僅かな実り
西大陸の北限に位置するデルヴァンに、今年も短い秋が訪れていた。時折吹く風は冷たく、サラドワの村民は差し迫った冬を嫌でも実感する。
「どうだ、捗っているか」
家の窓にせっせと冬囲いを施す老人は、不意に声をかけられると顔を向けた。
馬を引いたアゼネフを従えるナシュレンの姿に、慌てて平伏する。
「あ…あぁ、ナシュレン様。わざわざ私らなどの身を案じて下さるとは、何とありがたい」
「仰々しい扱いは止めてくれ。この村には世話になる身だ」
困った様に片眉を上げたナシュレンは、丹念に家屋を観察しながら続ける。
「…ただ、出来る事があるのなら、力は尽くしたい。困り事は気兼ねなく申し出てくれ。村長とは既に何度も話を重ねているし、父上に陳情の手紙を書くぐらいなら出来るからな」
「重ね重ね、ありがたいお言葉でございます…」
再び深々と頭を下げた老人を一瞥した後、ナシュレンは次の家へと歩き出す。
一連のやり取りを黙って眺めていたアゼネフは、彼の頼もしい変貌に独り目を細める。
初夏にあった火事から、ナシュレンはがらりと人が変わった。
ありありと不満を滲ませていたのが嘘の様に、全てに対して前向きになり、自ら進んで村民と関わった。
それでも放蕩息子として前評判は根強く、何にでも首を突っ込んでくる彼を煙たがる者は多かったが、ふた月もすると、それも自然と終息した。
そして何より。
「ねぇねぇナシュレンさまー、次はどこ行くの?」
「ぼく…のどがかわいた…」
アゼネフが引く馬の鞍上、男女の双子が思い思いを口にする。振り返ったナシュレンは、真顔のまま二人を交互に見やった。
「フランダ、次はあの赤い屋根、レイゼネの家だ。そこまできちんと手綱を握っていてくれ。
エランド、レイゼネ婆さんの家にはなかなか立派な井戸がある。美味しい水を分けて貰おう」
「はい!ナシュレンさま!」
「おいしいお水…はやくのみたいな…」
件の火事で亡くなった夫婦の忘れ形見、四歳になる姉フランダと弟エランドは、家が全焼した翌日、畑の傍の小さな農具小屋から見つかった。
まだ幼い命を連れていくのは忍びなかったのだろう…と、皆が噂しては悲嘆に暮れる中、ナシュレンは独り、激昂して憚らなかった。
「幼子を道連れに出来ない様な親心があるのなら、尚更彼らは死んではならなかった!苦しくとも共に在る命への冒涜じゃないか!」
憤った勢いそのままに、ナシュレンは二人を引き取り、共に暮らし始めたのだった。
そして、アゼネフには遅まきながら分かってきた事もあった。
「くしゅん」とフランダが鼻を垂らせば静かに慌てて懐を何度もまさぐり、結局、自らの袖口をちぎって鼻水を拭く。
飲んでいた水をエランドがこぼせば、やはり黙ったまま狼狽し、力任せに服を絞って幼子に嫌な顔をされる。
持て余し続けてきた力、心根の奥に眠っていた実直さ。それらをどうにか皆の為に役立てたいというナシュレンの姿勢は良く分かる。
しかし、何というか――双子を前にした時にはもっとも顕著になるのだが――とにかく不器用なのだ。何もかもが、いちいち行き過ぎてしまう。
「痛いってば、ナシュレンさまー!もういい、やめて!おはだが荒れちゃう!」
「…それなら自分で綺麗にしろ」
「ナシュレンさま…ぼくの服、しわしわになったよ……これ…直るの?」
「乾けば戻る…と思う、放っておけ。…泣くなよ、頼むから」
双子から交互に上がる苦情を真顔で捌く横顔にも、悪意は微塵もない。
むしろ、恐らくは必死なのだろう。
これまでの十八年を感情の赴くままに暮らしてきたナシュレンは、それ以外を知らない。
十将でもある父の跡を継ぐ為には…と知恵を絞り、努めて毅然と振る舞っている様に、アゼネフには見えていた。
「…それで良いのです」
何であれ、初めは不恰好なものだ。中身など、そのうちついてくる。
悪戦苦闘する若き雛を、アゼネフはただ静かに目で追っている。
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