七、

 紅葉こうようは爪を光らせた。


「我が右腕は、戦う腕。――道を違えた悪僧めが……成敗してくれようぞ!」


 右腕の鋭い爪先から、風を起こす。斬り裂いた風の柱を召喚し、善住坊を閉じ込めた。


「我が左腕は、守りの腕。――主の命を守るが役目を担う」


 今度は白雪が雨を起こした。


「ぐぅっ!?」


 善住坊の動きが止まる。

 悪道に堕ちた怪僧だ。この程度では死なないよう、護身の術を施しているに違いない。


(紅葉と白雪が動きを止めてくれえいるうちに――早く清夏きよかを呼ばなければ)


 雨と風が激しさを増す中、明晴は印を結んだ。


「――ソウ


 指先から熱が失せる。紅葉と白雪に霊力を移し替えながら、明晴は反対の手で別の印を組んだ。

 残りの霊力は、本来の明晴の霊力の半分あるかないか。そのわずかな霊力で、朱雀すざく青龍せいりゅう、二人の天将を呼び、積尸気を調伏しなければならない。


 炎を司る"火将かしょう"、朱雀──明晴がさずけた真名しんめいは、清夏。

 いかなる穢れも燃やし尽くす性質を持つ朱雀の力をもってすれば、積屍気せきしきの魂を浄化できるはずだった。

(近付くことができれば、だけどな!)

 明晴は指を突き立てながら空を切り裂いた。


バクッ!!!」


 霊気の縄が善住坊の背後に飛ぶ。風雨の柱から引きずり出した影は、腐りかけた獣肉のような臭いが漂っていた。

 落ち武者狩りをした際に幾度も嗅いだ。あるいは、飢饉により廃村と化した村で雨宿りをした時に。

(これが、紅葉の言った死の臭い……)

 こんな時代だ。生きるために人を殺めることは致し方ないこともある。しかし、弾け飛んだ臭いは、どう見てもいたし方なく奪った命の末路ではない。



「──許サヌ……許……ヌ…………グ、ガガ……!!」



 地を這うような低い声。しかし、どこか幼さを感じさせる音だった。

「化生の者か、魔性のものか、正体を現せ!」

 明晴が呪文を放つと、血飛沫の源が徐々に輪郭を表す。組んだ<<狐の窓>>の隙間を覗くと、まるで鶴のような鋭い嘴を持つ鳥が浮かび上がった。


(酷い穢れだ……)


 形は鶴のような出で立ちだ。しかし、皮膚は剥がれかけ、目玉は溶け出している。羽毛もところどころ抜け落ちている上、膿んだ傷口は悪臭を放っていた。


 積尸気から溢れ出しているのは、恨み辛みといった負の感情だ。

(積尸気は悪い妖って聞いたけど……もとを正せば、罪のない屍人から生まれた存在。哀れな魂だ)

 罪があるのは──善住坊だ。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前……」


 九字を切り、周囲を浄化し護身を図る。


 積尸気は、祓わなければならない妖。しかし、祓うべきは積尸気ではない。積屍気を生み出した怨念だ。

 神々の力をもってして打ち払う。明晴は穢れのない炎を呼び出すべく声を張り上げた。


「我が名は明晴。我が声に応えよ、その力を天より与えよ! ──十二天将、四神がひとり、火将・"朱雀"!」


 空気が燃え上がる。この感覚は、はじめて十二天将を呼び出した時以来だ。

(清夏……応じてくれた!)

 視界の端に、赤い髪の青年が現れる。

 しかし、その青年に授けた真名を呼ぶよりも先に──明晴は激しく咳き込んだ。

 口元を咄嗟に押さえると、ごぷっ、と異様な音が響く。


「明晴!!」


 自分の掌に血液が張り付いている。

 明晴が血を吐いていることに気づいたのは、膝から崩れ落ちた時だった。

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