四、
ずきん、と頭が痛む。
潰れた丸薬から苦味が口内いっぱいに広がり、ますます眉間に皺が寄る。
文机に伏せながら、初音は息を吐いた。
自称・
はじめは、「なぜ自分がこんな怪しげな子どもの世話をしなければならないのか」と不満たらたらだった。しかし、実際に
明晴はあまり初音に手間をかけなかった。毎朝
信長に用意してもらった道具を磨いたり、紙に何か書き留めたり、と大人しくしている。
1番賑やかなのは食事の時だが、それすらほとんど初音に世話をさせることはない。
もともと、明晴は市井で暮らしていたという。侍女の使い方を知らないのだろう。
(かえって助かったかも……)
初音は肩からずり落ちた小袖を羽織直した。
もともと丈夫な質ではない。しかし、今日は頭痛や吐き気に加え、寒気までする。
(病弱……違うわね)
初音は自嘲した。
───……ノ、…………ヨ……振リ返レ……
身の毛もよだつような低い声が聞こえるようになったのは、いつからだろう。
物心ついた時から、それらは常に初音の傍に"いた"。
"それ"は、いつも初音のことを見ている。食事中、務めの最中、寝ている時。
初音のことをじっと睨みつけているのだ。
───コッチヲ見ロ……!!
「いやっ!」
初音は思わず手を振り回した。手がぶつかった拍子に、文机の上に置いていたものが床に落ちた。
両手の平で耳を塞ぎながら、初音は肩を震わせる。
"それ"は、いつも初音のことを見ている。
ほんの刹那の間すら、目を逸らすことなく、じっと見つめている。
──恐らく、初音が死ぬまでずっと。
***
手についた墨を手拭いで拭きながら、明晴は仙千代が持ってきてくれた箱を開けた。
「わ……! 本当に用意していただけるなんて!」
「それは……?」
「信長さまに頼んでいたんです」
首を傾げる仙千代に対し、明晴は嬉々として答えた。
初日に召し出された時、信長は明晴に、陰陽道に必要なものがあれば申し出るように、と言った。
明晴はこれまで、簡単な幻術や呪符、占い以外やったことはなかった。だが、せっかくの申し出だと
箱の中身は方形の台座と、円形の天盤がある。明晴が組み立てるのを仙千代は興味深そうに見ていた。
「これは、『
「りくじんちょくばん……って、占いに使う?」
「そうですそうです」
六壬式盤は、陰陽師にとって欠かせない道具である、と紅葉が言っていた。
六壬式盤とは、六壬式占によって吉凶を判断するための道具だ。
地を表す「
「あれ……」
仙千代が天盤を指差した。
「ここに書かれてる『
「そうです。地盤には二十八宿、十干、十二支、四隅の八卦が記載されています。天盤には、万見さまの言うとおり、十二天将などの名前が記載されてるんです」
天盤の十二天将を地盤の十二支に合わせることで、簡易的な計算を行う。
「もうひとつ入っているのも占いの道具なんですか?」
「そっちは、『
「計算とか観測とか……。陰陽師って、もっと占いとかに対して霊的な力を発揮するものかと思っていました」
「そんなにガッカリしないでくださいよ……」
露骨にしょんぼりとする仙千代に、明晴は肩をすくめる。
そもそも陰陽師とは、元来朝廷に仕える役職のひとつに過ぎない。
安倍晴明が異質なだけで、本来は暦を数えたり天文学を研究したりするのが主な役目だ。
晴明や明晴のように、幻術を使ったりすることは、本来の役目とは異なる。
「あの、ところで万見さま」
「どうされた?」
「本当に俺は、ここにいていいんでしょうか……」
明晴は恐る恐る問いかけた。
「御屋形さまは、それではならぬと仰せなのですか?」
「そんなことはないんですけど……。でも、よくしていただき過ぎて……肩身が狭いというか」
「左様ですか。ならば、陰陽師としてのお役目を全うすることです」
「陰陽師としての役目……?」
「天文学を学び、星を読み、本来陰陽師がすることをしていればいいんです。見たところ、明晴どのは全て独学でしょう? この先、明晴どのにしかできないお役目ができていくことでしょう。その時までに、明晴どのは精いっぱい学び、御屋形さまのお力になってぬださい」
確かに明晴の術は、気まぐれに十二天将が現れて施してくれた知識がほとんどだ。仕える幻術もたかが知れている。
(御屋形さまは……これからどうするおつもりなんだろう)
明晴は式盤を撫でた。くるくると回る盤を眺めながら、自分の運命を占いたくなった。
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