十三、


 生きるために鉄砲をはじめた。


 父は城主、母は父に仕える草の者であったと言う。

 しかし、父に捨てられた母は、山で幼い善住坊ぜんじゅうぼうを置いて餓死した。

 戦場で拾った鉄砲は、はじめは動物を狩るために使っていた。しかし、ある日、動物と間違えて猟師を撃ち殺してしまった。最初は慌てた善住坊だったが、血の滴る中年の男の肌を見た時、言いようのない高揚感に包まれたのだ。


(鉄砲さえあれば、儂は強い)


 僧侶を殺して黒衣と、読本を奪った。僧侶のふりをしているといえば、誰も善住坊を疑わなかった。村の子らも慕い、寺に言っても歓迎された。そして、善住坊に裏切られる度に崩れ落ちるその顔を見ていると、とてつもない高揚感に圧し潰されそうになった。


 いつしか、人を殺すことは生きる手段ではなくなった。一種の娯楽になっていった。


 もっと、自分の力を試したい。

 もっと、弱者を怯えさせたい。

 足りない。もっと血の臭いを浴びたい。


 昏い欲望がいつしか善住坊の心を支配するようになった。



 そんな時に――あの娘を見かけた。

 人間と思えない、輝かんばかりの美貌に目を奪われた。

 初音はつねと呼ばれていたその娘は、まさしく善住坊が思い描いていた玉依姫そのものだった。濡れた烏の羽のような髪も、翠玉のような双眸も、弾けるような白い肌も。


(あの女を殺してその血を鉄砲に吸わせたら……しかもあの娘、あの織田信長おだのぶながの侍女だと言うじゃないか。信長を殺せば、俺の名は天下にとどろき渡る。その上、玉依姫の血肉を浴びたら、儂に恐れるものなどない)


 あと一歩だった。なのに、この童が邪魔をした。

(いいや、あと少しだ。こんな子どもに負けるわけがない……)

 善住坊は、脳裏で積屍気に呼びかけた。きっと、奴らの恨みが十二天将の包囲から、善住坊を逃がす力を与えるはずだった。

 しかし、呼びかけても恨みつらみの文句も、怨嗟も聞こえてこない。ただ、荒れ狂う天候の唸り声が聞こえるだけだ。


 その瞬間――視界が晴れやかになった。善住坊の目の前に、矢が飛び込んでくる。桜色の矢は、善住坊の胸を貫き、燃え盛る炎の柱となった。


***


「ぎゃああああああああ」


 獣の叫び声のような悲鳴に、明晴あきはるは思わず目を塞いだ。

「な、なに……?」

白虎びゃっこ玄武げんぶ、もうよい」

 春霞しゅんかが手を叩いて紅葉こうよう白雪しらゆきを止めた。紅葉達が神気を納めると、風雨の檻から善住坊が弾き出され、地面に叩き伏される。


 だが、地面に落ちてもなお、善住坊はのたうち回っていた。


木花咲耶姫このはなさくやひめは、富士の寵を受けた女神でもある」

 今、善住坊を貫いた矢は、この男の体内に入った。恐らく一生抜けることはない。

 突き刺さって体に入り込んだこの矢は、富士の火山の力が籠っている。死ぬまで――否、死してなお、善住坊を富士の呵責が襲い続ける。

「し、死なないよね?」

 ここに来て善住坊を死なせると、初音を助けられない。そう思って問い質すと、春霞は大丈夫だと言った。


「安心せよ。死んだら、地獄の獄吏に話をつけて現世に送り返させてやる。楽には死なせぬよ」


 春霞は、獄吏よりも怖かった。明晴だけでなく、紅葉達も震えていた。

 明晴の手から、咲耶姫の弓が消えた。役目を終えたから、一度木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことのもとに戻ると言う。

「だが、そなたは一度神の加護を受けた。なにせ、咲耶姫の玉依姫じきじきの頼みである。これからも、咲耶姫はそなたに力を貸すだろう」

 神の加護――その意味を明晴はいまいち理解できずにいた。玉依姫というのも気になる。

「明晴」

 紅葉が善住坊を冷たく見下ろしながら言った。

「この男、どうする。縛り上げて、岐阜に連れて行くか?」

「……いや」

 明晴は首を横に振った。


 十二天将と、木花咲耶姫命。そして、玉依姫。

 神のお陰で明晴は善住坊を倒せた。しかし、善住坊は人の手で裁きを受けさせたい。

仙千代せんちよが、この辺りは信長さまの家臣の、磯野員昌いそのかずまささまだって言ってた。善住坊は、もう逃げられないと思う」

 熱い熱い、と体中の穴という穴から液体を垂れ流し、善住坊はのたうち回っている。明晴ひとりでも拘束できそうだが、目立つことは好みたくない。

「磯野さまに任せよう。――それに、気になることがあるから、すぐに信長さまのところに行きたいんだ」

 明晴は、紅葉の背に倒れ込んだ。春霞達の姿が音もなく消える。体が一気に軽くなったのは、神気が減ったからだろう。

「……やっぱり、朱雀と春霞を二人同時に呼ぶのはしんどいなぁ」

 明晴は、両手の数珠を見た。春の女神達は、優しいのか怖いのか、よく分からなかった。

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