青年は言葉をかわす

「……気持ち悪い……」


 スロデア王都クバルカン。大通りの角を何度か曲がった先の路地で、ネルエスはぐったりと座り込んでいた。大きく何度か深呼吸をして顔を上げるが、また込み上げるものを感じて縮こまる。



 深刻な人酔い。


 全部で四十人にも満たない小村で暮らしていた彼にとって、王都の人口はもはや狂気的だった。月に一度、獣の革を売る為に訪れていた麓の街でさえ、充分に華やいだ場所だったというのに、クバルカンの賑わいはその何十倍もある様に思える。

 どこを歩いても人、人、人。生まれてから今まで、これほどの人間や亜人を目にした事のないネルエスの緊張と混乱は、到着早々、限界を迎えてしまっていた。



「…疲れた…」


 膝を抱えたネルエスは、行き交う人をぼんやりと眺める。


 こんなに大勢の人間や亜人が、それぞれ何かの目的があって歩いているという事自体、全く実感が湧かない。これでいて祭でも何でもないというのも、にわかには信じられない。

 勿論、いつまでもこうして呆けていても埒が明かないのは分かっている。だが、何と言うか……ちょっとこれは、気後れどころじゃない。


 初めて目にした繁栄にすっかり呑まれたネルエスは、しばらく動けないままでいた。



「おい、そこの兄ちゃん」


 不意にかけられた声に、ネルエスは顔を向けた。屈強そうな数人の男がこちらを見下ろしている。


「え…な、何でしょう」

「見たところ、田舎から出てきたばっかりだな。その外套だと…出身は南の方か」

「あ、はい。アスダの双子山の奥です」


 突然の事態に、ネルエスは狼狽えながらもゆっくり立ち上がる。

 改めて向かい合った男達は皆、腕は太く、胸板も厚い。特に、ネルエスに声をかけてきた男は、一団の中でもひと際堂々とした体躯の持ち主だった。

 頭を綺麗に剃り上げたその男は、がははとひとつ大きく笑う。


「遠路はるばる来たもんだな。って事ぁ…大方、人酔いか。向こうはでかい街がねぇからな、無理もねえ」

「良く…分かりましたね」

「なに、俺も田舎の生まれってだけよ。こっちに来たばっかの頃は兄ちゃんと同じ、目を白黒させてたぜ」


 またひとつ、愉快そうに男は笑った。威圧的な風貌に反して、その表情と声色は親しみやすい。


「ざっと見たところ、荷物もあるし…物乞いじゃねぇよな。道にでも迷ってんのか」


 問われたネルエスは、本来の目的を思い出して半歩前に出る。


「そうなんです。傭兵ギルド…って、どこにありますか?」

「なんだよ、同業者か。…いや、違うな」


 目を丸くした男はニッと笑う。


「さては、これから傭兵になろうってんだな?大歓迎だぜ、仲間が増えるのはよ!」


 人好きのする笑顔に、ネルエスは思わず詰め寄る。


「よ、傭兵なんですか?お願いです、僕を仲間にしていただけませんか?何でもやります、あと弓には自信があります!」

「弓か……うん、悪くねぇ。うちにゃ使い手が少ねぇからな」


 腕を組んだ後、男は少し困った様な顔を見せた。


「…と言いてぇところなんだがな、うちはもう大所帯でよ。これ以上になると俺の手が回らなくなっちまうんだ」

「そうですか…」

「悪かったな、ご期待に添えなくて」


 あからさまに落ちたネルエスの肩を、男は大きくひとつ叩いた。


「ギルドはこの先真っ直ぐだ。俺たちみてぇな柄の悪いのが外にもわんさか集まってるから、近くまで行きゃすぐ分かるはずだぜ」

「ちょっと…頭領、酷くねぇですか?俺たち、そんなに柄悪いですかね?」

「お前、鏡って道具、知ってるか?」

「ぎゃははは!仕方ねぇよ、こいつ目も頭も悪ぃから!」

「そう言うお前が一番悪人面だがな」

「嘘だろ?頭領こそ、鏡見たことねぇのかよ?」


 喧しくはしゃぐ傭兵達を見ながら、ネルエスの心がじんわりと暖かくなる。


 物言いは乱暴だし、外見だってお世辞にも小綺麗とは言えない。けれど、こうしてどうでも良い事を言い合える様な関係は、村にはなかった。そもそも、若者の中じゃ一番の年長者だった。


 僕にも、こういう仲間が出来るかもしれないのか。


「色々とありがとうございます、またどこかで!」

「そうだな、同業ならどこかで顔を合わせる事もあんだろうよ。そん時はひとつ宜しく頼むぜ」


 深々と頭を下げた後、駆け出していくネルエスの後ろ姿に、禿頭の男――黒鉄の戦槌団頭領ドーザンは、眩しそうに目を細めた。

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