5、玉依姫の願い事
一、
川の音に耳を澄ませながら、
紅葉が明晴に駆け寄った。
「まだ体がつらいか? 背中に乗せてやろうか」
「ううん、いいよ。ていうか、紅葉の背中に乗ったら、仙千代びっくりするじゃん。俺がいきなりいなくなった! って」
仙千代には、紅葉の姿は見えない。神気を解放すれば仙千代にも見えるようにできるのだが、今それをすると、明晴は内臓を口から吐き出すだろう。明晴は紅葉を抱き上げる、ゆっくりと口から息を吐き出した。
ちょうど、明晴がついてきていないことに気づいた仙千代が駆け戻ってくるところだった。
「ごめん、明晴。大丈夫か」
差し出された手を借りながら、明晴はうなずいた。
「やっぱり、何日か休んでからの方が良かったんじゃないか?」
「いや、大丈夫だよ」
明晴は胸を摩りながら歩き出した。仙千代も、心なしかさっきまでよりゆっくりと歩を進めている。
◇◆◇
明晴は、岐阜の信長に仔細を報告した。善住坊の罪と、善住坊を動けなくした上で領主に預けたこと。
信長は善住坊の悪行は徹底的に裁くと約束した。信長の暗殺未遂を差し引いても、有り余る罪。善住坊は打ち首ですか、と聞いたら、信長はそうはならぬ、と優しい声で言った。
「奴は、鋸引きじゃ」
「鋸引き……」
「鋸引きじゃ」
「鋸引きって、あれですよね。頭を、鋸でぎこぎことする奴……?」
「そうじゃ。鋸引きでゆっくりじっくり何日かかけてやる奴じゃ」
やっぱりこの人魔王だ――と明晴は戦慄した。だが、信長はそれでも軽いくらいだ、と言った。
「子は宝。その宝を殺したのじゃ。その罪、贖わねばならぬよ。勿論、儂を殺そうとしたことも許さぬが」
自分のこと以上に、子どもを虐げられたことを信長は怒っているようにも見えた。
明晴が帰る頃には解決しているだろうか。戦場で死体を漁ることには慣れているが、鋸引きを見て喜ぶ趣味はない。
何より明晴は信長に頼みたいことがあった。
「信長さま。しばらくお屋敷を離れてもいいですか」
「なに?」
信長は、傷だらけの明晴を見て眉間に皺を寄せた。
「そなた、善住坊の件でも儂から離れておっただろう。また放浪の旅にでも出るつもりか」
「いえ、そうじゃないんです」
これから冬になる。そんな中で、快適な部屋を手放す気もない。
それでも、冬になる前に――どうしても行きたいところがあった。
「信長さま、一筆したためていただけませんか。……
「……初音の?」
信長は目を点にした。何か、変なことを言ってしまっただろうか。
「……明晴、そなた……流石に気が早いぞ」
「? 何言ってるんですか」
「あれじゃろ。『お父さま、初音さんを俺にください』ってやりに行くんじゃろ」
「やりませんから! 何言ってんだ、このおっさん!」
明晴は思わず、見えないのをいいことに天井に腹を向けて鼾をかいていた紅葉をぶん投げた。
◇◆◇
信長は、道案内として
もともと、初音の処遇が落ち着いたのを機に、使者を送るつもりではいたらしい。
「まあ、明晴の監視役でもあるんだけどね、俺。明晴が不穏な動きをしようものならすぐに斬り捨てるよ。あっはっはっ」
「笑いごとじゃないんだよなぁ……武士って怖い」
「でも、初音どのに何も言わなくてよかったのか?」
仙千代が首を傾げる。
城を発つ前、明晴は初音を尋ねなかった。
初音は、数日間牢に入れられていたこともあり、衰弱していた。
今は侍女達の仮屋敷で休んでいるという。
無事な姿を見たい気持ちはある。しかし、今はそれよりも先に初音の実家に行かなければならなかった。
善住坊が執着していた“玉依姫”とは一体何なのか。
春霞を呼んで問い質したいが、春霞を召喚できるほどの霊力はまだ戻っていない。あれ以来、木花咲耶姫命の神気を感じる沙汰もない。
(もしかして初音さんは、巫女は巫女でももっと人間離れした巫女の娘なのかもしれない)
何となく、初音の母の出自が鍵となっている気がした。
初音の母は、初音が幼い頃に亡くなっている。だが、初音の母を知る者は、ひとりいる。
(初音さんのお父ちゃん――蓮見四郎どのなら、何か知っているはずだ)
明晴は、腕に抱いた紅葉の耳を揉みながら、川沿いの道を歩き続けた。
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