2、初音

一、

 岐阜ぎふ城は金華山きんかざんの山頂に位置している。

 その始まりは鎌倉時代にまで遡り、鎌倉幕府執事・二階堂行政にかいどうゆきまさによってはじめて砦が築かれたと言われている。

「鎌倉の頃は、こーんな片田舎が、政の中心に食い込もうだなんて思わなかったよなぁ。でも、確かに美濃みのは京の都からもそれほど離れていないし、川もあるし、金策は練りやすいし、地形的にも城が目立つよな」

「……っ」

「明晴、岐阜城は岩山のこーんな上にそびえ立ってるだろ? 難攻不落の城って言われてるらしいぜ。先代……いや、先々代か。濃姫のうひめの父親である斎藤道三さいとうどうさんは、『美濃を制する者は天下を制す』って言ったらしいけど、なるほど、間違いない。信長はいい城を引き継いだもんだよなぁ」

「……そ、れにしたって、」

 明晴あきはるは岩山にかじりつきながら、山頂を見上げた。


「それにしたって、もう少し他に御殿作るとかしてもいいじゃんかよ、うつけ者ーーーー!!!」


 明晴は軽々と山を登る紅葉こうようを恨みがましく睨んだ。小さな虎の姿を取っている紅葉は、「がんばれー、晴明せいめいの子孫」とからかう余裕すら見せつつ、ひょいひょいっと岩山を登っていく。

「普段から鍛えてないからそうなるんだ。インチキばっかり働いていないで、ちゃんと働けよ、晴明の子孫やい」

「うるせーやいっ!」

 おちょくってくる紅葉に向かって、明晴は獣のように吠えた。もっとも紅葉にとっては、子犬がキャンキャン吠えているようにしか見えないのだが。

「こちとら、幼気な子どもだぞ! 普段、こんな岸壁なんて登らないから! ていうか紅葉が変化を解いて俺のこと背負ってくれたらいいのに!」

「やなこった。たまには自分で頑張ってみろ。つーか、昨日仙千代と一緒に、この間濃姫とお前の幻術見に来てた娘もいたろ」

 そういえば、衣を目深く被っていたせいで見えなかったが――仙千代と一緒に、娘がいたようだった。恐らく、帰蝶きちょうの侍女であろう。

「あの子が何か?」

「あの子だって、町に降りてくる時は、この道を使ってるんだろう、と言っている。ほれ、泣き言はいいから頑張れ。今のままじゃ、あの娘にも負けてしまうぞ」

「ぐぬぬ、ああ言えばこう言う……!」

 どうにか岐阜城に辿り着いた明晴を待ち構えていたのは、万見仙千代まんみせんちよという少年であった。信長の小姓を務めており、昨日明晴に信長からの書状を持ってきたのも、この仙千代という少年である。

 仙千代はやや驚いたように目をまん丸くしながら、明晴を見つめた。

「え、うまを登ってきたの……ですか?」

 仙千代いわく、明晴が使ったのは馬の背と言われる、岐阜城へ辿り着くにはもっとも過酷な経路だという。

「特に、昨日は女人を伴っておりましたゆえ……。説明しておけばよろしかったな……」

 と、やや申し訳なさそうに仙千代が言った。

 城の者は城下に降りるとき──というか普通は七曲ななまがりという道を使うらしい。そちらは整備されており、女子どもだけでなく、出入りの商人や家臣らも七曲りを通って城に上がってくるそうだ。

「……紅葉。お前、知っててあの道勧めたの?」

 ちなみに明晴に道案内をしたのは、紅葉である。

「少しは体使った方がいいぞー、若者よ」

 後ろ足で呑気に首をかきながら、紅葉は欠伸をした。明晴は紅葉の首根っこを掴むと、思い切り遠くへと投げ飛ばした。


 ***


 仙千代の案内で天守に向かう。

「はー……。こんな立派な場所で暮らしてるんだ、信長のぶながさまって。お金って、あるところにはあるんだ。すごいなぁ」

「ばーか」

 紅葉は明晴の肩に飛び乗りながら、明晴の耳朶を噛んだ。

「城っていうのは、戦の時に使うものをしまってあるんだ。蔵だよ、蔵。まあ、信長とか、あとは松永久秀まつながひさひでなんかは天守に住んだりもしてるけど」

「じゃあ、間違ってないじゃん」

 明晴は肩に乗った紅葉をぺいっと手で払い落とした。

「……御屋形さまの居城は、西側にあります」

 やや困惑したように、仙千代が説明する。天守は主に、人を招いて秘密裏に話したいことがある時などに使う、と。

「へぇ……」

「ほーれ、見ろ。お前はもう少し時勢を学べ。金が欲しいならな!」

「あーもう、紅葉はうるさいっ!」

 明晴は紅葉の首根っこを掴んで振り回した。

「……そこに、何かいるのですか?」

 仙千代が訝しげに問う。明晴は「やば」と口を押さえた。


 余談ではあるが――、式神は基本的には人の目に見えないよう姿を隠している。召喚した術者以外では、よほど強い霊力を持っていない限り、その姿が見えることはない。もちろん力の調整具合によっては、その限りではないが。


 紅葉は今、姿が見えないように神力を調整している。そして仙千代は強い霊力は持っていないようである。

 つまり、仙千代にとって明晴は、ひとりでずっと大きな独り言を喋っている変な子どもとして映るわけである。

「……御屋形さまの御前では、あまりお騒ぎになられませんよう」

「……はい」

 まるで怪しい者を見るような目は、居心地が悪い。明晴はしゅんと肩を落としながら、天守に続く階段を登った。


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