三、
「うわぁぁぁあ……」
案内された部屋を見た
「な、なにこの部屋……どこのお宿!?」
まさしく、豪華絢爛、という言葉がぴったり当てはまる。
庭には楓が赤く染まり、桔梗の花が揺れている。池には鯉が跳ねているし、部屋もいい香りのお香が炊き締められていた。
物心がついた時から宿なしで、野宿が当たり前だった。こんな部屋には一生縁がないと思っていたので、思わずはしゃいでしまう明晴だった。
寅の絵が描かれた几帳、ふわふわの褥、磨き上げられた文机、炭が赤くなっている火鉢、油がたっぷりと燃えていいる灯。
どれも、明晴が暮らしてきた中では見たことのないものだった。
紅葉は早速、茵の上で丸くなっていた。まるで本当の猫のような愛らしさがある。縞模様の毛並みを撫でていると、戸の前で音がした。
「失礼致します」
開かれた戸の向こうにいたのは、
初音は片手に膳を持っており、深々と頭を垂れている。
「夕餉をお持ち致しました」
明晴は目の前に置かれた膳を見て、また目を輝かせた。
「すごい……本当にあるんだ、こんな……飯を置く台」
「足打ち
「それに見てよ、紅葉。ご飯も、めちゃくちゃ豪華だ!」
明晴は紅葉の尻尾を掴んで引き寄せると、飯を覗かせた。
山盛りの
集め汁は、合戦上の跡地で拾った鍋で造ったことがある。しかし、明晴のあつめ汁はその辺に生えていた雑草や木の根を適当に煮込んだだけのものだった。味だってついてなかった。
「俺の集め汁は、何も集まってなかった……」
「さすがに豪勢だなぁ、
「当然です」
初音が胸を張った。にこりともしないが、声はやや上擦っている。
「岐阜には川が多いのです。尾張のように海はありませんが、川を使って荷を運んだり、商業は発展しておりますので。御屋形さまは関所を廃しておられますゆえ、
「なるほどな」
考えることは皆同じ、である。
商人は、文字通り商いをする者だ。
商いをするにはその土地の情報や時世を知らなければならない。
大名同士の繋がり、町民や村人の年齢層。気候、職、身分。それらによって、持って行っていい商品は異なるし、売れ筋も変わる。
東国から来るなら、尚のこと美濃は通り道になる。逆に、京を出て東に行く時も使われる。その中間地点ならば、情報戦をいかに勝つかが商いの鍵となる。
美濃を制する者は天下を制す――というのは、あながち間違いではないようだ。
初音は不機嫌そうに話を切り出した。
「御屋形さまより、お言伝がございます」
「言伝?」
「御屋形さまは、毎朝
「……明日ではなく、『その日』の天命?」
「はい」
明晴の問い返しに、初音はうなずいた。
「明晴さまには毎朝、御屋形さまと同じくらいの刻限に、朝餉をお持ち致しますので。御屋形さまからの使いが来るまでに、朝餉諸々の支度をしてお待ちくださいませ」
「……つまり、『飯を食わせる代わりに、明晴を占い師として囲いたい』ってわけか。なるほどな」
「なんのために!?」
「だから、言っただろ。『美濃を制する者は天下を制する』って」
「俺、商人じゃないんだけど」
「商人じゃなくても、お前は
情報や時世に関しては、望まずとも見聞きしている。信長が警戒しているのは、そこだろう。
他家が抱え込む前に、明晴を織田家の占い師として召し抱えることで、明晴が他家に情報を流すことができないようにしたいのだ。
初音は柳眉を潜めたまま、三指を突いた。
「本日より、明晴さまの身の回りのお世話を務めさせていただきます。
「え、そんなっ」
明晴は慌てて手を振った。
「顔を上げてください。俺は、初音さんに頭を下げていただくほどの身分じゃありません。俺の方が年下なんだし、敬語もいりません」
「いいえ。そうは参りません」
明晴の申し出を初音は冷たく払い除ける。
「明晴さまは、御屋形さまの大切なお客さま。……御用がないなら下がらせていただきます。後ほど、御膳を下げに参ります」
初音は再び頭を下げると、首の後ろでくくった髪をひらりと靡かせ、部屋を出て行った。
「……きっつい子だなぁ」
明晴は舌を出した。
最初に会った時から、初音は明晴のことを警戒しているようだった。もっとも、幻術を使ったり十二天将を喚んだりする子どもなど、一般的には奇妙な存在に見えて仕方ないのかもしれない。
「ていうかさ、気のせいかもしれないんだけど……」
「いや、気のせいじゃない。恐らく、あの娘……」
「「視えてる」」
初音は、紅葉の言葉に返事をしたり、紅葉のことをにらんだりしていた。
十二天将・
「え、なに。まさかここで俺と同じくらい霊力が強い人間がいるなんて――」
言葉を続けようとしたが、それは叶わなかった。
ぐううう……。
腹の虫がいい加減黙っていられないようだった。
「……まあ、世話役ってことは、これから何度も会う機会はあるんだろ。とりあえず、飯にしたらどうだ」
「うん、そうする。いただきます」
手を合わせてから、明晴はあつめ汁の椀を取った。魚肉のすり身の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「……美味しい」
汁を一口飲むと、肩の力が抜けた。
今まで食べた雑草や木の根を茹でただけのあつめ汁とは違う。
「色んな食材があるから、出汁が出てるんだろうよ」
強飯も、鴨肉も、漬物も、全てが美味しい。強ばっていた体がほぐれ、疲れが抜けていくようだった。
「紅葉」
「なんだよ 」
「その、ありがとう」
「なんだよ、改まって」
「……あの時、助けてくれて」
紅葉が変化を解いてくれなければ、明晴は手打ちにされていたかもしれない。
紅葉の正体は、
中でも
紅葉とてほかの十二天将と同じく、矜持は高い。にも関わらず、紅葉は明晴のために己を曲げてくれた。
「俺は何にもしてない」
紅葉は茵が気に入ったら引く、仰向けに転がった。
「お前が掴み取った縁だ。そして、お前が俺を信じたから、俺はそれに従ったんだ」
「でも、紅葉はその気になれば変化なんて好きに解けるだろ? なのに、まるで俺が喚んだみたいにしてくれてさ……」
「お前はもう少し自分の力を信じろ、明晴」
紅葉が諭すように言う。
「妖を見られる者が減ったのは何故か分かるか? 武家が台頭し、人ならざるものを信じる者が減ったからだ。妖も神も、信じる者にしか見えない。特にお前は陰陽道に縁を持つもの。その霊力は、
「……別に、十二天将のみんなを信じてないわけじゃない」
だが、紅葉以外は明晴の意志で現界することができない。それはすなわち、彼らが明晴を真に主として認めてくれていない証ではないのか──と、思えてならなかった。
「まあ、そういう難しいことはおいおい考えようや。まずは食え食え」
紅葉が立ち上がり、四足でぽてぽてと明晴に駆け寄ってきた。
「織田家は武家のなかでも金持ちの家だ。せっかくいい家の食客になれたんだから、沢山食って大きくなれよ」
「う、うん」
紅葉に急かされ、明晴は飯をかき込んだ。
食事をしながら、ふと、初音の顔が浮かび上がった。
ややつり目がちな翠玉の瞳。
濡れたような烏の羽のような髪。
すらりと伸びた手足は、女性としてはやや大柄だ。
まるで天女のような美貌の持ち主であった。彼女のような少女を「傾城」というのだろうか。
だが──異常に白い肌が気になる。
白粉の臭いはしなかった。元の色が白いのだろうか。
だが、時おり顰められた顔は、苛立っているというよりは、苦しげにも見えた。
「紅葉、お願いがあるんだけど」
明晴は箸を置くと、紅葉を呼び寄せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます