三、

 初音はつねが今回の事件に巻き込まれた理由、善住坊ぜんじゅうぼうが初音を狙った理由、そして玉依姫たまよりひめのこと。

 すみれ姫は“見える側”なので、説明の手間をところどころ省くことができたのが幸運だった。


「玉依姫……。日本神話においては、初代神武天皇の母君におわします女神ですわね」


 菫姫はお待ちを、と言いながら奥へ引っ込んだ。そして、書物を3冊持ってくる。


「こちらは古事記、こちらが日本書紀。そしてもう一つが――初音の母君の遺品です」

「初音の母ちゃんの?」

「玉依姫は、『神霊が依り憑く巫女』という意味があります。明晴あきはるが異界で出会ったというのは、玉依姫という神というより、神に仕える巫女――という存在なのではないでしょうか」

 もっとも、我々人間より遥かに高貴な存在なのは間違いないけれど――と、菫は続ける。

「初音の母君は――恐らく、その玉依姫のひとりなのでしょう」

 菫は、初音の母のことを語った。もっとも、初音の母が亡くなった頃は菫姫もまだ幼く、記憶は朧気であったようだが。


 初音の母は、父・蓮見四郎はすみしろうがある日突然連れて来た。父は桜子さくらこ、と呼んでいた。

 出自も分からず、来た当初はぼろぼろの衣をまとっており、物乞いのようだった。

 いつもうつむいていたが、桜の花のごとく、とにかく美しい女人であった。

 父は桜子を常に傍に置き、他人を滅多に近づけなかった。出陣の時には厳重な警備を敷き、外に出さないようにするほどの徹底ぶりだった。


 父は、桜子を重く寵愛しているように見えた。その当時、正室である自身の母が寂しげにしていた横顔も覚えている。


 しかし、四郎は桜子が亡くなると、彼女に関する者を全て焼いてしまった。

 遺体は荼毘に伏した上で骨を砕いて川に流し、衣も調度品も筆も、桜子が使っていたものは皆燃やして、それらも骨とともに川に流してしまう徹底ぶりだった。


 当時は哀しみのあまりやっているのだろう、殿は心を病んだのだ――と家臣達は噂したが、菫姫には異常にしか思えず、いまだに四郎に呼び出されるのは苦手だった。


「ですが――父は、常軌を逸しているわけではなかったのかもしれません」


 もしあの行動に、何かの意味があれば。

 桜子の遺言で、彼女がこの世にいた痕跡を消すためにしなければならないことだったのなら。

 そもそも桜子を片時も傍から離さず、他人に会わせなかったのが、寵愛だけではない理由なら。


 菫姫は、遺品の中から唯一盗み出せた日記を、ずっと大切に持っていた。いつか、初音に会えたら渡そうと思っていた。


「本当は、もっと早く渡してあげたかったのだけど……。でも、その後すぐに初音はお城に上げられることになってしまったの」

「日記の中身は?」

「……読んだことがあるわ。一度だけ」


 そこには、桜子の出自が記されていた。


 神に仕える玉依姫の一族のこと。

 玉依姫は、決められた神の依り代となり、生涯仕えねばならないこと。


 途中からは初音が生まれた時のことが記されていた。

 その子に何も告げずに行くことが申し訳ない、とも。


 明晴は菫姫を見た。

「この日記、預かってもいいですか? 初音さんに、渡したいんです」

「ええ」

 菫姫も力強くうなずく。

「本当は、もっと早く渡さなければならなかったの。……人伝でもなんでも、送りたかった。でも、バカね。私は、怖かったんだと思う。もしこの日記を渡してしまったら、初音との繋がりを断たれてしまうのではないか、と」

 しかし、そうも言っていられない。

 善住坊のような者が、今後二度と現れないとも思えない。日記には、簡単に使える護身の術なども記されている。初音には、母の日記が必要だ。


 初音に生きてほしい。


 それは、菫姫にとっての悲願でもあった。


「明晴。どうか、初音を守ってあげておくれ」


 菫姫は扇をぎゅっと握りながら、深々と頭を下げる。

 明晴は、「任せてください」と言うように、日記を胸に抱き締めた。

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