二、

 ぼんやりと水晶玉に浮かび上がる光景には、荒屋が映し出されている。火薬と、肉が腐ったようなひどいにおいが混じりあっている。

 囲炉裏を前に鉄砲を囲む坊主がいる。ぼろぼろの黒衣をまとったこの男こそ、信長を二度に渡って信長を襲撃したという杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼうだろう。

 荒屋には、異様な気が充満している。紅葉こうようは鼻を押さえた。

「ひどい臭いだ。死の臭いを浴びてやがる」

「死の臭いって?」

「この杉谷何某とやら、大勢の人間を殺しているようだ。部屋中に、怨念が満ち溢れてる。よく見てみろ」

 明晴は手を組むと、神経を研ぎ澄ませた。杉谷善住坊の周りには、老若男女を問わぬ、人の形をした影がまとわりついている。


──ユルサナイ

──オマエダケハユルサナイ

──クルシイ

──タスケテ

──シニタクナイ…



 無数の声が聞こえてきた。

 紅葉は胸糞が悪いと吐き捨てた。

「強ければ生き、弱ければ死ぬ。今も昔も乱世はそんなもんだ。……だが、この男は違う。快楽のために、女子どもを殺しているようだ」

「快楽のために……!」

 明晴あきはるの背筋が凍りつく。

「よく見てみろ、明晴。この男の鉄砲、使い込んであるだろ。何人の血を吸ってるんだろうな。必要に迫られ、生きるために致し方なく子どもを殺したわけではなさそうだ」

 善住坊は鉄砲を撫でながら恍惚な笑みを浮かべた。


『──堪らんなぁ。俺の鉄砲の腕前は、あの織田信長おだのぶながを脅かすことができる……』

『善住坊よ、調子に乗るなよ』


 禍々しい声が耳朶にねっとりと絡みつく。


『誰のお陰で貴様の愉悦を満たせていると思っている。──尾張のうつけなんざどうでもよい。儂が求めているのは──玉依姫たまよりひめの血であるぞ』

『は、ははっ、申し訳ございませぬ、主どの』


 善住坊は"何か"に向けて頭を垂れた。


『これから、信長のところに参ります。玉依姫とやらも、信長の庇護下にいる模様。必ずやあなた様に、玉依姫の血肉を捧げまする』

『二度目はないぞ、善住坊』

『ははっ』


 明晴なそこで水晶玉に布をかけた。

 腕を見ると、肌が泡立っている。

 これ以上の詮索は危うい──と、本能が告げていた。

「紅葉──今のって……」

「鳥のにおいがした」

 恐らく、日ノ本の妖ではない。杉谷善住坊の背後にいるのは、悪知恵の働く、もっと質の悪い妖なのは明らかだった。


 まだ、平安の世であった頃──紅葉は、さきの主のもとで、この妖気と出会ったことがある。


 紅葉は立ち上がると風の渦を体にまとった。渦がやむころには、小さな小虎のような生き物はいなかった。代わりに、美しい白毛をまとった虎が、立っていた。


 ──十二天将じゅうにてんしょうのひとり、そして四神ししん白虎びゃっこの真の姿である。


「明晴、乗れ!」

「う、うん」

 紅葉は明晴が背に乗ったのを確認すると、縁側に飛び出した。


「急がないと面倒なことになる。──飛ばすぞ!」


 紅葉は明晴の返事も待たず、跳躍した。

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