二、
天守に続く階段は思ったよりも急だった。
「御屋形さま、例の奇術師を連れて参りました」
明晴の耳朶で、
「その方が、
思ったよりも高い声だった。よく響く。だが、厭な声ではない。
「
明晴は紅葉をちらりと伺った。紅葉が「大丈夫」とうなずいたので、顔を上げる。
天空を背に男が立っている。背が高く、面長で端正な顔立ちだが、髭は濃くない。若く見えるが恐らく四十路にはなっているだろう。
(この人が、
明晴は信長の隣にもうひとりいることに気づいた。昨日、仙千代と一緒にいた、美しい少女である。少女は明晴を見るなり、翠玉の双眸を険しく顰めた。
「そなた、名はなんと申す」
「あ、明晴です」
「姓は」
「え、っと、安倍──じゃなくて、ツチミカド……?」
普段勝手に「安倍晴明の子孫」を名乗っているから子孫は今でも安倍を名乗っているものだと思っていた。しかし、先日
いずれにせよ、「晴明の子孫」という肩書きばかり使いすぎて、姓というものに馴染みは少なかった。
「占いはできるか」
「ま、まあ……できますけど……」
信長の横に控える侍女が眉を顰める。信長は特に気を悪くした様子もなく、にやりと笑った。
「では、占ってみせよ。たとえば──そうだな。
信長は侍女に声をかけた。
「この者の齢を当ててみせよ」
紅葉は「任せろ」と尻尾を振る。
「13! 14! 15! 16! 17……にしては色気がないな、15だろ!」
紅葉は明晴を振り返った。
「表情からして、15だと思う」
「15……?」
紅葉の言葉を繰り返すと、信長は「当たっておる」と笑った。だが、侍女の表情はますます険しくなる。
「そなた、まことに安倍晴明の子孫であるか」
明晴は言葉に詰まった。
正直な話、明晴はたまたま縁あって陰陽道を身につけただけである。
平安時代以降、続々と減った霊力者。それがたまたま明晴が先祖返りのごとく爆発的に力を持っただけのこと。
名前が「明晴」──安倍晴明と似ていたから、やけっぱちで「安倍晴明の子孫」を名乗り幻術を披露したら、これが大衆に人気が出た。以来、勝手に名乗っているだけである。
ここで嘘をついてしまえばいいのかもしれない。適当にいつも通り幻術を披露したら、褒美をもらって逃げることもできるかもしれない。
だが──この男にそれは通じない気がした。その場凌ぎで逃れたところで、捕まってしまう。
まだひとこと、二言しか話していないにも関わらず、明晴にはそんな予感があった。
「明晴」
怯える明晴に、紅葉が声をかけた。琥珀色の双眸が爛々と輝きを増し、明晴の姿を映す。紅葉の瞳に映る明晴は、ずぶ濡れの子犬のように自信なさげだった。
「いいから。喚んでみろ」
「で、でも……」
式神とは、人ならざる者である。
確かに明晴は彼らと契りを交わした。だが、必ずしも彼らが明晴の呼びかけに応じてくれるわけではない。
矜持の高い彼らは、見世物になることを嫌う。紅葉はともかく、ほかの式神達は明晴が自分達を見世物にしようとすることを怒ってすらいた。
(本当に、俺の呼びかけに応じてくれる? だって、いつも……来てくれないじゃないか)
「明晴」
紅葉の声が響く。明晴ははっと息を呑んだ。
「大丈夫。少なくとも俺は、お前の味方だ」
琥珀の瞳が揺らめく焔のように揺れる。
明晴は袂に忍ばせていた扇を広げた。
「では──今から十二天将を、ご覧に入れましょう」
ごくりと唾を飲む。信長の眼差しが鋭さを増した。
隣にいる初音の表情が険しくなる。仙千代も声こそ出さないものの、明晴のことを哀れんだような目をした。
紅葉は、信じろと言った。
矜持が高い、人ならざる者。
見世物として軽んじられることを良しとせず、明晴の呼びかけに応じてくれるのは、今や紅葉だけとなっていた。
紅葉とて神の席に座る者として、ほかの式にいる同胞と同じく矜持があるはず。にも関わらず、明晴のために本来の力を出してくれるという。
神としての矜持より──明晴の式としての想いを貫こうとしてくれている。
ならば、明晴にできるのはただひとつ。
紅葉の言の葉を、信じる。
明晴は扇を振った。
「臨める兵、闘う者。皆陣をはり列を作って前に在り──」
幾度も唱えた言葉。しかし、今までとは違う手応えを感じる。まるで硬く結ばれていた鉄の鎖がようやくほどけたような軽やかさだった。
「我が名は明晴──我が声に集え。我が声に従え。──十二天将、『
その瞬間、紅葉の小さな体躯が旋風に包まれる。その力の強さに、仙千代や信長、初音も思わず身を竦めた。
そして旋風が掻き消えた瞬間──獣のいた場所に、青年が現れる。
白銀の散切り頭に琥珀の双眸、そして明風の衣を身にまとっており、異質な雰囲気を放っている。
「……我こそは十二天将がひとり、『白虎』。この、安倍明晴の式である」
やや低めの声が明晴の耳朶を叩く。
「織田信長よ。これで満足か?」
「ふっ」
信長は笑みを漏らした。
「初音よ。そなたは幻術と申しておったが──此度も、この童は幻術を使うておるか?」
「いいえ」
初音は困惑したように、明晴と紅葉を見つめた。
「恐れながら──あの時とは違います。此度は……まことの……強い霊気を感じます」
「霊気だと?」
紅葉は眉を顰めた。
「初音とやら。我は神の末席に座る者なり。霊気とは、人の子が使うものぞ」
信長は明晴を見た。
「明晴とやら。そなたはどうやらまことに安倍晴明の縁者のようじゃな」
「えっ」
明晴は困惑した。召喚した──といえば召喚したのだが、どちらかといえば紅葉が本来の姿を解放してくれただけに近い。確かに常人には召喚したように見えるだろうが、果たして信長にそれが通じたとは思えない。
「十二天将は、かつて安倍晴明が使役した神々。その十二天将がそなたの傍にいる。それ以上に、そなたが安倍晴明の子孫たる証になるか?」
どうやら、首の皮一枚繋がったらしい。明晴はほっと体から力を抜いた。
「陰陽師か。面白い」
仙千代と初音が階を降りる信長に続こうとすると、信長は初音を呼び止めた。
「初音。そなたは、明晴の世話をせよ」
「はい?」
初音がぎょっとした。明晴と紅葉も同じ顔をしている。
「明晴よ。そなたに、しばしの間、城に留まることを許す。儂は、痩せこけた童という生き物が気に食わぬでな。初音、粥でもたらふく食わせてやれ」
「御屋形さま!」
初音が目を怒らせた。
「このような怪しき童をお傍に置くなんて──それも西の御屋敷なんて! 奥方さまや他のご側室にも仇なすやもしれませんのに!」
「なにも奥に入れるとは言っておらぬ。ただ食客として丁重にもてなせ。それだけじゃ」
話はしまいだと言わんばかりに、今度こそ信長は天守を後にした。
紅葉はいつもの獣の姿に戻ると、明晴に駆け寄った。明晴の脚に前足を引っかけ、心配そうに首を傾げる。
「大丈夫か、明晴」
「な、なんとか……ありがとう、紅葉。助けてくれて」
明晴は紅葉の体躯を持ち上げると、そっとその毛並みに掌を這わせた。
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