灰色の叙景

 寝床で独り目を覚ましたナシュレンは、ロルノワ城の窓へと目をやった。短い秋の澄んだ夜空に、大きな月が浮かんでいる。


「……夢、か」


 大きく深く息を吐いたナシュレンは、静かに身体を起こした。先ほどまでのざらついた夢を、覚醒した意識が勝手になぞっていく。




 サラドワでの日々は、確かにナシュレンを本来の彼へと導いた。

 だが、たった二年を過ごした寒村での日々は、彼にとっては悪夢以外の何者でもなかった。



 廃村に現われたオーガを自分達の手で討伐するべく、ナシュレンはサラドワの男達に武芸の訓練を施した。自ら何度も足を運び、魔物の生態を綿密に調べ上げ、策を綿密に練った上で廃村へと向かった。


 重ねてきた鍛錬は嘘をつかない。あっけないほどにオーガの討伐は成功したが、不慣れな戦闘で五人の男達が命を落とした。

 その揺り戻しは夏の収穫に、人手不足の形となって村に暗い影を落とした。殊更に厳しかったその年の冬、ふたつの家族が凍えて落命した。


 繰り返し続けていたロルノワへの陳情は翌年の春、一定規模以下の村への減税という答えとなって領内へと発布された。

 だが、改正されたはずの税収は些細な減額に留まり、元々貧しさに喘いでいたサラドワを根本から立ち直らせる力はなかった。


 痩せた土壌の再育成。村を囲う防護柵の建築。畑への灌漑の強化。隣村へ続く安全な街道の敷設。

 自身の思い付く限りを、ナシュレンは手当たり次第に行った。それでも、村の暮らしに変化は訪れなかった。



 屋敷を一歩外に出れば、村人は誰もが笑顔で迎えてくれる。だが、一見朗らかな微笑みにも、明日をも知れない貧困が、その先で手招く死の存在が、根深くまとわりついている。


 俺を生まれ変わらせてくれた彼らの為に、自分が何とかしなくては。



「荷物は全て馬車に積み込みました」

「済まんな…すっかりお前の手を煩わせてしまった」

「それが私の役目です。道中、くれぐれもお気を付け下さい」


 埒が明かない現状に苛立ち、父への直訴を決めた出発当日。

 アゼネフはいつも通り、粛々と旅の支度を整え、こちらの感謝に淡々と応じた。


「ナシュレン様…どうか二人をお願い致しますね。まだ子供です、とにかく良く見てあげて下さい」

「あぁ、分かっている。大丈夫だ、心配するな」


 炊事係のヘルガも、縋る様に手を握っては何度も双子の身を案じていた。


 寒村の日々は、子供が生きるにはあまりに厳しい。もっとも幼いフランダとエランドを同行させ、領都で里親を探す手筈になっていた。



 二人の姿を目にしたのは、それが最後だった。


 馬車がロルノワに入った翌日、サラドワを含めた五つの村が、赤竜レギアーリによって焼き払われた。


 何ひとつとして確かな手応えもないまま、恩を返すべき村は、もうない。




「……どうすれば皆を救えた……!」


 月光に蒼く浮かぶナシュレンの拳は、あれから十年の時を経た今も固く握られ、震えている。




ひと月後。ナシュレンの姿は王都アズノロワの王城にあった。


「き…緊張するなぁ…大事なところで詰まったらどうしよう…」

「あははは!ちょっとエランド、酷い顔!もっと肩の力抜いたら?私らは副官拝命の短い挨拶をするだけ…主役でも何でもないんだから」


 顔面蒼白の弟をあっけらかんと笑い飛ばしたフランダは、少し前を歩くナシュレンへと声をかける。


「ナシュレン様は十将拝命の挨拶で何を話すか、もう決まってるんですか?」

「無論だ」


 言葉少なに応じたナシュレンは、躊躇いなく大会議室の扉を開いた。


 王族の姿はまだ見えなかったが、宰相や大臣といった重職、そして先達でもあるデルヴァン十将の面々が数人、新たな十将となるナシュレンに視線を送っていた。


 傍らの従者と小声で話す者。あからさまに値踏みする様な視線を送る者。常人なら腰が引けてしまう重圧の中、ナシュレンは胸を張ったまま、示された席へと腰を下ろした。


「姉さん、見てよあそこ!ラグァニフ様だよ!凄い威厳だね、恰好良いなぁ…」

「さっきまでとは大違いね…どうなってんのよ、あんたの情緒」


 双子のやり取りを聞き流すナシュレンの前に、ひと際大きな人影が現れた。髭に覆われた大きな口の端を上げ、スッと手を差し出す。


「お初にお目にかかるな、ナシュレン殿!俺は第五席を仰せつかっているダズナルフだ。年寄りの多い十将で若いのは俺と貴公だけだ、気兼ねなく懇意にしてやってくれ!」

「…では早速」


 軽く手を握り返した後、ナシュレンはダズナルフを鋭く睨む。


「我らの遥か先を邁進される他の十将をつかまえて年寄り呼ばわり…感心しないな」

「…そうか?俺は事実を言ったまでだが」

「それに…俺は三十一、ダズナルフ殿は確か四十九。『若い』と括るにはいささか無理がある様に思える」

「五十代以下は俺と貴公しかおらんのだ。そこは『若い』で何ら間違ってはおらんだろう?」


 髭だらけの童顔をきょとんとさせるダズナルフに、ナシュレンは閉口しつつ頭痛を覚える。



 豪放磊落で武勇に秀でたダズナルフの名は、彼がもっとも若くして十将を拝命する前から知っていた。幾つかの逸話を耳にした時点で予感してはいたが、こうして実際に対面してみると良く分かる。


 間違いない。苦手な人種だ。




 サラドワの窮状を自己の原点に持つナシュレンは、この後、他国を侵攻する事でデルヴァンの内情安定を第一義とする急進派となり、穏健派のダズナルフとは悉く衝突し続けていく事になる。


 つまり、ナシュレンの憂鬱はまだ終わらない。



【完】

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