青年は見えていない

「一匹そっちに行った!頼むぞネルエス!」


 名を叫ばれたネルエスは、その時初めて、弓を手にしたままでいた事に気が付いた。慌てて腰に佩いた長剣を抜いた時には、既に目の前の低木を薙ぎ倒して、手負いのオークが肉薄している。


「くそっ!」


 振り下ろされた手斧を紙一重で転がってかわし、渾身の力で斬り上げる。脇腹を深く抉った手応えと共に、魔物の口からおぞましい断末魔が響き渡った。

 でっぷりとした肉付きの良い身体が力なく傾き、ネルエスに覆いかぶさる様に絶命する。


 「うわ!」


 二度も地面を転げる羽目になり、下敷きこそ免れたものの、落ち葉や土にまみれたネルエスは荒く肩で息を繰り返していた。

 事切れたオークを前に、興奮と落胆が代わる代わる押し寄せる。



 故郷の寒村にも、勿論魔物は出る。その度にネルエスは若い力として引っ張り出され、村民に重宝されてきた。当然、それなりに経験を積んできた自負もあった。

 だが、いざ傭兵になってみると勝手はまるで違っていた。足元さえおぼつかない遺跡や、鬱蒼として昼夜も分からない森といった環境下、村を襲ってきていたのとは桁違いの数の魔物を迎え撃つ。


 村での魔物の撃退は、牛飼いの合間の片手間でもこなせていた。

 思うに、自分達人間に苛酷な山間は、魔物にも同様に生息しづらい環境だったに違いない。だからそれほど数も多くなかったんだ。



 傭兵に身をやつしてもうすぐ四週間、そしてようやく三つ目の依頼。ネルエスは、まだまだ調子が掴めずにいた。



「とりあえず調査は終わったな。街に戻って報告だ」


 先輩傭兵の剣士が、刃に付いたオークの血をぼろ布で拭いながら言う。


 スロデア北部の森が、今回の探索先だった。

 遺跡が眠っている可能性があるという話だったが、一週間を費やしてくまなく探し回った結果、ここには何もない事が判明していた。


「今回は目立った怪我人もいなかったから、魔力も薬も残ってる。首尾は上々だよ」

「そうですか、良かった…」


 安堵の表情を浮かべた神官を横目に、ネルエスも同様に胸を撫で下ろす。

 前の依頼で、農村の用心棒を引き受けた時は酷かった。二十人程度の野盗の撃退は三日三晩続き、どうにか勝利を収めた頃には、五人のうち三人が怪我や疲労で全く動けなくなっていた。

 名の知れた傭兵団でも、やっぱり苦戦するものなんだ……そう知ったネルエスは、自分もささやかだが力になれている事に、わずかな満足を覚えてもいた。そして。


「今回の取り分はどうする?」


 鬱蒼とした森を掻き分けながら盗賊が口を開くと、ネルエスはにわかに緊張した。



 どうか…今回こそは…!



「そうだなぁ…」


 わずかに逡巡した後、剣士はネルエスを振り返る。


「今回はネルエスもだいぶ健闘したとは思う。だが、オークに思いの外手こずってたし、まだまだだな。今回は報酬の八分の一だ」

「ほ、本当ですか?!ありがとうございます!今後も精進します!」


 感極まったネルエスは深々と頭を下げる。


 初陣と前回は十分の一。過去最高額を約束され、満面の笑みを見せるネルエスを、周囲の四人は笑いながら眺めていた。女魔術師が口角を上げて問う。


「そんなに嬉しいの?」

「えぇ、それはもう!金額が上がったって事は、皆さんに認めていただけた証ですから!しかもあの有名なフクロウ団の皆さんにですよ?格別です!」



 村を旅立ってからの道すがら、そして王都クバルカンに着いてからも、ネルエスは傭兵の情報を地道に集め続けていた。

 件の業界に関しては何も知らない素人だったが、もっとも有名で実績もある傭兵団に意地でも潜り込んでやろうと決めていた。その方が、必然的に報酬だって高い。


 もっとも多くの人から聞いたスロデア一の傭兵稼業、フクロウ団。クバルカンのギルドの前で幸運にも向こうから声をかけて貰えたネルエスは、報酬が増えた現状に意気揚々としていた。



「ねぇ、そこのあんた達」


 不意に呑気な声をかけられた五人は、ぎょっとして背後を振り向く。

 先ほどまで誰もいなかったはずの巨木の陰から、女を先頭にぞろりと人影が現れた。数は全部で十二、三人。皆、手や腰に武器を携え、荷物を背負っている。


「同業者か。何の用だ」


 先輩剣士が強い声で威嚇したが、女には響いていないようだった。悪路であるはずの森を跳ねる様に近付くと、あっという間に五人の前に立つ。


「そそ、私らは同業者。良く分かったね。でさ…あんたら、どこの傭兵団?」

「ぼ、僕達はフクロウ団だ!」


 声を上ずらせた神官に、「へぇ、あの有名な」と口角を上げた女は続ける。


「でも変だよねー…私らもフクロウ団なんだ。でも、あんたら誰も見覚えがないって皆言うんだよ。君、どういうことだと思う?」


「え?僕?……どういう…?……どういう事なんでしょう……」


 目の前の事にただ必死だったネルエスには、皆目見当もつかない。

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