貴婦人の掌

「…という事での、わしら二人は見事に魔獣『赤目』を討伐せしめたというわけじゃ!」



 バジリスク討伐を成し遂げ、折り返しての五日後。


 コルベーリ領城の一室で、ダズナルフは戦勝報告さながらに立派な胸板を張ってみせている。

 達成感で高揚しているのだろう、向かいに鎮座する妻の冷淡な表情などお構い無しといった具合である。


 そう。有り体に言ってしまえば、大叔父は間違いなく調子に乗っている。

 無論、二人を交互に見やるザラーネフの心中は全く穏やかではない。


「ザラーネフ」

「はいっ!」

「その顔は名誉の負傷ですか」


 アーレヴィーが一瞥をくれた先、落ち着かない様子のザラーネフは、左の頬から首を紫色に大きく腫らしている。


「これですか…名誉の負傷ならまだ格好もつくというところですが」




 バジリスクが絶命し、二人が互いに健闘を称えあったしばらく後。

 満面の笑みで呼吸を整えながら、ダズナルフは甥を振り返る。


「さて…討伐したは良いが、何を以て証とするかよの。例えば今の激戦を土産話としたところで、あれが素直に討伐を信じるとは到底思えぬ。あやつは服を着た猜疑心の権化だからの」

「…大伯母様がおられぬところで結構な物言い…そのうち必ずや罰が当たりますぞ」


 応じながら身体の芯から震えたザラーネフだったが、ダズナルフの言い分も一理ある様に思えた。

 本来なら、討伐の証拠として首のひとつもぶら下げて帰るべきなのだろうが、巨躯のバジリスク相手では、そうもいかない。


 爪、牙、尾の先、角。容易に持ち帰れるとするならこの辺りが無難には思えるのだが、何せ相手が相手である。


「…爪や牙程度、交戦の最中でさえ折り取れるもの。これらを以て討伐完了とするのは、少し難があります。何より、大伯母様にご納得いただけるとは思えません」

「そうよなぁ…では目玉はどうじゃ、目玉は」


 二人で抱えた目玉をアーレヴィーの前にどちゃりと置く想像を膨らませ、ザラーネフは流石に眉根を寄せた。


「確かに討伐の証にはなり得ますが…幾分、刺激が強過ぎるかと」




「…相談を重ねた結果、舌を切って持ち帰る事にしたのですが、切断を行った際、俺の頬が猛毒の牙を掠めてしまいまして…恥ずかしながら、ご覧の有り様です」

「その舌なら、先程私も確認しました。…あれはあれで、相当に酷い絵面ではありましたが」


 敷布よろしく中庭に広げられたバジリスクの舌を思い出したのか、アーレヴィーの鼻に小皺が寄る。


「貴方がたの動向は、追跡した密偵から逐次報告を受けています。故に、討伐をどう伝えるべきか悩む必要など皆無。勿論、証の品など不要でした」


『それならそうと初めから仰って下されば良いものを…密偵がいたと知っていたなら、顔の半分を腫れ上がらせずに済んだのですぞ!全く…大伯母様も人が悪くていらっしゃる』


 心の中で強く反論したザラーネフだったが、実際に口を突いて出たのは「流石は大伯母様」という精一杯の取り繕いと愛想笑いだった。



「その上で」


 改めて凛と発されたアーレヴィーの語調に、二人の口は閉じ、背筋がしゃっきりと伸びる。


「討伐は見事でした」

「で、では!」

「ですが」


 浮き足立ったダズナルフを鋭い眼力で黙らせた後、アーレヴィーは更に続ける。


「この成果を以て、あなたの収集品が有用であるという判断は出来かねます」

「な…何故ですか、大伯母様!」

「分からぬお前ではないでしょう、ザラーネフ」


 今にも泣いてしまいそうな甥を一瞥すると、アーレヴィーは口だけを淡々と動かす。


「貴方がた二人は他ならぬデルヴァン十将。しかも、とりわけ武に秀でた身です。貴方がたならば、大概のがらくたであっても器用に扱い、即座に己の力とするなど、雑作もない事。

 よって、今回の討伐のみでの判断はせず、保留と致します」


「……保留……?」


 言葉の意味が分からず小首を傾げたダズナルフを、感極まったザラーネフが飛びつく様に強く抱き締めた。


「やりましたぞ、大叔父殿!自慢の収集品、先ずは無事が約束されました!」

「…そう…なのか?」

「えぇ、間違いありません!少なくとも、今すぐに売り払われる様な憂き目には遭わずに済みますぞ!」

「お…おぉおぉ、そうか!そうかそうかぁー!」


 うっすらと目に涙を溜めるザラーネフと、心の底から嬉しそうなダズナルフ。

 デルヴァンが誇る二人の猛将は、子供の様に声を上げてはしゃいでいた。そして。



「…いつまでも愛くるしいお方です、本当に」


 思わず滑らせたアーレヴィーの口元に、珍しくダズナルフが気付く。


「……今、何か申したか?済まぬ…騒いでおって聞こえなんだ」

「小遣いは当面減額と申し上げたのです」


 どさり。


「大叔父殿、お気を確かに!大叔父殿ぉー!!」


 膝から崩れ落ちたダズナルフを案じるザラーネフの声が、コルベーリにこだまする。



【完】


 


 

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