丁度良く収まる
「今回は長旅だったし、流石に疲れたみたいだね。大丈夫かい?」
まだ帳を下ろさない夏の茜。フクロウ亭へと帰路を急ぐレジアナは、就任したばかりの若き副長を優しい眼差しで見やった。
もっとも、当のネネイは、気遣いは不要とばかりに隣でぷくりと頬を膨らませている。
「私の心配をする前に、団長はもう少し思慮深さが必要だと思いますよ。あの数のゴブリンを挟み撃ちにするなら、少なくとも事前の準備が」
「あぁもう、分かった分かった…問題なく依頼はこなしたんだ、お小言なら杯片手で頼むよ。今は勘弁しておくれ」
肩をすくめたレジアナが扉を開くと、心地良い喧騒が彼女をどっと吹き抜けた。
酒場を埋め尽くす傭兵達に労われながらいつもの席に腰を下ろし、レジアナは小さく息を吐く。ネネイが既に注文していた麦酒が運ばれてくるや、喉を鳴らしながら一気に呷った。
「…そうそう、お小言と言えば…」
目を細めたレジアナは、離れた席の一団の中にセルエッドを見つけると、微笑みながら頬杖をつく。
「何度言ったら分かるんですか…テーブルは酒や食事を並べるところ。座るなら椅子です」
「セルエッドは本当にいちいち細かいねー…楽しかったら良くない?」
「良くありません。貴女は分団長なんですよ?最低限の礼儀作法ぐらいは知っておかなければ、団員達に示しがつきません。はい、降りて下さい」
くたびれた顔で腰に手を当てるセルエッドと、口を尖らせてすごすごとテーブルを降りるニザ。「今日も今日とて」という言い回しが、これほどしっくりくる風景も、そうはない。
ただ、一見今までと何ら変わらない二人の作り出す空気は、周囲にもわずかだが伝播してもいる。
「そうやってむくれんなよ、分団長。今のは副長の言う通りだと思うぜ」
「俺らも大概頭悪ぃけどよ、流石にテーブルにゃ座らねぇよ。な?」
「確かに、そこは大丈夫ですけど…最低限という話なら、毎日微妙に遅刻するのは止めるべきです」
そう応じたのは、陽気な荒くれ者の多いニザ分団には似つかわしくない、見るからに生真面目な佇まいの傭兵だった。
まだ若く経験も浅いのだが、いかめしい顔付きの先輩らを前に、一切臆せず思いを口にする。
「少しだから問題ないと思っているのなら大間違い…そうした小さな積み重ねが信頼を損ねてしまうんです。
皆が皆、貴方に感化されて同じ様な調子になってしまったらどうです?分団の、ひいてはフクロウ団の評判を下げてしまうんですよ?」
事の大小こそあれ、一般人のそれよりも込み入った事情を持つ者が傭兵に身をやつす。
ただ、個人の内情と性格や価値観はまた別の話だ。良く言えばざっくばらん、悪く言うなら過干渉。傭兵達の醸し出す独特の空気に打ち解けられず苦労する者も、フクロウ団にはわずかにだが存在していた。
この小さいが見過ごせない問題については、レジアナも充分把握している。だからこそ、なる様にしかならないとも思っていた。それもまた、己を知り他人を知る、成長の過程のひとつだからだ。
だが、苦しんでいたはずの彼らが、この半年で明らかに変わった。これまでの様に一歩引いて俯瞰するのではなく、むしろ大きく踏み込み、果敢に立ち向かっている様にも思える。そして。
「…そうだな、お前の言う通りだ。ちっとぐらい構わねぇだろって気持ちが、…なかったって言ったら嘘になるわ。もっとしっかりしなきゃならねぇな」
「俺も…だらだら明け方まで酒飲むの止めるわ。寝坊の原因、多分それだからよ」
若輩の前に並んで、肩を落とす歴戦の傭兵の姿に、思わずレジアナの眼が細くなる。こんな光景を目にする日が来るとは思わなかった。
粗野でがさつ。言葉も汚ければ学もろくにない。そんなはみ出し者の彼らでも、真っ直ぐ向けられた真摯な熱に響く心根だけは持っている。
だからこそ、自分達とは違う価値観や考えも、それが正しければ正しいほど、素直に受け入れられるのだろう。
『あんた…最近、急に皆の輪の中に食い込む様になったじゃないか。何かあったのかい?』
『うーん…自分に何かあったわけじゃないんですけど、』
少し前に若い傭兵とかわした会話を、レジアナは思い返した。
『影響を受けてるとしたらセルエッドさんですよ。副長を拝命してから、あんな強面で乱暴な皆を相手に、少しも怯まないで自分の意見をはっきり言うじゃないですか。副長を見てるうちに、どこかで出し惜しんでた自分に気付いたんです』
同じ様な話をしてくる者を、レジアナはアヴォルノやクーゼルクの分団でも知っている。
「…不思議と丸く収まるもんだね」
独り口角を上げるレジアナの耳に、落胆する口ぶりのセルエッドの声が、生き生きと聞こえてきた。
「良いですか、分団長…何でも素手で掴んではいけません」
【完】
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