八、

 激しい風の音と雨の粒が混じり合う。

 善住坊ぜんじゅうぼうは忌々しげに吐き捨てた。

「おのれ……! この程度で儂を退治できると思うたか! この、半人前の陰陽師風情が!」

「我らが主を舐めるなよ、この悪僧が!」

 水の鞭がしなる。善住坊は白雪を睨みつけながら、懐から札を取り出した。


「──急急如律令!!」


「ぐわっ!!」

 白雪しらゆきの喉元に雷の刃が当たる。天空に浮かんでいた白雪はそのまま地面に叩きつけられた。

「白雪!」

「我は大事無い! それより風を緩めるな、紅葉こうよう! 余所見している場合か!?」

 紅葉は慌てて風の気を喚んだ。

「おのれ……十二天将じゅうにてんしょうめ! あのような頑是無い子どもに従うなど、堕ちたものよな」

 善住坊は次の札を懐から取り出していた。

 どうやらまだ、砲撃を再開することはできないらしい。

 問題は、善住坊は破戒僧とはいえ、かつて修験道に身を置いていた過去を待つことだ。霊力でいえば、明晴あきはるには格段に劣る。しかし──明晴は善住坊に比べ、経験値が足りない。


 明晴にとって陰陽道は、生きる手段に過ぎなかった。

 一通り教えを授けていたとはいえ、ほとんど幻術ばかり。

 一方、善住坊は違う。人を殺す術を知っている。

 鉄砲に呪術を込めるのも、恐らく殺した者の魂を縫い止めるのも。


 その瞬間、血を吐く音がした。紅葉が音のした方向を振り返るのと、同胞が若き主を呼ぶ声が重なった。


「明晴!!!!」


 見ると、朱雀すざく清夏きよかが召喚されている。しかし、再会を懐かしんでいる様子はない。

 朱雀の腕には明晴が抱きとめられている。そして明晴の衣は、血で真っ赤に染まっていた。

「明晴……!」

 駆け出したい衝動に駆られた。

 その思いのままに駆け出しかけた瞬間、胸に激痛が走る。


「がふ……っ!」


 紅葉は地面に倒れ込んだ。

 土と血が混じり合う。その血が自分のものだと気付くのに間が空いた。


「あ……っき、はる……!」


「哀れなり」

 言葉とは裏腹に、善住坊の声は明るい。

「神の末席に連なる者が与えし試練は、あの子どもには荷が重かったようだなぁ。ああ、そうだろう、そうだろうとも。──何せ我は積屍気せきしきの加護を受けておる」

「積屍気の、加護……?」

 血を吐きながら、紅葉は肢体を起こす。白い毛皮が真っ赤に染まっていく。

「お前が奴の軍門に下っているとはいえ、積屍気はそのような力はないぞ」

 積屍気は、怨念の集まり。人を襲うことはある。

 おかしいとは思っていた。怨念の塊に過ぎないはずの積屍気が、人の子に過ぎない善住坊を配下に従えていることが。

「配下? 笑わせるな」

 善住坊は紅葉を嘲笑う。

「何故儂が、儂に殺された者どもに頭を下げねばならぬ。──所詮は儂への憎しみに縛られた哀れな女子どもの集まりよ。へりくだったふりをすれば、我を呪い殺そうとしたことを忘れおる程度の阿呆の集まり。扱いやすいがのう。……儂が狙うは、玉依姫たまよりひめの血肉。そして、織田信長おだのぶながの命のみ! 玉依姫の肉の器を手にし、織田信長を殺すことで、我が名を乱世に轟かせることができようぞ」

(……なんだこいつは)

 紅葉は顔を顰めた。

 善住坊の目は焦点が合っていない。会話も支離滅裂だ。

「恐らく、善住坊は積屍気の力を奪うために怨念をかき集めたのだろう」

 白雪が囁く。

「だが、積屍気の怒りは強かった。その怒りが、ただの破戒僧に過ぎぬ善住坊に力を与えた」

 一度力を得れば、より強い力を求めるのが人間だ。

 殺人に殺人を重ねた善住坊。いつしか積屍気は善住坊の自我を破壊したのかもしれない。

「……全て、我らの想像に過ぎぬがな」

 白雪は立ち上がると、紅葉に「歯を食いしばれ」と言った。そして、紅葉に刺さっていた刃を引き抜く。

「痛ってぇ……!」

「耐えろ、たわけが。──いくら朱雀が側にいるとはいえ、明晴がこのままでは持たぬ。早くこの者を止めるぞ。今この瞬間も積屍気の怨念は、善住坊に力を与えておる」

「……だからと言って、そこまで乱暴にするなよ」

 紅葉は風を起こして傷口を固める。

 白雪は雨を操りながら、紅葉にある作戦を耳打ちした。

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