どこ行こうってんだい

「本当に一人で大丈夫ですか?」


 流石に不安そうな眼をしたネネイの頭に、レジアナは優しく手を置く。


「あぁ、問題ないさ。それに私がこんな有様じゃ、皆の調子だって狂っちまうだろ」


 頬を掻きながら苦笑いしたレジアナに、ネネイは何も反論出来ずにいた。



 レジアナ曰く、彼女にしか見えない犬は、どうやら目的地がある様に思えるという。その証拠に、どこにも行かずに彼女達の周辺にい続けているのだと。


 だが、いかんせんその存在をはっきりと感じられるのはレジアナただ一人。何もない空間に話しかけては満面の笑みを見せる様子は、普段を良く知っている者なら尚更、どうしても困惑が勝ってしまう。

 どこかぎこちない空気をすぐに察したレジアナは、自分だけで犬の後を追い、ネネイ達分団員には、先の依頼に急がせる決断に踏み切ったのだった。



「向こうで待ってますからね!どうか気を付けて!」

「総団長、しっかり頼みますぜ!」


 遠ざかる分団員達の馬影を見送った後、「さてと」とレジアナは視線を落とした。馬の傍らでこちらを見上げる犬が、自分だけに確かに見える。


「これで二人きりだよ。お前は私をどこに連れて行きたいんだい?」


 殊更に優しい口調で話しかけると、犬はまるで言葉を介するかの様に、短い手足でトトッと駆け出した。それを見たレジアナはすぐに馬に跨り、努めて静かに後を追う。




 良く考えたら分かる話だった。相手は幽霊ゴースト、つまり魂と思念だけの存在。どれだけ長く走ろうが、途中で休まなかろうが、疲労という概念がない。

 この世のものではないからなのか、それとも生前からそういう気質なのか。理由は分からないが、犬は一度駆け出すと際限なく疾走し続けた。


「ち…ちょっと待ちな!こいつがぶっ倒れちまうよ!」


 苦し気に荒く息をする馬は、口の端から泡を吹きかけている。

 堪らず手綱で制したレジアナは、徐々に速度を落として愛馬を歩かせた。脚が前に進まなくなるや、すぐに鞍上から飛び降り、丹念に何度も首筋を撫でる。


「済まない…すっかり無茶させちまったよ。ちょっと休もう、向こうに小川もある」


 ハミを手に馬を誘導しながら、レジアナはちらりと犬を見やった。

 低い茂みを背にした犬はこちらに顔を向け、ちょこんと座って動かない。馬ががぶがぶと小川の水を飲む間も、実に大人しくしている。真っ黒な無垢の眼差しに、レジアナは我知らず呟いた。


「なぁ…お前は私をどこに連れて行く気なんだ?」




 レジアナの疑問は、日暮れが近づくとより一層強まる結果になった。


 ただでさえ街道から大きく逸れた上、小さな身体が先導していくのは、デルヴァン王国との国境を形作る山脈の、鬱蒼と茂った森の中である。

 それでも馬を降りて引いていたレジアナだったが、遂に山道からも外れ、茂みの中へと犬の姿が消えていくと、諦めた様に溜息を吐き、近くの大木へと馬を繋いだ。


「少し待ってておくれ。必ず戻るから」


 鼻面をひと撫でした後、レジアナは視線の先の小さな姿だけを頼りに、ランタンを手に未開の森へと踏み込んだ。


 苔むした山肌には、幾つもの植物が他意なく絡み合って生い茂り、彼女の行く手を阻む。すっかり降りてしまった夜の帳もまた、レジアナの行路をより険しくしていた。

 だが、光などあるはずもない闇の山中に、犬の姿だけは不思議と浮かび上がる。倒木を蹴り、飛び石を跳ね、たまに振り返りながら、小さな先導者は先へ先へと進んでいく。

 仄見えるその姿だけを見据えて、レジアナは必死に歩き続けた。厚手の葉に頬を切られ、折れ曲がった枝に太腿を傷つけられても、決して足を止めない。


 そして。


「……これは……」


 外観の殆どを大地に呑まれる様な形で、未だ踏み入った形跡のない遺跡が、レジアナの前に大きく口を開けていた。

 彼女にしか見えない犬は手前で一度立ち止まった後、その暗澹の中へと掻き消えていった。

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