五、
朝餉を平らげた
陰陽道をきちんと学びたい。
そう言った明晴の願いを、
織田家の書庫を自由に出入りする権利を与えてくれただけでなく(しかも、わざわざ許可書を発行してくれた)、各地から陰陽道に関する書物をかき集め、紙や墨も定期的に下賜してくれたほどである。
他にも、異国の占いも覚えてみろと言い、今度南蛮の占い道具なども仕入れてくれると約束した。
「やあ、明晴。学んでいるか?」
爽やかな笑顔で現れたのは、
「ぼちぼちかな」
呪符を作っていた明晴は、筆を置いた。
明晴の手元にある札を見ながら、仙千代は首を傾げている。
「なんて書いてあるんだ?」
「呪文だよ。これを
「つまり、爆ぜろ! って書いてあるということか」
「そういうこと」
「結構手軽に爆破させるじゃないか、陰陽師……」
「もちろん、呪符なしでもできるけど、その場合は呪文を詠唱しないといけないから」
詠唱をするには手で印を組まなければならないし、言葉にするのにも時間がかかる。
「その手間を省くためにこういう御札があるってわけ。……らしい」
「らしいって随分他人事だな」
「俺の陰陽道の術は、
市井で見世物をしていた頃は、基本的に占いや幻術以外の技を披露する必要はなかった。
(幻術で……充分、自分のことは守れるし)
明晴は、指先が白くなるほど、力強く筆を握り締めた。
「あ、これ御屋形さまから。差し入れだ」
仙千代が明晴の前に置いたのは、菓子である。薄く焦げ目のついた菓子で、匂いは少し甘酸っぱいような不思議な香りだ。
「ケジャト、って言うんだ。南蛮の僧侶達からの献上品に入っていたらしい」
「……これ、俺達が食べていいの?」
「いいんだよ。ここだけの話、御屋形さまはあまりお気に召さなかったようだし。とはいえ、突き返すのもな」
仙千代にもらったケジャトを齧ると、しっとりとした上品な口当たりだった。甘酸っぱくて、さっぱりした口当たりだが、信長の好みじゃないのは何となく分かる。織田家の食事は味の濃いものが多い。信長は、薄味よりも濃い味を好んでいるのだろう。
「御屋形さまは甘いものがお好きだから、気を使って伴天連の僧達は、たくさんのケジャトを献上してくれたんだ。俺も、家にひとつ持って帰ることになっているんだ。あと、女房衆にも配られている」
「女房衆――」
明晴の脳裏に浮かび上がったのは、
今朝、朝餉の膳を下げて以来、その姿を見ていない。
「初音さんは、最近どうしてる?」
「普通に仕事していると思うけど……。でも、普段それほど会うことはないな。俺は小姓、向こうは侍女。勤めの内容も違うし、寝泊りしている屋敷も違うし。……なんだ、明晴は。初音どのに気があるのか?」
「いや、そういうわけじゃっ!」
思わず頬を赤らめると、「やめておけ」と仙千代はたしなめた。
「確かに初音どのは美人だし仕事もできる。だが、お前の手に負える娘ではない」
「分かってるよ! というか、そもそも身分だって違うし! 馬鹿なこと言うなよ」
侍女として仕えているということは、武家の娘というのは間違いない。出自も分からない、平民かどうかすら怪しい明晴とでは、釣り合わないことだけは確かだった。
ただ――少し、気になることがある。
今朝、いつもの通り顔を洗う桶を持ってきてくれた初音は、普段以上に険しい顔をしていた。
眉間には深い皺を刻み、青白い額には脂汗がじっとりと浮かんでいた。
何より――初音の肩の向こうには、一瞬だが、黒い
「仙千代。初音さんって、出自はどこなの?」
「木曽川沿いだ。初音どのは、
母の出自というのは、貴人にとっては重要となってくる。
後ろ盾がなかったら、武家の娘といえども暮らしの保証はない。いざとなったら切り捨てられる可能性もある。
たまたま織田家で侍女として仕えることができた――とはいえ、体よく人質に出されたに過ぎない。
初音は、信長から気に入られているようではあるが、立場は変わらず人質だ。彼女が仕損じることがあれば――あるいは父親が仕損じることがあれば――初音はいつでも命を落としてもおかしくない。
そしてそれは、仙千代も同じ。
「川並衆って何?」
「尾張と美濃の国境に流れている木曽川沿いに、勢力を持った土豪で、川沿いに暮らす国人をまとめあげる役割を持つ国衆のこと。その中でも、初音どのの生家である蓮見家は、
「川、か……」
明晴は顎に手を当てた。
川は水に関係する。
そして水は、暮らしに直結することもあってか、霊的な力を受けやすい。
初音の放つ違和感が、たまたま彼女の病弱な体質に関するものであるなら致し方ない。それもまた天命である。しかし、そうでないなら──、
(……って、何を考えてるんだ)
明晴は頭を左右に振りながら、2切れめのケジャトを手に取った。
(今はそんな人の世話をしている場合じゃない! 俺はまだまだ、勉強しないと! 俺の目標は、脱・
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