剣と血の祝祭⑥

 行きと同じ林道を歩いて行く。違うのは隣にジョエルがいることだ。

 並んで……いや、ジョエルは少し遅れていた。


「もう少し、ゆっくり、歩けよ」


 息を切らしながらジョエルは言う。ペースを落とすと隣に並んだ。

 そんなに早く歩いたつもりはなかったのだが。子供達との遊びが相当応えているのだろうか。それほど疲れながらも、彼らに付き合ってたと思うと少し面白く感じた。


「何笑ってんだよ」

「別に」


 睨まれたため表情を戻す。


「また抱えて走ってやろうか?」

「あれはもう二度とやるなよ」


 ジョエルの眉間に刻まれた皺が深くなる。あれは彼が走るのが予想以上に遅く、ああでもしないとすぐ追いつかれていたので仕方がなかった。しかし緊急とは言え最後は投げたのを思い出し口を噤む。

 そういえばと思いジョエルを見る。彼の身長は俺の目の辺りくらい。平均より少し高いくらいだが抱えた時だいぶ軽く感じた。だから体力もないんじゃないか。しっかり食べているのか少し心配だ。


 ジョエルの歩行ペースに合わせると歩みはだいぶのんびりとしたものになった。仕事もあるし置いて先に帰ってもいいのだが昨日の今日だ。違法術師の襲撃からまだ一日も経ってもいない。この昼間に再びやってくるとは考えにくいが警戒するに越したことはない。ん? 昨日の今日?

 俺が何か察したのに気が付いたのかジョエルは顔を背けた。


「あんなことがあったのに一人でここまで来たのか?」


 ジョエルは顔を逸らしたまま何も言わない。


「あのな、」

「はいはいお前が言いたいことは分かってるよ」


 あまりにも危険意識の低い行動を注意しようとするも彼は言葉をかぶせ中断させる。分かってるだけじゃ意味がないだろ。この様子だと言っても無駄か。続けようとした苦言の代わりに重い息が漏れた。


「行きたい場所があるなら護衛するのに」

「ここがばれるのが嫌だから言わなかったんだよ」


 諦めにも似た力の抜けた表情となる。

 自分の育った場所に行くために同行を求めるのは恥ずかしいという気持ちは分かる気がする。申し訳ないとは思うが今日のことは偶然なので仕方がない。だがジョエルも俺を良いように使い子供達と遊ばせたのだからそれで手を打って貰おう。


「皆仲が良いみたいだな」


 子供達を思い出し俺は呟いた。


「そりゃ生まれてすぐ預けられた奴らだからな。家族みたいなもんだよ」


 ジョエルは肩を竦めてみせる。飄然とした表情で言うがそれは重い言葉だった。彼にとってそれが普通であろうが傍から見れば冷たい事情で集まった子供達だ。


「何人くらいで住んでるんだ?」

「今は十二人だな」

「今は、か」


 彼は片方の口角を引き上げ、半分の笑みを浮かべた。


「なんせ毎年毎年新しい奴が入って来るからな。教会に捨てれば安心って」


 おそらく、いや、ジョエルも生まれてすぐ捨てられた子の一人だ。

 確かにただ捨てるよりはずっと良い行いかもしれない。少しでも子供に対して愛があったからこそ彼らはここに子供を残していくのだろう。

 だがそれは親の事情で子供には関係ない。親に捨てられたという事実は変わらず、彼らの生活に深い根を張ることとなる。現にジョエルが教会でその影響を受けているのだから。


「遊んでやるのも大変だな」

「ほんとだよ」


 疲れの残る顔でジョエルは笑う。だが決して嫌そうではなかった。

 痛みを分かり合えるからこそ、その結束は強くなる。彼らは髪や目の色、両親の国籍全て不揃いだった。しかしないのは血は繋がりだけ。家族としての、いや、それ以上の絆は確かにあった。


 歩いていると木々の奥で草の擦れる音がする。立ち止まると薄暗い林の中で枝が折れる音と共に低い唸り声が響いてくる。剣を抜き音の方角へと構えた。遅れてジョエルがこちらを向く。

 迫る音は徐々に大きくなり、四足歩行の影が木々の間を滑るように動くのが見えた。近くの茂みが大きく揺れた次の瞬間、鋭い牙を剝き出しにして俺に飛び掛かる。


 遅い。突き立てた爪を、噛み付こうと開かれた口を、俺に届く前に刃を立て顔から胴まで両断する。血と臓腑の海で絶命するそれは狼のような姿をした魔物だった。ワーグと呼ばれる種か。下位の魔法を使う個体もいるが一部であり、ほとんど獣と変わらない魔物だ。


 そして、こいつらは群れで動くことを思い出すと同時に剣を振る。横からジョエルに向かって飛び掛かってきたワーグを切り伏せると同時に三体目が視界に映った。体を翻し、すれ違いざまに口に刃を添え振りぬく。二つに分かれた体躯は湿った音を立て落下。さらに後ろから物音。左右から二体のワーグが襲い掛かる。が、障壁に阻まれ俺達に届く前に弾かれる。ジョエルが魔法を使ったのか? 一応彼も術師資格は持っていると言っていた気がする。だが今はそんなことどうでもいい。

 障壁が消えるのと同時に剣を投擲。頭を貫通し血と脳漿をこぼしながら四体目が絶命。再び飛び掛かってきた五体目の前足を掴み地面へと叩きつけ、そのまま頭を踏みつぶした。


 六体目、は出てこない。無事倒し切ったようだ。


 魔物と地面を縫い付けている剣を拾い体液を払う。おそらく目撃された魔物はこのワーグ達で間違いないだろう。魔力をほぼ持たないこの魔物なら魔物除けをすり抜け街道に現れる理由も分かる。


 死体の処理と街道の警備を強化してもらうよう警備隊に連絡を入れているとジョエルが俺の右腕を見ていた。


「腕、大丈夫なのか?」


 通信を切った俺にジョエルが問う。俺は右腕を動かして見せた。激しい戦闘でも特に異常はない。


「ああ。あんなのは日常茶飯事だし問題ないよ」


 彼はそうか、と呟き目を伏せる。まだ昨日のことに負い目を感じているのだろうか。本当のことなのでジョエルが罪悪感を抱く必要なんてないのに。


「お前はなんで術師協会で仕事してんだ?」

「なんだよ急に」

「気になったからだよ」


 本当に唐突だった。だが会話の流れで質問の理由はあらかた分かる。日常的に大怪我をしてまでこの仕事をしているのが理解できないからだろう。


「それに、俺のことはエリノアが勝手に喋って知ってるだろ」

「うっ……」


 そう言われたら逃げ道を失ってしまう。彼の生い立ちを聞いた手前、自分のことを話さないわけにはいかない。


「話せば長くなるぞ」

「良いよ、教会までまだあるし」


 彼の双眸は長々と続く林道に向けられていた。遠くに見えるのは城のような大聖堂の尖塔のみ。長い時間歩いていた気がするがまだ半分程度らしい。


 それは俺のことを話すには十分な距離だった。

 隣のジョエルは期待と好奇心に満ちた愉快そうな目を向ける。俺は深いため息をつき視線を道へと落とした。しばらくの沈黙の後、渋々と口を開く。


「別に正義感とか、そういうので仕事をしてるわけじゃない。俺にはこれしかなかったから」


 これは自分の状況を確認するような、もしくは言い聞かせるような言葉だった。

 ゆっくり歩き出すとジョエルもそれに並ぶ。


 数十歩進むが時間が経つばかりで続く言葉は中々出ようとしない。

 魔物を退治した後の森は憎らしいほど静かだった。土を踏みしめる音ですら煩く聞こえる。二人の間に流れる静寂が若干の気まずさを生んだ。

 俺は話すのを躊躇っているんだ。口にすれば、今でも消化できずにいるこの思いの正体に気が付いてしまう気がして。


 ジョエルは黙って話の続きを待っていた。

 大きく息を吸い、そして吐く。


 彼のことを聞いておいて自分のことは話さないなど、俺の理に反していた。

 俺は過去を思い返し、言葉にしていく。


「昔フォリシアの騎士団で部隊長を勤めてたんだ」

「……それはどのくらい偉いんだ?」

「教会で言ったら、司祭くらいか」


 分かりにくい騎士団の序列を教会に例えるとジョエルは納得したようだが、新たな疑問が生まれたのか首を傾げた。


「じゃあ猶更なんで術師協会に?」


 彼の問いも尤もだ。傍から見ればフォリシアでの俺の人生は順風満帆と思えるだろう。そう、傍から見れば。


「……話の続きだけど、自分では努力してその座に付けたと思ってた。でも、実際その器はなかった」


 自分の言葉が心臓を刺し貫いていく。


「俺の父さんが騎士団長だったんだ。それで、部隊長になったのは七光りだってずっと言われてた」


 別の視点から見られる俺は違った。一部からは親の力で地位を上げる卑怯者だと指弾の声が上がり、それを面白がる輩が噂として広めていく。噂が立ち始めた当初、努力を否定する心無いその言葉はただの嫉妬だと思っていた。

 そう思っていたかった。しかし残酷にも、周りの目は変わっていく。自分でも自分のことを信じられなくなり、そうかもしれないという疑念が芽生え始めた。


 そんな時に事件は起こった。


「俺さ、大型魔物の討伐任務で、部下を庇って大怪我を負ったんだ」


 俺は空を仰ぐ。あの日も今日みたいなよく晴れた日だった。木々の間から差し込む陽光に目を細める。

 脳裏にはあの時の光景が蘇っていた。朦朧とする意識の中、必死に名を呼ぶ部下の姿を。自分の流した血に濡れ、重くなっていく体の感覚を。

 俺の口は情けなく弧を描く。


「現場の指揮を執る部隊長が部下を庇って意識不明。おまけに部下を危険に曝したって前以上に批判されたよ」


 あの時の状況を、言葉を鮮明に覚えていた。

 今でもたまに夢に見る。その度に自分の弱さを自覚し、絶望感に打ちひしがれる。これは、無力な自分が招いた呪いとなっていた。

 追憶は胸を抉るような痛みをもたらした。苦痛に震える俺の口は呻くように結末を告げる。


「だから、俺は逃げて術師協会にきた」


 耐えられなかった。彼らの言葉を受け止められなかった。現実から目を逸らすことしか出来なかった。

 信頼していた親友も、変わらず慕い続けてくれていた部下達も、何もかも変わって見えていく。励ましの言葉も慰めの言葉も、誰も何も信じられない。限界だった。


 その時、幸運にも術師協会から新部署設立にあたって推薦状が来ていたことが唯一の救いだった。俺は迷わずその手を取ることとなる。


「悪い、こんな事聞いて……」

「気にしなくていいよ。情けない話だろ」


 ジョエルは気まずそうに呟いた。部下を危険な目に合わせたのも自分の力が及ばなかったのも紛れもない事実だ。その現実からは目を背けてはならない。


「良いのかよ、俺にこんな事話して」

「ジョエルだから話せたのかもな」


 そう言うとジョエルは目を丸くする。秘密の吐露を信頼の証と受け取ったのか、少し嬉しそうに顔をほころばせた。

 ジョエルはルークスにいる間だけの関係だ。それに人のことを絶対に言いふらさないだろうから話せたのだと思う。

 班員達も信頼しているがこんな情けない昔話、話せる訳がない。


「じゃあ、逃げて楽になったのか?」

「……なった、と思う。周りが自分の事を知らないって言うのはこんなにも楽だと思わなかった」


 返答に少し間が開いてしまったが、言葉の通りだった。国籍も経歴も関係ない。必要なのは推薦されたということのみ。それが当時の自分にはどれだけありがたかったことか。

 グラウスに来て一年。少しは成長出来ているのだろうか。捜査や追跡など最初は慣れなかったが今では大分様になっている。班員にも恵まれ、頼りない自分だが何とかやっていけていた。グラウス内でも友人と呼べる者もでき、戦闘では術師協会の支援により最新の技術も使用できる。たまに任務で死にかけるが、充実した日々と送っていた。


 しかし、今でもたまに考えてしまう。部隊長への昇進を辞退していれば俺は今でもフォリシアにいたのだろうか。こんなにも故郷を────いられたのだろうかと。


「逃げる、か」


 ジョエルの呟きによって現実へ引き戻される。心臓が強く脈打ち、冷たい汗が背中を伝っていた。今抱いていた感情に気が付き吐き気が込み上げる。それは決して口にしてはならない言葉だった。忘れよう。自分の中に潜む暗い本心に強く蓋をし首を軽く振る。二度とこのようなこと、考えてはならない。


 ジョエルを見ると長い睫毛の影は頬に落ち、眉間には小さな皺が寄っていた。何か物思いに耽っているようだ。だが俺も黙っていると先程のことを考えてしまいそうなので構わず話かける。


「ジョエルは教会が嫌じゃないのか」

「嫌に決まってんだろ」

「じゃあ、教会にいるのも孤児院のためか?」


 俺の指摘に一瞬目を見開き、その後端麗な顔が嫌悪に歪む。 


「分かってんならわざわざ聞くなよ」


 取り繕うに笑うと、ジョエルは諦めたのか前を向く。琥珀色の瞳は目前に迫る大聖堂のさらにその先を見ていた。


「孤児院は教会からの支援で成り立ってる。飢えはしないが裕福とはいえない」


 ジョエルの口からは孤児院の事情が語られていく。古い遊具、修繕されないまま放置された壁、一つ一つ思い返せば経済事情はだいたい伺える。


「俺が教会に行くことを受ければ支援も増やすってアイツは言ってた。だから、少しでも助けになれば良いと思ったんだよ」


 若干の違和感を抱くも、ここで気にする事ではないと彼の思いに微笑む。


「やっぱりジョエルって本当は優しいよな」

「うるせーよ」


 感情を悟らせないためか、彼は森へと顔を向けた。


「あいつらには、幸せになって欲しいし」


 ジョエルは言う。それは自分の身を犠牲にした悲しい願いだった。エリノアも彼の幸せを願い送り出したという。しかし教会はそれを叶えられる場所ではない。


「自分は良いのか?」

「……別に俺は、幸せになりたいわけじゃない」


 諦めのような声が森に溶けていく。


 あの孤児院が彼の居場所である限り、教会への束縛は続く。孤児院の子供達の幸せを願い留まると言うのなら、彼への祈りはどこに行ってしまうのだろうか。


 林道は教会へと続く道に合流する。

 日はすでに西へ傾こうとしていた。思った以上に孤児院に長居していたらしい。

 ジョエルを寄宿舎まで送り、俺は仕事へと戻っていった。

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