九、

 侍女達の屋敷に駆けつけると、既に火は高く上がっていた。

 侍女達は皆、火の手が回る前に逃げ出せたらしい。ただ一人――出火元にいた初音はつね以外は。

(出火元が初音さんの部屋? ……灯りをともしていたのか?)

 考えてから、あり得ない、あと明晴あきはるは自分の予測を打ち消した。

 というのは、まだ真昼だったからである。いくら財を持つ織田おだ家といえども、一侍女が――それも寝ついているはずの初音が灯りをつけなければいけない理由がない。


(いや、そんなことはどうでもいい)


 明晴は厨に回ると、甕の水を頭から浴びた。そして、周囲が止める間もなく屋敷に飛び込む。

「おい、明晴!」

 紅葉こうようが慌てて追いかけてくる。返事をする余裕もなく、明晴は初音の局を探した。

「初音さん! 初音さん、どこ! 返事をして!」

 火の回りが異常なほど早い。だが、熱いはずなのにむしろ寒さの方が勝った。

「明晴、こっちだ!」

 紅葉が先導してくれる方角が一番火が強い。

「初音さん、初音さん! そこにいるの!?」


「……明晴さま……?!」


 火が爆ぜる音に混じって、かすかに声が聞こえる。

「だめよ、明晴さま! 逃げて!」

 この火の回りの異常な勢いは何なのか。明晴は袖に隠れた手を出し、指を組んだ。



化生けしょうのものか、魔性ましょうのものか、正体を現せ!」



 開いた指の隙間から、火がもっとも激しい場所を覗く。

 そこには、恐ろしげな顔をした僧が立っていた。

 恐らく肉体ではない――窓を外すと、そこにはただ燃え盛る襖があるだけになった。

「死霊か?」

「いや、違う」

 紅葉が目を眇める。

「死霊にしては、生気を感じる。恐らく、生霊だ」

「生霊? 生霊が今回の首謀者だと言うの?」

「時として、死人や妖よりも、生きている人間の方が恐ろしいものだぞ、明晴」

 古来より、人の情念が人を死に至らしめることは少なくない。

 特に、平安の頃などは、今よりももっと生霊による殺人は多かったという。

「ひとまず、この火をどうにかしなければ……ってどうすればいいんだろ!? 水持って来るの忘れた!」

「バカ。だから落ち着けっての。まったく、お前は仮にも安倍晴明あべのせいめいの子孫だろ?」

「だけど、それは自称で……あ、そっか」

 明晴は手を叩いた。

「俺、陰陽師なんだから術でどうにかしたらいいんだ」

「気づくの遅いよ、明晴」

 呆れる紅葉の前で、明晴はいんを組んだ。



「我が名は明晴。我が声に応えよ、その力を天より与えよ! ――十二天将、四神がひとり、水将・“玄武げんぶ”!」



 次の瞬間、黒い滝水が沸き上がる。そしてその水の割れ目から、少年が姿を現した。

 黒い衣に身を包み、切り揃えた髪を首の後ろで編み込んで背中に垂らしている。黒曜石のような切れ長の瞳に明晴を映すと、少年はむすっと唇を尖らせた。

「……し、白雪しらゆき……もしかしなくても、怒ってたりする?」

 明晴が言うと、「ああ」と、少年は不貞腐れたように呟いた。

「呼ぶのが遅い」

「ご、ごめん……だって、俺が呼んだからって来てもらえるなんて思わなくて」

「お前達人間は、いつもそうだな」

 白雪はふん、と鼻を鳴らすと、長い袖を揺らした。

「御託は後でいくらでも授けてくれる。ひとまず、この火を消せばよいのだな」

「うん、頼む。あの火の向こうに、女の子がいるんだ」

「女子……そなた、いつのまにめかけを持った?」

「いやいや、それが妾でも妻でもないらしいぜ、白雪」

 紅葉は白雪の肩に登ると、ひそひそと声を小さくした。

「相手の娘からは、胡散臭いと思われているし、眼中にない。完全に明晴の片恋っぽいぞ」

「なに。まあ、まだ元服もしていない童だものな。女子の扱いなど、覚えておらぬか……。しかし、あの明晴が気になる女子ができるとは、時の流れは早いものだな、紅葉よ」

「まったくだ」

「何話してんだよ、この神様どもは! いいから早く火を消せ! 初音さんが死んじゃうだろ!」

「まったく――この程度の戯言を言う間もくれぬのか。人の子とは、に脆き命よ」

 白雪はゆっくりと袖を振り上げ、縦に宙を斬り裂いた。その裂け目から、水が沸き上がる。はじけた水の裂け目は瞬く間に火を飲み込んだ。

 火が落ち着くが早いか、明晴は初音の局に駆け込んだ。初音は顔面蒼白で、衣を肩に羽織ったまま、がくがくと震えている。

「初音さん、大丈夫? 怪我は――」

 初音は、弱々しく首を左右に振るった。頬や衣は煤で汚れているが、傷がない。

 明晴はふと、違和感を覚えた。


(あれだけの火の回りだったのに、初音さんは怪我をしていない。……なぜ?)


 明晴のように、神の過去を身に着けているなら分かるが、初音はそうではない。にもかかわらず、なぜ傷ひとつないのか。

 その違和感は、十二天将達も感じ取ったらしい。

「脆弱な人の子ならば、あり得ぬ」

「あり得ないのは、今回だけじゃないぜ」

 怪訝な顔をする白雪に、紅葉は耳打ちした。

「人型で権限していない――変化この姿の時も、あの初音という娘は、俺を見ることができる。そして、初音は明晴が見世物をしていた時に出していたのが、十二天将召喚ではなく、幻術だと見破っていた」

 普通の娘ならば、幻術と召喚の区別などつかないだろう。明晴は嘘ばかりついていたが、術に関する実力は、安倍晴明に勝るとも劣らない。

 疑問はいくつもある。だが――それよりも、が迫ろうとしていた。

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