三、

「うわぁぁぁあ……」

 案内された部屋を見た明晴あきはるは目を輝かせた。

 豪華絢爛、という言葉がある。物心ついた時から宿なし・野宿が当たり前であった明晴には一生縁がないものだと思っていた。だが、通された部屋はまさしく豪華絢爛という四文字が当てはまる。

 虎の絵が描かれた几帳、ふわふわの茵、磨きあげられた文机、炭が赤くなっている火鉢に、油がたっぷりと燃えている灯火。

 どれも、明晴が暮らしてきた中では見たことのないものだった。

 紅葉こうようは早速、敷かれた茵の上で丸くなっている。まるで本当の猫のようだ。


「失礼致します」


 戸が開かれて振り返ると、入口に初音はつねがいた。初音は膳を持って明晴の部屋に入ってきた。


 山盛りの強飯、牛蒡と魚肉と大根を入れたあつめ汁、鴨肉焼き、瓜を醤に漬けたもの、水菓子。


 明晴がはじめて目にする食事である。

 あつめ汁は落ちていた鍋を使って、真似たことがある。しかし明晴のあつめ汁はその辺に生えていた雑草や木の根などを適当に煮込んだだけのものであった。

「随分豪勢だなぁ。さすが織田おだ家。美濃みのなんてとんだ片田舎だと思っていたが、なるほど。『美濃を制する者は天下を制す』というのはあながち間違いではないようだな」

 紅葉が膳を覗き込みながら、感心したように息をもらした。

「御屋形さまより、お言伝にございます」

 初音が不機嫌そうに話を切り出す。

「御屋形さまは、毎朝の刻限に目を覚まされます。朝餉のあとに遣いを出されますので、明晴さまにはその日の天命を占っていただきたいそうです。それ以外は、好きに過ごされますように、と」

「つまり、飯を食わせる代わりに、明晴を占い師として囲いたいってわけか。なるほどー」

 後ろ足で立った紅葉が、うんうん、と前脚を組みながら頷いた。

 初音は柳眉を潜めたまま、三指を突いた。

「本日より、明晴さまの身の回りを務めさせていただきます。初音、と申します。御用があれば、遠慮なくお申し付けくださいませ」

「え、そんなっ」

 明晴は慌てて手を振った。

「顔を上げてください。俺は、初音さんに頭を下げていただくほどの身分じゃありません。俺の方が年下なんだし、敬語もいりません」

「いいえ。そうは参りません」

 明晴の申し出を初音は冷たく払い除ける。

「明晴さまは、御屋形さまの大切なお客さまにございます。……御用がないなら下がらせていただきます。では」

 初音は再び頭を下げると、首の後ろでくくった髪をひらりと靡かせ、部屋を出て行った。

「……きっつい子だなぁ」

 明晴は舌を出した。

 最初に会った時から、初音は明晴のことを警戒しているようだった。もっとも、幻術を使ったり十二天将を喚んだりする子どもなど、一般的には奇妙な存在に見えて仕方ないのかもしれない。

 明晴はあつめ汁の椀を手に取った。魚肉のすり身の香りがふわりと鼻をくすぐる。

「……美味しい」

 汁を一口飲むと、肩の力が抜けた。

「なんか、食べ物を美味しいと思って食べるのははじめてな気がする」

 これまで食べることは、明日を生きるための術に過ぎなかった。食べたいから食べるのではなく、死なないためには食べるしかなかった。

 今まで食べた雑草や木の根を茹でただけのあつめ汁とは違う。

 強飯も、鴨肉も、漬物も、全てが美味しい。強ばっていた体がほぐれていくようだった。

「紅葉」

「なんだよ 」

「その、ありがとう」

「なんだよ、改まって」

「……あの時、助けてくれて」

 紅葉が変化を解いてくれなければ、明晴は手打ちにされていたかもしれない。


 紅葉の正体は、十二天将じゅうにてんしょうのひとり──「白虎びゃっこ」。

 同時に四神ししんに名を連ね、東の国を守る神でもある。


 紅葉とてほかの十二天将と同じく、矜持は高い。にも関わらず、紅葉は明晴のために己を曲げてくれた。

「俺は何にもしてない」

 紅葉は茵が気に入ったら引く、仰向けに転がった。

「お前が掴み取った縁だ。そして、お前が俺を信じたから、俺はそれに従ったんだ」

「でも、紅葉はその気になれば変化なんて好きに解けるだろ? なのに、まるで俺が喚んだみたいにしてくれてさ……」

「お前はもう少し自分の力を信じろ、明晴」

 紅葉が諭すように言う。

「妖を見られる者が減ったのは何故か分かるか? 武家社会となり、人ならざるものを信じる者が減ったからだ。妖も神も、信じる者にしか見えない。特にお前は陰陽道に縁を持つもの。その霊力は、安倍晴明あべのせいめいに勝るとも劣らない。お前が俺達を信じられなければ、俺達は──式神は本来の力を発揮することができないんだ」

「……別に、十二天将のみんなを信じてないわけじゃない」

 だが、紅葉以外は明晴の意志で現界することができない。それはすなわち、彼らが明晴を真に主として認めてくれていない証ではないのか──と、思えてならなかった。

「まあ、そういう難しいことはおいおい考えようや。まずは食え食え」

 紅葉が立ち上がり、四足でぽてぽてと明晴に駆け寄ってきた。

「織田家は武家のなかでも金持ちの家だ。せっかくいい家の食客になれたんだから、沢山食って大きくなれよ」

「う、うん」

 紅葉に急かされ、明晴は飯をかき込んだ。

 食事をしながら、ふと、初音の顔が浮かび上がった。


 ややつり目がちな翠玉の瞳。

 濡れたような烏の羽のような髪。

 すらりと伸びた手足は、女性としてはやや大柄だ。

 まるで天女のような美貌の持ち主であった。彼女のような少女を「傾城」というのだろうか。


 だが──異常に白い肌が気になる。


 白粉の臭いはしなかった。元の色が白いのだろうか。

 だが、時おり顰められた顔は、苛立っているというよりは、苦しげにも見えた。

「紅葉、お願いがあるんだけど」

 明晴は箸を置くと、紅葉を呼び寄せた。

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