寄り添う風

 どこかで子どもが泣いている。

 枕から離した初音は、声の方を振り向いた。隣の部屋は──明晴の寝所である。初音は立てかけておいた小袖を寝間着の上に羽織ると、部屋の戸を開けた。



「──寝てな」



  自室の前には、明晴の眷属である紅葉がいる。

 ただし、いつもの愛らしい、小虎のような出で立ちではない。白銀の散切り頭に、明のような異国風の着物。

(紅葉の本性、見慣れない……)

 初音はずり落ちた小袖を羽織り直しながら、神を見つめる。

 人型は見慣れないが、横顔はいつもどおり──に見える。だが、有無を言わさぬ迫力がある。初音に、この扉の向こうに行くことを許さない、というような──それでいて懇願するような、そんな色をまとっている。

 初音は、小袖をぎゅっと握りしめた。

「本当に……わたしは関われないのね」

「ああ。……お前は関わるな」

 恩に着る、と紅葉は呟く。初音は唇を噛みながら自分の部屋に戻った。




 初音の気配が立ち去ったのを見て、紅葉は明晴の部屋の戸を開けた。

「う………っあ……っ」

 ぎしり、と床が軋む音が響く。その瞬間、明晴がカッと目を見開いた。枕元に置いてあった呪符を素早く手に取り、


「───斬ッ!!!」


 紅葉の頬の真横を、風の刃が通り抜ける。その刃に旋風を当てて掻き消した。散った刃は鋭い。もし当たっていたら、紅葉も無事では済まなかっただろう。


(初音を来させなくて良かった)


 紅葉は心からそう思った。


「こ………う………」


 呻くような声が響く。紅葉は破片の上を歩いて明晴の元に向かった。皮膚が裂けるような感触がしたが、どうせ神の身には些細なことだ。気にせず、明晴の真横に膝を突く。

「ごめ………っ俺、また……」

 明晴の肩がガクガクと震える。紅葉は明晴の背中に腕を回し、掌を弾ませた。


 人の親というものがどういうものなのか、紅葉は知らない。

 だが、先の主はよくこういう風に我が子を抱き締めていた……ような気がする。

(奴が主だった頃、俺はあまり人界に来なかったからよく分からんが……まあ、間違ってはいないだろう)

 明晴は震えながら、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」と謝罪を繰り返す。

「大丈夫だ。問題ない」

 時々、明晴は過去を思い出す。その度に怯え、悲しみ、誰かれ構わず攻撃してしまう。特に今は陰陽師としての力を強めているから、以前よりもかわすのが難しくなった。

(むしろ、前よりも増えているかもしれないな……)

 紅葉は、明晴の背中を撫でながら顔を顰めた。

「……安心しろ、明晴。俺は無事だ。安心しろ。俺は何があろうと、お前から離れはしない」

 明晴の肩が震える。詫び続ける主に、紅葉は「大丈夫」と諭し続けた。


 忘れろ、と言うのは簡単だ。しかし、忘れろと言い続けても、明晴は忘れられない。心の傷というのは、簡単に癒えるものではない。

 それでもその傷がいつか痛みを伴わなくなればいい。紅葉は、そう願わずにいられなかった。

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戦国陰陽師 〜自称・安倍晴明の子孫は、第六天魔王のお家の食客になることにしました〜 水城 真以 @mizukichi1565

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