十、

 絶叫とともに、朱雀すざくの炎が明晴自身にもまとわりつく。逃げようとした明晴あきはるの肩を清夏きよかは強引に抑えつけた。

「このまま炎を浴びていろ」

「あっついんだけど!?」

「いいから。――魂を集中させろ」

 朱雀は太刀の刀身に明晴の掌を触れさせた。火傷する覚悟で触れたにも関わらず、伝わって来るのは冷ややかな気だった。


『たすけて』

『くるしい』

『おかあちゃん、どこにいるの』


 そんな悲鳴が聞こえてくる。幼い命の声――明晴の胸がずきりと痛んだ。

「俺達ができるのは、お前の言葉が、積屍気せきしきになった子らへ届く道を作ることだけだ。――あとはお前がやるんだ、明晴」

 朱雀の掌が離れる。明晴の体は急に軽くなった。ふわりと浮かんだような、水に浮いたような感覚。母親に抱かれるのは、こんな心地よさなのかもしれない。




***




 辺りを見渡すと、朱雀の姿はない。紅葉こうようも、白雪しらゆきも、そして善住坊ぜんじゅうぼうもいない。光が一点もなく、明晴は息苦しささえ覚えた。

 存在しているのは不快な血生臭さだけだ。その臭気を発しているのは、血だらけの子どもだった。目玉が飛び出、体もあちこち欠損している。正直、触れるのに気後れさえした。


「お気持ちは察します」


 玲瓏な女性の声に、明晴は目をしばたいた。

「その声……初音はつねさん?」

 振り返ると、そこにいたのは奈良時代の女官のような衣を着た女だった。巫女であろうか。

 黒髪に、翠玉のような涼やかな瞳をしている。一瞬初音かと思ったが、よく見れば違う。女人もそれは否定した。

「私は、初音ではありません」

 ですが――と巫女は言葉を続けた。

「今、私の名を明かす気もございません。……私の正体がいかなるものか、今は関係ないのですから」

 血生臭い闇の中で、巫女の存在だけが驚くほど清らかであった。まるで春の花のような、甘い香りがする。

「この子らを救ってくださるのではなかったのですか?」

「……もちろん」

 だが、この子達を目の前にし、どうすればいいのか分からない。

 明晴が触れていいものか、ひどく迷う。これほどまでに惨たらしく傷つけられた彼らに下手に触れては、積屍気を却って傷つけるのではないか。そんな恐れがあった。

 巫女は領巾ひれを羽ばたかせながら、明晴の手を引いた。

「この子達は、哀れなる魂です。本当は、待っているのですよ。母の温もりを」

「母の……温もり……?」

「そしてこの子達の母も同じ。この暗がりの先で待っているのです。子を抱き締める機を。……だから、あなたが解いて差し上げて」

 母の温もりを、明晴は知らない。

 父のことは何となく覚えている。だが、母は明晴を産んですぐに死んだ。そして父も、明晴が六つの時に、明晴に十二天将召喚の術を授けて死んだ。


 親の温もりを、明晴は知らない。

 だが、親の温もりに飢える子の気持ちは、何となく分かる気がする。


 明晴は恐る恐る、血だまりの子に触れた。

「……ひとりは、寂しいよな」

 明晴が頬に触れると、子どもは「ふぇっ」と堰を切ったように泣きはじめた。

 理を歪めてこの世に留められ、その上自分を殺した男にいいように使われる。痛くて、苦しくて、そして親に会えないのは寂しかったことだろう。


 巫女は静かに言った。


「弱き者というのは、総じて触れることに躊躇したくなる姿をしているのです」

「……この子らのように?」

「ええ」


 強そうな出で立ちをしている者。

 触れたら壊れそうなほど、儚い姿をしている者。

 こちらが理解できないことをする者。


 だが、そういった者にほど、本来は助けが必要なのだ――と女人は言った。

「どうか、あなたはその間違いを犯さないで。あなたは陰陽師・安倍晴明と同じ魂を持つお方。天運を歪めることはできずとも、悲しき天命を授けた者に寄り添うことはできるのですよ」

「……寄り添う」

 明晴は、子どもを腕に抱いた。

「……あ」

 抱き上げた子どもからは、血の臭いはしなかった。

 先ほどまで崩れていた体は、綺麗になっている。皮膚は爛れておらず、目も飛び出していない。

 明晴を見て、きゃっきゃっとはしゃいでいた。

「……可愛い」

 明晴は子どもを地面に下ろした。子どもは明晴に手を振ると、反対の方向に向けて駆けていく。

 先ほどまで、前後左右どこを向いても暗闇のはずだった。しかし、子どもが駆けて行ったところは光り輝いている。光の壁の前では、その子どもによく似た男女がいた。


「坊や!」

「かあちゃ……とおちゃ……!」


 子どもはその男女と抱き合った。どうやら、積屍気の――子どもの両親らしい。

 先ほどまでの悪しき臭いは消え失せている。花が咲くような甘い春の匂いがする。明晴が瞬きすると、そこには桜吹雪舞う場所に変わっていた。

 桜吹雪に、橋がかかる川。ずっとこのままここにいたくなる場所だった。

「……気持ちは分かりますが、あなたをここに留めておくわけにはいかないのです」

 巫女は苦笑気味に言った。

「あなたには、為すべきことがおありの様子。まだ、こちらに渡るは早いかと。……ほら。春の女神が迎えに来ていますよ」

「春の女神?」

 明晴が振り返る寸前、頭に衝撃が走った。

「痛(て)ぇっ!」

 頭を押さえると、「まったく」と、低い女の声が響く。

 凍てついた湖のような、煌びやかな長い髪。明晴は顔を上げた。

「しゅ、春霞しゅんか……」

「無茶をするでないわ。玉依姫たまよりひめと縁を結べなければ、そなたはあのまま積屍気の怨念に飲まれて死んでおったぞ」

「玉依姫の縁?」

 明晴は巫女を振り返った。彼女の導きでここにいるらしい。

 玉依姫は優雅に笑った。

「青龍さま。わたくしにできるのは、ここまでにございます。あとは――」

「分かっておる」

 春霞は明晴の首根っこを掴むと、玉依姫に礼を述べた。

「本来ならば、咲耶姫以外の頼みを聞く筋合いなどなかろうに。無理を言ったな」

「いいえ。わたくしは既に、神界を追われた身。なれど、神に仕える身であることは代わりありませぬ。……春を司るあなた様の言の葉は、咲耶姫も無下にするなと仰せでございます。いつでもお願い致します。……明晴さま」

「あ、はい」

 明晴は玉依姫の顔を見た。


(この人……やっぱり、初音さんに似てる……)


 玉依姫は、明晴の手を取った。

「これを。身に着けていれば、春の神があなたを守ってくださることでしょう」

 手首には、桜色の勾玉や珠を結んだ数珠が結ばれていた。

「あ、ありがとうございます」

「お礼を言われるほどのことではありませぬ。……どうか、初音のこと、よろしくお願い致します」

 あなたと初音さんの関係は? 

 そう聞きたかったが、すぐに意識が途絶えた。春の光に誘われるように、明晴の体は力を失った。

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