三、

 紅葉こうようの首筋にしがみつき、振るい落とされないようにしながら、明晴あきはるは叫んだ。

「紅葉、どういうこと? 敵の正体に心当たりはあるの?」

「ああ、恐らくだが、積屍気せきしきだろう」

「セキシキ?」

「昔──俺達の主が晴明せいめいだった頃──、退治したことがある」

 積屍気──その名の通り、屍から生じた陰の気が積もる妖だ。

 杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼうは、多くの命を奪った。殺された者達は充分な供養も受けていない。

 理不尽に命を奪われた恨みも苦痛も慰められることはなく、積もり積もった無念が積屍気を呼び起こしてしまったのだ。

「晴明は、どうやって退治したの?」

「魂縛の術を使っていた。だが、平安の頃ならいざ知れず、乱世でそれで解決できるかね?」

「…………」

 明晴は押し黙った。


 乱世は、戦で理不尽に命を奪われる者も、ろくな供養をされない者も少なくない。

 特に戦火に巻き込まれた、下々の民なら尚のこと。


 善住坊の罪は許されざるものだ。しかし、善住坊のような人間が珍しいわけではない。


 歴史は繰り返す。――人が争いをやめない限り。

 そんな中で、明晴には何ができるのだろう。適当な調伏で魂を鎮めたことにするのも。積尸気にさせられた魂への救いになるのだろうか。しかし、安倍晴明すらできなかったことを明晴にできるのだろうか。


 この先、生まれ続けるであろう怨念を、全て鎮めることなんて、到底できないのに。


 紅葉が静かに語りかける。


「積尸気は、一度倒したからといって終わりじゃない。この世に強い念を残した魂が存在し得る限り、何度でも生じるだろう」

「……分かってる」

「……なあ、明晴」

「なに……?」

「お前は、陰陽師だろう。いつまでも晴明の猿真似だけでいいのか?」

 明晴はどきりとした。

「そ、そんなこと言ったって……俺は所詮芸人上がりの陰陽師もどきだよ」

 明晴は今まで十二天将達に習った晴明の軌跡をたどっているだけだ。

 安倍晴明の真似しかしてこなかった明晴が、安倍晴明とは違う方法を駆使してこの一件を解決することはできるのだろうか。


 きっと自分にはできない。途方もない苦労を強いられることになる。頭では分かっている。それなのに、明晴の胸はどうしようもない高揚感に揺れていた。


「……信長のぶながさまは善住坊を『生きたまま連れてこい』っていうし、紅葉は『晴明の猿真似をやめろ』って言うし。みんな、幼気な少年に対して要望多すぎだよ!」


 明晴は紅葉の首の後ろの毛を掴みながら、思考を回した。


 積尸気は、無理やり固められた怨念が妖と化したものだ。その魂を鎮めれば、あるいは勝機はあるかもしれない。

 しかし、安倍晴明はそれをしなかった。安倍晴明は魂を縛り、消滅させた。

 恨みや未練を解きほぐすということは、それだけ難しいことなのだ。かの大陰陽師ですら、できないほど。


 安倍晴明にできなかったことを、明晴にできるのだろうか。

 明晴は安倍晴明になど遠く及ばないのに。

「バカだなぁ」

 紅葉はいつもの、まるでおかずを奪い取った時のような、あっけらかんとした口調で言った。

「お前は十二天将が認めた陰陽師だぞ。お前だったら、晴明だって超えられる。そうでなかったら、俺もこんなことは言わない。神は乗り越えられる試練しか与えないからな!」

「……その言葉、責任持てよ!」

 明晴は懐から数珠を取り出した。

 数珠を絡めた手を組み、体の周りに結界を張る。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前……」


 来る、と確信した瞬間、銃声が聞こえた。

「紅葉、右だ」

「分かってる!」

 紅葉が飛び跳ねて逃れたのと反対の場所に弾が跳ねる。

 銃弾が飛んできた方向には、禍々しい気が生じている。

 ──そしてその中心には、黒衣を纏った僧侶がいた。

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