八、
頭が重い。前髪を掻き毟りながら、何度目か分からない寝返りを打つ。
昨晩からずっと床に伏しているせいで、体のあちこちが痛い。姿勢を変えた程度では痛みが落ち着く気配はなかった。
「う……っ」
枕に頭を預け、
何度も眠りの世界には誘われる。しかし、うつらうつらすればその都度、頭を打ち据えられたような激しい痛みにより、眠りを妨げられる。これが何日も続いているのだから、当然睡眠不足が積み重なっており、体調は日に日に悪化の一途を辿っていた。
昨日、とうとう昼間に立ち上がれなくなってしまった。黙っていたかったのに、うずくまっていたところを同輩達に見つかってしまい、それは
『そなた、しばらく休め』
『いえっ!』
初音は当初、その命令を拒んだ。
眠れないのは、初音自身の管理が足りていないだけだ。わざわざ数日の暇をもらうのが申し訳なかった。
なにより、侍女としての務めすら果たせない不甲斐なさが強かった。役に立てなかったら、何のためにここにいるのか分からなくなってしまう。
だが、初音の願いが帰蝶に聞き入れられることはなかった。
『初音。そなたは、川並衆が頭領・
そうまで言われてしまえば、引き下がるしかなかった。
昔から、こうした頭痛は度々あった。
しかし、ここまでひどく、命の危機を感じるほどの痛みははじめてのことであった。
(昔は……どうしていたっけ……)
幼い頃も、眠れないほど頭が痛い日はあった。熱を出して寝込んでしまうことも。
(そうだ――こういう時は……)
こういう置きは――いつも
風邪が移る、父さまに怒られる。そう言って止める初音に「良いから」と強引に押しとおしていた。
異母姉は眠れない初音の頭を撫でて抱き締めてくれた。異母姉の掌で撫でられると、頭の痛みも体の不快感も嘘のように消えて、ぐっすりと眠れるのだった。
初音は枕元に置いていた文箱を手繰り寄せた。
文面から、異母姉が真面目で優しい人に育っていることは何となく察せる。異母姉は今、どうしているのだろう――。
「――はつね」
「……え?」
初音は思わず目を開けた。
玲瓏で、少し舌足らずな優しい声音を、忘れるわけがない。今、考えていた相手。初音にとって大切な家族。
だが――ここにいることはあり得ない。
妾腹の生まれである初音と違い、異母姉は正室腹の一の姫。初音の比ではないほど深窓の姫君として、父に大切に育てられた。簡単に出かけることなどできるはずもない。
そんな姫が、信長が命じたのでなければ、城に来ることはないだろう。仮に異母姉が城に来ることがあったなら、信長か、あるいは帰蝶が何かしら教えてくれるはずだった。
「初音」
もう一度名前を呼ばれ、初音はとうとう体を起こした。ふらつく思考をまとめながら、声がした戸の向こう側をにらみつける。
(
異母姉である菫姫の声を、間違うわけがない。
何年も会っていないが、初音にとっては一番心を許せる相手だ。大好きな姉の声を忘れた日はないし、再会できる日をずっと楽しみにしていた。
(……おかしい)
だからこそ、分かる。
初音が実家の
3つ上の菫姫は、当時11歳。そして今は、18歳。
1年程度の間ならばともかく――あるいは、当時、既に成人していた
「初音。なぜ出てきてくれないの」
声音が悲しい色をまとった。
「初音。名前を呼んで」
菫姫の声音が、耳朶にじっとりと絡みつく。
初音は、菫姫からもらった文を胸に抱き締めた。
「初音。わたくしの可愛い妹。――さあ、私の名を頂戴」
(だめ)
呼んではならない、と初音は思った。
(だめ。――絶対、だめ)
この声に、姉の名を与えてはいけない。そんな直感があった。
もし呼んでしまったら、取り返しのつかないことになる。菫姫にまで危害が及ぶことになる。
だが、そんな自制心を奪い取ろうとするかのように、頭痛が激しさを増す。吐き気を堪えるように――あるいは口から無意識に菫の名が出ないように、口元を両手で覆い隠す。
「初音、さあ、早く――熱いのはつらいだろう? さあ、早く、そなたの姉の名を我に捧げよ――」
何かが焦げ付くような臭いがする。まとわりつく熱さに震えながら、初音は口元に掌を押し付け続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます