四、
「
「そうみたい、って……軽いな。玉依姫って言ったら、古事記や日本書紀にも出てくる名前だぞ」
仙千代が呆れたように「これも食え」と、漬物を寄越してきた。
異界で明晴が出会った玉依姫は――桜子だったのだ。桜子は、
漬物を噛み砕きながら、明晴は仙千代に、
「生真面目な人だよ」
肉刺だらけの手で白湯を飲みながら、仙千代は答えた。ただ飲み物を飲んでいるというだけなのに、いちいち絵になる。
「政に関しては不正もないし、戦での働きぶりも目を見張る。
「今って、蓮見さまに側室はいるの?」
「いないよ」
桜子が亡くなってから、蓮見四郎は新たな側妾を持っていない。
正室である
「お前、側室ってただの寵愛の象徴だと思ってる?」
「え、違うの? スケベ親父が持つものだと思ってたんだけど」
「そうじゃないよ。お前、御屋形さまのこともそうだと思ってる? ……いや、まあ、御屋形さまとか、羽柴どのなんかは、それも多少あるだろうけど。でも、それだけじゃないんだ」
側室とは、正室との子宝が恵まれない場合、家を存続させる跡継ぎを作るために持つものでもあるという。
信長は、正室である
「そもそも女人は金もかかる。衣や化粧品などを持つなとも言えないし。子を孕めば医師も雇ったり、子を産むときは産室だって必要だ。それらを賄える金がないと持てない。誰でもいい、っていうわけでもないんだよ。商家や家臣――後ろ盾だって必要だ。武家の婚姻は、正室も側室も政なんだよ」
側室を持っていない者もいる。たとえば家臣の
他にも、正室の務めが滞りある時の補佐要因として、側室を持つ場合もあるそうだ。
「……てっきり、『俺はえらいんだぜひゃっほー』みたいなノリで女侍らしてるのかと思ったけど、結構手続きとか面倒くさそうだね」
「お前のその、武家に対する時々見せる偏見って一体何なの? どこから仕入れてきたの?」
明晴はそれには答えず、にこにこしながら水菓子をむさぼった。美濃の柿は、やっぱり甘くて美味しかった。仙千代は呆れたようにそれを見ながら、「もう少し勉強しとけよ」と言った。
「せめて古事記くらい諳んじられるようにならないと。お前の知識は、偏りがひどい」
「うっ」
「まったくだ!」
「玉依姫も知らないし、木花咲耶姫にたどり着くまでも遅いし! 古事記も知らん陰陽師なんて聞いたことないぞ! 帰ったら、ちゃーんと勉強しろ、そして修行もしろ、明晴!」
紅葉の吠えが耳に障る。明晴はうるさいなぁ、と耳を塞いだが、仙千代にその手を引っぺがされた。
「御屋形さまは、お前を正式に召し抱えたいそうだ。織田家の陰陽師として」
「ええ……」
「いや、嬉しそうにしろよ。御屋形さまは、
「知行?! いらない、いらない、絶対いらないから! 本気でいらないから、断って!」
明晴は全力で拒否をした。
知行とは、大名から配下の武士に与えられる所領を安堵されるということである。
つまり、明晴が領主となる土地を信長は与えようとしているのだ。
だが、所領などもらったら、年貢を納めたり責任が増える。
「俺は、無責任にこれからも織田家で飯だけ食わせてもらいたいんだ」
明晴は曇りなき眼で言った。
「お前、何ドクズな発言をしているんだ」
紅葉は呆れながらため息を吐いた。
「そういうわけにはいかない。お前、御屋形さまの顔に泥を塗るつもりか?」
「泥? なんで?」
「いや……武士ではないお前に説明するのは意外と難しいな。お前は此度、杉谷善住坊を討伐するという功績を上げた。表向きは
「で、でも俺……領主なんて向いてないよ」
「まあ、確かにな……」
仙千代は仕方ないな、と顎に手を当てた。何か思案しているようだ。
「褒美は断れないから断るな。だが、お前が受け取りやすい褒美を俺が考え、御屋形さまに進言してあげよう」
「本当?」
明晴はほっとした。
明晴としては、今後も屋根のある家で暮らし、米をもらえればそれでいい。
(でも、いつまでも俺にただ飯食わせるわけにはいかないだろうし……とりあえず、読経か何かをしっかり勉強しておかないとだよな……)
明晴は残った飯を湯漬けにしながら、これからの暮らしをどうするのか、思案するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます