翼、はためく先に

「今回はすっかり無理聞いて貰ったな、済まん。だがお陰で助かった」


 スロデア城に幾つか用意されている来賓室。そのうちのひとつで深々と白髪頭を下げていたのは、政務大臣付きの主席補佐官、ニィズラールだった。


「どうか顔をお上げ下さい。亡き父が病床に伏した折に良くしていただいたご恩…これで少しでもお返し出来ていれば良いのですが」


 小さなテーブルを挟んだ向かい、ゴルダは生徒達には見せた事のない柔和な笑みを湛える。


「お返し出来てるさ、充分過ぎるぐらいにな。…それに、お前の親父さんにはそもそも俺が世話になってるんだ。おかしな気の遣い方は止めてくれ」


 ひとつ笑ったニィズラールは、杯の茶をぐいと飲み干した。それでもわずかに白む息を見ながら、ぼそりと呟く。


「…これで少しは良い方に転がりゃ良いんだが」

「我々は手を尽くしました。お互い、希望は失わぬ様にしたいところです」


 そう応じたゴルダの視線は窓の外へと向けられた。スロデアは厳しい真冬の只中。間断なく吹き付ける雪風の音が、彼の心をざわつかせている。




 密命を受けて潜入した王立兵学校では、ニィズラールの見立て通り、運営財源の一部が掠め取られていた。

 主犯は校長ら古参の指導官、合わせて五名。彼らを通して流出した金は、ある有力貴族の懐へと舞い込む形が出来ていた。


 国庫から兵学校に充てられる財源など、たかが知れている。ひと月あたりの横領の額は決して多いとは言えない。

 問題は期間だった。校長が着任したのは八年前。下調べや偽装工作を施した上で横領に手を染めたのが一年後。

 実に七年もの間、運営資金から様々な手段で削られた金が連綿と流れ出ていた事になる。


「…結構衝撃的な事件のはずなんだがな」

「誠に遺憾としか言いようがありません」


 そうこぼしたニィズラールの眉間に深い皺が寄ると、つい先ほど希望を口にしたはずのゴルダの顔にも、色濃い影が差した。



 有力貴族達が列席する会議の席上、声高にニィズラールが糾弾した件の横領は、未だ王城の壁を越えていない。

 スロデアの民衆はおろか、城内で働く人間の半分以上が、浅ましく汚れた金の流れを知らないままでいる。



「あーあ…嫌んなっちまうぜ。いつまで貴族共の尻ぬぐいをやらなきゃならねぇんだよ。馬鹿馬鹿しいったらねぇな」


 頭の後ろで手を組み、投げやりに言い放ったニィズラールの様子が、ゴルダには少し可笑しく映った。思わず口の端をほころばせると、自身の放言に気付いた首席補佐官は、もっともらしく咳払いをする。


「まぁ何にせよ、俺の頼み事はこれでおしまいだ。いつ国境警備隊に戻っても構わねぇぞ。そのへんは上手く取り計らっておくからよ」

「その話なのですが…もう少しだけ、教官でいさせては貰えないでしょうか」


 背筋を正して少し頭を下げたゴルダに、ニィズラールは目を丸くする。


「驚いた……どういう風の吹き回しなんだよ。赤竜レギアーリから助け出した子供にも『手を焼いてる』って、この前言ってたじゃねぇか。教壇に立って感化されたのか?」

「感化…なのでしょうかね」


 応じたゴルダの双眸に、慈しむ様な輝きが灯る。


「今、私が受け持っている八十三期生には興味深い者が多いのです。もし彼らが大成するなら、上から腐っているこのスロデアを変えてくれるのではないかと……いや、少し言い過ぎかもしれませんが」

「良いじゃねぇか。若い者に可能性が見出せるんなら、存外、この国も捨てたもんじゃねぇぞ」


 心から愉しそうに笑ったニィズラールは、グッと身を乗り出す。


「その中から、いずれ俺の下に就く奴も出てくるかもしれねぇな。どうだ?こいつなら…って思う奴、今いるか?」

「えぇ、勿論います」


 そう言ったゴルダは、何故か含み笑いを噛み殺している。


「彼ならきっと、ニィズラール様に歩調を合わせられるでしょうね。…もっとも、最初は相当に手を焼きますが」

「おいおい、めんどくせぇ奴ぁ却下だぞ。ただでさえまつりごとで手一杯なんだ、こっちは」


 しかめ面で肩を竦めてみせた後、ニィズラールは、暖かくほどけた表情を見せた。それは、まだ見ぬ雛達からわずかな、そして確かな希望を感じたからかもしれない。




「……結局、何も変わらなかったな」


 誰が言うともなく踊り場に集まった五人の顔が暗いのは、底冷えする寒さのせいだけではない。


「何も変わらないどころじゃない。何も出来てないんだ、俺達は」


 アレリオスが悔しそうに唇を噛む。


 兵学校にはびこる横領を看破しても尚、彼らは動く事を許されなかった。

「『何故ですか』などと聞くなよ」とは、ゴルダが冷徹に言い放った一言である。



「そうさ。言っちまえば、私らはまだ子供。大人に肩を並べて疑惑を追及するなんて、あっちゃいけない事態なんだよ」

「……悔しいね……」

「同感だ。今、俺達に出来る事は何もない」


 俯くレジアナの隣、強く拳を握るギャラルの肩に手を置いたラインズが続ける。


「だから、ここからだ。自分の手で思う存分やりたい事が出来る様に、力を付けていくんだよ」

「ラインズ、正気か?」

「俺はいつだって正気だったろ」


 呆気に取られたアレリオスをよそに、ラインズは皆を見回す。


「もう悪戯すんのは止めだ。今にも死にそうなスロデアを、俺の手で蘇らせてやる」

「実は私も……少し、やりたい事が出来たんだ」


 気恥ずかしいのか、レジアナは明後日の方を向いている。


「休暇の度、何度もアスーノーンに足を運んで分かったんだ。陸軍の全部が腐敗してるわけじゃない。私は陸軍から、この国を変えてやるんだ」

「そうなると、俺はいずれレジーと肩を並べる日もあるかもしれないって事か。今から楽しみだ」


 ゆくゆく副総督の地位が決まっているアレリオスが満面の笑みで応じる中、ギャラルも静かに話し始める。


「僕は、…正直、精神魔法ぐらいしか取り柄がないと思ってたんだ。他に何も出来ないからね。でも今回、ああやって色んな人を相手に情報を集めて、そこから推測する事が自分の性に合ってるって思えた。となると、…目指すべきは調査機関なんだろうけど」

「大変だって噂だぞ?陸軍とは思えない逸材が集まってるらしいしな」

「ギャラルは先ず足腰の弱さをどうにかしなきゃならないぞ、うん」

「ちょっと…今から不安にさせないでよ…」


 

 まだ知れない行く先を見据えながらも、男達は賑やかにふざけ合う。三人を微笑みながら眺めていたレジアナは、隣で一緒に腕を組むウィルヴへと視線を移した。


「…で?ウィルヴも何か見つかった?」

「まさか。全員、今回の件で早々に目標が見つかるなんて都合の良い話はないよ。俺はまだまだ悩ませて貰うとするよ」


 柔和な笑顔を返したウィルヴは、窓の外へと目をやる。



 口にした通り、目標は未だに見つからない。だがレジアナの言うは確かに見つかった。


 暴かれたはずの腐敗が何ひとつとして波風を立てず、変わらない日々が続くのは何故だ。

 真実を突き止めた教官、白日の下に晒した補佐官、それを耳にした多くの重臣。彼らが動かないのは何故だ。



「…いずれ誰かが、やらなきゃならない」


 何かを見据えたウィルヴの呟きは、窓を鳴らす険しい風に掻き消えて行った。



【完】

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