二、

 天守に続く階段は埃ひとつないほど磨き上げられていた。

 明晴あきはるは滑って転ばないように気をつけながら、万見仙千代まんみせんちよの後をついて登る。


 仙千代は、最後の一段を登り終えると、ゆっくりと膝を突いた。


「御屋形さま。例の奇術師を連れて参りました」


 明晴が突っ立っていると、肩に登って来た紅葉こうようが「仙千代の真似をしろ」と囁いた。

 明晴は座る姿勢や頭の下げ方など、言われたとおり仙千代に倣って行う。


「その方が――安倍晴明あべのせいめいの子孫、か」


 頭の上から聞こえたのは、思っていたよりも高い声だった。耳によく響き、十間先まで届きそうだ。

 だが、嫌な声ではない。


おもてを上げよ、晴明の子孫とやら」


 明晴は紅葉をちらりと伺った。紅葉が「行け」とうなずいたので、顔を上げる。仙千代は既にこうべを上げていた。


 欄干に背を預け、男が座している。座っていても分かるほど背が高く、面長で端正な顔立ちだが、髭はあまり濃くない。若く見えるが、恐らく四十路には届いているだろう。


(この人が、織田信長おだのぶなが……)


 明晴は、信長の隣にもうひとりいることに気づいた。

 色白で、濡れた烏の羽のような艶やかな髪をした、美しい少女である。やや釣り目気味な翠玉の双眸は陽光に輝き、まるで天女でも見ているかのようだ。


(か、可愛い……)


 明晴が少女の美貌に見入っていると、紅葉が背を叩いた。

「なーに初対面みたいな顔してんだ。もう2回も会ってるだろ」

「え?」

「だーかーらー」

 紅葉は呆れたように明晴をねめつけた。

「濃姫や、仙千代と一緒にいた侍女! あの娘だろ」

「え」

 明晴は呆気に取られた。


「え、この子があの侍女!?」


 明晴が思わず声を張り上げると、隣にいた仙千代が咳払いした。

「……あ、すみません」

 明晴は慌てて口を噤む。紅葉は「すいませんねー、うちの子が」などと頭を叩いている。

 例の少女は、翠玉の双眸を険しくした。――紅葉に向けて。


(……え? 今、この子……紅葉のことにらんだ……?)


 明晴は目をしばたいた。紅葉も同じ顔をしている。

 少女が紅葉を見たのは一瞬の出来事だった。すぐに目を反らし、信長の方に目線を向ける。少女は玲瓏な声で信長に、「式神がついているようです」と囁いた。

「どうやらあの子どもに、妖が悪戯をしかけているようで……御屋形さまが気になさるほどのことではないかと」

「式神、か」信長が面白い、と呟きながら問う。「そなた、名はなんと申す」

「あ、明晴です」

「姓は」

「え、っと、安倍──じゃなくて、ツチミカド……?」

 普段勝手に「安倍晴明の子孫」を名乗っているから子孫は今でも安倍を名乗っているものだと思っていた。しかし、先日帰蝶きちょうから「安倍晴明の子孫は土御門つちみかど家である」と教わっている。

 いずれにせよ、「晴明の子孫」という肩書きばかり使いすぎて、姓というものに馴染みは少なかった。

「占いはできるか」

「ま、まあ……できますけど……」

 信長の横に控える侍女が眉を顰める。信長は特に気を悪くした様子もなく、にやりと笑った。

「では、占ってみせよ。たとえば──そうだな。初音はつね

 信長は侍女に声をかけた。初音というのは、この少女の名前らしい。

「この者の齢を当ててみせよ」

 紅葉は「任せろ」と尻尾を振る。

「13! 14! 15! 16! 17……にしては色気がないな、15だろ!」

 紅葉は明晴を振り返った。

「表情からして、15だと思う」

「15……?」

 紅葉の言葉を繰り返すと、信長は「当たっておる」と笑った。だが、侍女の表情はますます険しくなる。

「そなた、まことに安倍晴明の子孫であるか」

 明晴は言葉に詰まった。

 信長は、「本当に晴明の子孫であるのか、証明してみせろ」と言っているのだ。


 正直な話、明晴はたまたま縁あって陰陽道を身につけただけである。

 平安時代以降、続々と減った霊力者。それがたまたま明晴が先祖返りのごとく爆発的な霊力を持っており、陰陽道が馴染んだだけだ。

 名前が「明晴」──安倍晴明と似ていたから、やけっぱちで「安倍晴明の子孫」を名乗り幻術を披露したら、これが大衆に人気が出た。以来、勝手に名乗っているだけである。


 ここで嘘をついてしまえばいいのかもしれない。適当にいつも通り幻術を披露したら、褒美をもらって逃げることもできるかもしれない。

 だが──この男にそれは通じない気がした。その場凌ぎで逃れたところで、捕まってしまう。

 まだひとこと、二言しか話していないにも関わらず、明晴にはそんな予感があった。


「明晴」


 怯える明晴に、紅葉が声をかけた。琥珀色の双眸が爛々と輝きを増し、明晴の姿を映す。紅葉の瞳に映る明晴は、ずぶ濡れの子犬のように自信なさげだった。

「いいから。喚んでみろ」

「で、でも……」

 式神とは、人ならざる者である。


 確かに明晴は彼らと契りを交わした。だが、必ずしも彼らが明晴の呼びかけに応じてくれるわけではない。

 矜持の高い彼らは、見世物になることを嫌う。紅葉はともかく、ほかの式神達は明晴が自分達を見世物にしようとすることを怒ってすらいた。その証拠に、十二天将達は紅葉以外、何年も明晴の前に姿を現していない。



(本当に、俺の呼びかけに応じてくれる? だって、いつも……来てくれないじゃないか)

「明晴」

 紅葉の声が響く。明晴ははっと息を呑んだ。


「大丈夫。少なくとも俺は、お前の味方だ」


 琥珀の瞳が揺らめく焔のように揺れる。

 明晴は袂に忍ばせていた扇を広げた。


「では──今から十二天将を、ご覧に入れましょう」


 ごくりと唾を飲む。信長の眼差しが鋭さを増した。

 隣にいる初音の表情が険しくなる。仙千代も声こそ出さないものの、明晴のことを哀れんだような目をした。


 紅葉は、信じろと言った。


 矜持が高い、人ならざる者。

 見世物として軽んじられることを良しとせず、明晴の呼びかけに応じてくれるのは、今や紅葉だけとなっていた。


 紅葉とて神の席に座る者として、ほかの式にいる同胞と同じく矜持があるはず。にも関わらず、明晴のために本来の力を出してくれるという。

 神としての矜持より──明晴の式としての想いを貫こうとしてくれている。


 ならば、明晴にできるのはただひとつ。


 紅葉の言の葉を、信じる。


 明晴は扇を振った。


「臨める兵、闘う者。皆陣をはり列を作って前に在り──」


 幾度も唱えた言葉。しかし、今までとは違う手応えを感じる。まるで硬く結ばれていた鉄の鎖がようやくほどけたような軽やかさだった。


「我が名は明晴──我が声に集え。我が声に従え。──十二天将、『白虎びゃっこ』!」

 

 その瞬間、紅葉の小さな体躯が旋風に包まれる。その力の強さに、仙千代や信長、初音も思わず身を竦めた。

 そして旋風が掻き消えた瞬間──獣のいた場所に、青年が現れる。

 白銀の散切り頭に琥珀の双眸、そして異国風の衣を身にまとっており、異質な雰囲気を放っている。


「……我こそは十二天将がひとり、『白虎』。この、安倍明晴の式である」


 やや低めの声が明晴の耳朶を叩く。

「織田信長よ。これで満足か?」

「ふっ」

 信長は笑みを漏らした。

「初音よ。そなたは幻術と申しておったが──此度も、この童は幻術を使うておるか?」

「いいえ」

 初音は困惑したように、明晴と紅葉を見つめた。

「恐れながら──あの時とは違います。此度は……まことの……強い霊気を感じます」

「霊気だと?」

 紅葉は眉を顰めた。

「初音とやら。我は神の末席に座る者なり。霊気とは、人の子が使うものぞ」

 信長は明晴を見た。

「明晴とやら。そなたはどうやらまことに安倍晴明の縁者のようじゃな」

「えっ」

 明晴は困惑した。

 召喚した──といえば召喚したのだが、どちらかといえば紅葉が本来の姿を解放してくれただけに近い。確かに常人には召喚したように見えるだろうが、果たして信長にそれが通じたとは思えない。

「恐れながら御屋形さま、この者は――」

 初音が口を開く。信長は初音の頭を撫でつけながらそれを制した。


「十二天将は、かつて安倍晴明が使役した神々と聞く。その天将が再びこの者らの傍にいる。それ以上に、明晴が晴明の子孫である証拠になるか?」


 信長が見やると、仙千代が立ち上がった。明晴の前に、両手ほどの巾着が5つ置かれた。

「褒美じゃ。受け取れ」

 どうやら、首の皮一枚繋がったらしい。明晴はほっと体から力を抜いた。

「陰陽師か。面白い」

 信長が立ち上がった。仙千代と初音が続こうとすると、信長は初音を呼び止めた。

「初音。そなたはしばらく、お濃の傍を離れてよい」

「はい?」

「そなたに、明晴の世話役を任ずる」

 初音が露骨に顔を顰めた。明晴も驚きを隠せず、「なんで」と呟く。

「明晴。そなたに、しばしの間、城へ逗留することを許す。初音、西の屋敷に部屋があるはず。案内してやれ」

「御屋形さま!」

 初音が目を怒らせた。

「このような怪しき童をお傍に置くなんて──それも西の御屋敷なんて!  奥方さまや他のご側室にも仇なすやもしれませんのに!」

「なにも奥に入れるとは言っておらぬ。ただ客人として丁重にもてなせ」

 話はしまいだと言わんばかりに、今度こそ信長は天守を後にした。

 紅葉はいつもの獣の姿に戻ると、明晴に駆け寄った。明晴の脚に前足を引っかけ、心配そうに首を傾げる。

「大丈夫か、明晴」

「な、なんとか……ありがとう、紅葉。助けてくれて」

 明晴は紅葉の体躯を持ち上げると、そっとその毛並みに掌を這わせた。

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