい記録は、穏健派と意見を二分する急進派の凋落だった。急病に倒れた王弟ゼヌーデルスの病に始まり、派閥の主要人物が相次いで失脚や落命、謎の失踪を遂げている。

 一部の噂好きの間では、十将第一席「至宝たり得る」ガウロが、暗殺者ギルドを動かした粛清だったと囁かれている。


 第四席シュナイゼンは、暗殺者ギルドの長を兼務している。これまで歴史の闇に潜んでいた人間が表舞台に現われた事には、必ず意味がある。ギャラルはそう踏んでいた。



「まぁ…何をしようとしてるのかまでは、現時点じゃ分からないけどね」

「…それがギャラルの中で、盗賊ギルドと、どう繋がったの?」


 屋敷を後にした二人の影を、暮れ始めた夕陽が長く伸ばしていた。


「盗賊と暗殺者。ただでさえ裏の世界は狭いからね…大きな力は二つも並び立たない。そして一方は国の歴史にまで関わってるとされてる。ここから見えてくる答えはひとつ」

「…盗賊ギルドは、暗殺者ギルドの下部組織…」

「ご名答」


 首を傾げながら応じたイーラに、ギャラルはにこやかに微笑む。



 この仮説は、精神魔法に操られた元締めの自白によって実証された。組合費の上昇は、やはり暗殺者ギルドからの要請によるものだった。

 先にも口にした通り、彼らの詳細な狙いは不明のままだ。だが、裏稼業から巻き上げた綺麗とは言い難い金が、真っ当な事に使われるとは思えない。


 母国スロデアの六災収集阻止、或いは強奪。その先でわずかにはらむ、戦の可能性。



「…ねぇ」

「ん?」


 思案に耽っていたギャラルを、隣で歩を進めながらイーラが覗き込む。


「ずっと思ってたんだけどさ…ひょっとしてギャラル、あたしにわざと財布んじゃない?ギルドとの繋がりが持てたら誰でも良かったんでしょ」

「半分当たりで半分外れ…ってとこかな」


 二人の姿は裏通りの川べりにあった。沈みゆく茜を、夜が静かに浸食していく。


「魔法で財布を盗ませたのは認めるよ。ギルドの真意を知る必要があったからね。組合費の件で、仮説は間違っていないと思えたのは幸運だったけど。

 ただ、相手は誰でも良いわけじゃなかったよ」

「…あたしを選んだのは、忌み嫌われるハーフエルフだから」


 イーラはぼんやりと川面を眺める。映り揺蕩う灯は少なく、人通りはない。


「急に死んでも、ギルドの人間は『審問会か』って思うだけ。…いなくなっても問題のない奴を選んだ」

「どうしてそう思うの?」

「今日初めて会ったあたしに、ここまで調査の内容をペラペラ喋るだなんて…そりゃ、多少の勘があれば誰でも気付くよ」

「そっか」


 イーラは静かに首を回した。一層濃さを増した夕闇に、ギャラルの表情は読み取れない。ただ、その口元がわずかに動いた。


「それじゃあイーラ、お別れだ」



 女盗賊イーラの消息は、その日を境にぷつりと途絶える。


 彼女自身の想像通り、訝しがっていたギルドの組合員達は、数日もすると「エルフによる粛清だろう」と、誰も気に留めなくなった。




 半月後。ギャラルはアズノロワ王城にほど近い聖堂を訪れていた。


 正面に据えられたゼダ神の彫像に向かって多くの長椅子が並べられ、信心深い民衆が数人、目を瞑り手を合わせている。

 長椅子のひとつに座ったギャラルは特に祈るでもなく、彫像の造形をただ目でなぞっていた。

 しばらく経った後、目深にフードを被った修道服の人影が、その隣に座る。


「分かったよ、リュンって修道士だ。十将七席、ラナロフ様の間者をしてるみたい」

「ラナロフ…堅物の将軍か。うん、悪くないな」


 わずかに逡巡したギャラルは、一息つくと大きく伸びる。


「ありがとう、助かったよ。でさ…昼食がまだなんだ。この後一緒にどう?」

「良いね!あたしも丁度お腹減ってたところだし、」


 フードの奥で、わずかに尖った耳が髪を跳ね上げる。


「綺麗にトウモロコシ食べるところ、また見たいなって思ってたんだ!」



【完】

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