五、

仙千代せんちよに言われたとおり──明晴あきはるは毎日陰陽道について学ぶようになった。

 六壬式盤りくじんちょくばん渾天儀こんてんぎの扱いだけではない。呪符や霊符、形代を作ったりといった作業にも勤しんでいた。

「やあ、明晴。学んでるかい?」

 爽やかな笑顔で現れたのは、万見まんみ仙千代である。

「ぼちぼちかな」

 呪符を作っていた明晴は、筆を置いた。

 明晴の手元にある札を見ながら、仙千代は首を傾げている。

「なんて書いてあるんだ?」

「これを急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう! って言いながら投げると敵を爆発させられる」

「つまり、爆ぜろ! って言いながら投げればいいのか」

「そういうこと」

「結構手軽に爆破させるじゃん陰陽師……」

「もちろん、呪符なしでもできるけど、その場合は呪文を詠唱しないといけないから。その手間を省くためにこういう御札があるってわけ。……らしい」

「らしいって随分他人事だな」

「俺の陰陽道の術は、十二天将じゅうにてんしょう達に教えてもらったんだ。だから、彼らから聞いたのを又聞きしたような感じなんだよね」

「ふぅん…。あ、これ御屋形さまからの差し入れ」

 仙千代が差し出したのは、菓子らしい。球体に突起がついており、触るとゴツゴツする。口の中で軽く歯を立てると、軽い力で砕け、甘みが広がった。

「おいしい。なに、これ?」

金平糖こんぺいとうだよ。先日、南蛮の僧侶達から献上されたんだ。美味しいから、御屋形さまが年若い小姓や侍女達にも配るように、って」

「侍女……」

 明晴の脳裏に浮かび上がったのは、初音はつねだった。

 今朝、朝餉の膳を下げて以降、姿を見ていない。

「初音さんは、最近どうしてる?」

「普通に仕事してると思うけど……。なんだ、明晴は。初音どのに気があるのか?」

「いや、そういうわけじゃっ!」

 思わず頬を赤らめると、「やめておけ」と仙千代はたしなめた。

「確かに初音どのは美人だし仕事もできるけど、お前の手に負える娘じゃない」

「わ、分かってるよ! ていうか、そもそも身分だって違うし」

 侍女として仕えているということは、武家の娘というのは間違いない。出自もはっきりしない明晴と釣り合う娘でないことだけは確かだ。


 ただ──少し気になることがあるのだ。


 今朝方見かけた初音は、普段以上に険しい顔をしていた。

 眉間には皺を刻み、青白い額には脂汗がじっとりと浮かんでいた。

 何より──初音の肩の向こうには一瞬だが、黒いもやが見えた。それも、かなり禍々しい影がかかっていた。

「仙千代。初音さんって、出自はどこなの?」

「木曽川の方だよ」

 明晴の質問に仙千代は答えてくれた。

「初音どのは、川並かわなみ衆・蓮見四郎はすみしろうどののご息女だ。……と言っても、母君は妾で、初音どのには大した後ろ盾もないと聞いているが」

 後ろ盾がしっかりとしていなければ、武家の娘といえども暮らしの保証はされない。

 たまたま織田家で侍女として仕えることができたと言っても、体のいい人質である。

 初音は、信長から気に入られているようではあるが、立場が変わったわけではない。仕損じることがあれば、初音はいつでも命を落としてしまう、危うい存在なのだ。

「ところで川並衆って?」

「尾張と美濃の国境を流れる木曽川沿いに勢力を持った土豪のことさ。木曽川沿いに暮らす国人をまとめあげる役割を担う国衆のこと」

 その中でも、初音の生家である蓮見家は、蜂須賀はちすか家と同じくらい力を持った一族らしい。

「川、か……」

 明晴は顎に手を当てた。


 川は水に関係する。

 そして水は、暮らしに直結する上、霊的な力を受けやすい。

 初音の放つ違和感が、たまたま彼女の病弱な体質に関するものであるなら致し方ない。それもまた天命である。しかし、そうでないなら──、


(……って、何を考えてるんだ)


 明晴は頭を左右に振りながら、金平糖を噛み砕いた。


(余計な仕事はしないぞ。俺は、信長のぶながさまに言われた通りに占いとかまじないとかだけしておかないと。初音さんのことは可哀想だけど、無意味に働いたって稼げるわけでもないし!)

 口の中に広がる甘味を楽しみながら、明晴は薄茶を一気に煽って、口内を軽く火傷した。

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