女神の御許⑬
この暗闇の中、一対二は圧倒的に不利。しかも対峙する人物は俺より筋力が勝る上、高位術式まで使いこなす。ここで戦い続けるのは得策ではない。
マントの人物と対峙した時に耳の通信用魔具で通知を入れている。誰かしら戦闘に気が付きこちらに向かっているはずだ。合流し応戦した方が遥かに良い。
少し走った所で、目の前に神父服が見えた。
「まだこんな所にいたのかよ!」
「こっちは、運動不足の、聖職者だぞ……!」
追いつき声をかけると、息を切らしながらジョエルが言う。普段のように俺を睨みつける余裕もないらしい。そして走る速さも徐々に落ちていた。
「仕方ないな!」
走りながらジョエルの腹部に手を回し片手で抱え上げる。予想以上に軽く驚いたが今はその方が運びやすくて良い。
「おいふざけんな!」
「こっちの方が早いんだよ!」
右下から不服の声が聞こえるが構わず走り続ける。
幾多の木々を越えるも、まだ宿舎の明かりすら見えない。
「おい後ろ……!」
ジョエルが切迫した声を上げる。体勢が崩れるのであまり動かないで欲しい。それに後ろを見なくてもこちらに迫る足音で既に気が付いている。このままでは追いつかれる事も。
慣れていない相手に気が引けるがやるしかない。
「しっかり受身取れよ!」
靴底で地面を削りながら急停止。両足を開き上半身を半旋廻、ジョエルを林に放り投げる。
その勢いのまま急速反転し剣を構え突進してきたマントの人物の両刃を受け止める。衝撃が手まで届き、痺れ、柄を離しそうになるも再び強く握り締める。
腕を振り切るのと同時に後ろへ大きく飛んで行く。吹き飛ばされた? いや、そんな手応えはない。
違う、これは距離を取ったんだ。
違和感の正体に気が付くと同時に後退を開始。一瞬の内に足元に巨大な術式が出現する。地面が盛り上がったかと思えば、その直後数え切れない程の槍が射出された。回避が間に合わない。
逃げ遅れた右前腕に槍が着弾、そしてそのまま切断される。何とか範囲外に逃げ切ったが、遅れて激痛と共に傷口から血が吹き出す。
隣の林から物音。目だけそちらに向ける。
「出てくるな!」
物陰に向かって叫ぶとその者の動きが止まる。そこに居たのは予想通りジョエルだった。
「早く逃げろ!」
まだ逃げていない事に疑問と苛立ちを感じながら再び前を見据える。人影は二つ。おそらく先程影から狙撃術式を撃ってきた違法術師も追いついて来たのだろう。
切断された右腕の断面から血液が大粒の滴となって地面へ落ちる。止血術式により出血は止まったが、俺の使用できる魔法では医術師の様な完璧な治療は出来ない。失血による眩暈と片腕を失った激痛は変わらず続いている。状況は最悪だった。
マントの人物が再び動く。
視界が歪もうが腕がなかろうが、意地でもここを通す訳にはいかない。
右腕の横薙ぎを屈み回避。旋廻し振り下ろされる左腕は横に飛びかわす。着地したところで剣を逆手に持ち体の横で盾の様に構える。
金属音。予測通り後方から放たれた『
回転の終わりに後ろへ跳躍。足元に刺さる槍と交代にマントの人物が前進した。首を狙った突きを、体を傾け避けるも途中で得物の軌道が変化。機械的な動きで振り下ろされた刃が左肩を掠め肉を削ぐ。さらに追撃で腕が振られ、回避が間に合わず剣で受ける。
相手の剛力に負ける前に地を蹴り退避。真横の木の幹に着地、再び跳躍すると同時に幹に砲弾術式が着弾した。派手な音を立てながら倒れていく木を背にマントの人物を越え背後を取る。振り返るのとほぼ同時に剣を振った。マントの人物は後ろに飛び退くも、剣先はマントの端を捉える。
顔を覆っていた布が切れ顔が露わになった。
元より見えていた金の長髪が風になびく。その間から俺をただ見つめる冷たい青の瞳が見える。恐ろしいほど整った少女の顔は無表情。人間ではないと瞬時に理解した。
背中を汗が伝う嫌な感覚。残った左手で剣を強く握りしめる。これは予想していた以上の相手だった。だがやるしかない。やらなければならない。俺が死のうが、ここで止めなければ。
相手が姿勢を低くし突撃の構え。俺も剣を立て衝撃に備えようとしたその時、鈍い音と共に少女が大きくよろめく。狙撃術式が少女の頭に着弾していた。しかし即座に体勢を整える少女は無傷。
俺は状況を理解し後ろへ飛び退く。同時に俺との間に『
俺の横をマルティナが駆け抜ける。少女を追い暗闇へと消えていった。彼女は俺よりも追跡能力に長けるし、危険だと判断すればすぐ引き返してくるだろう。
緊張の糸が切れ、失血による眩暈が襲う。重ねて激痛と疲労により立っている事もままならず膝をついた。
「お前がここまで苦戦するなんてな」
後ろからエドガーの声。彼はまだ警戒を続けており、手に持つ本にはいつでも魔法が使えるよう術式が展開されていた。少女が去っていった方角を見ながら続ける。
「さっきの奴、どう見ても……」
「多分エドガーが思ってる通りだ」
ヴィオラが傍らに立ち両膝をついた。手には俺の腕。拾ってきてくれたようだ。『
「終わったわよ」
腕を曲げ、手首を回す。手を開いたり閉じたりして動作を確認。
「問題なさそうだ。ありがとう」
ヴィオラは無言で頷き、立ち上がると服に付いた砂を払った。
近くの茂みから物音。安全だと分かりジョエルが出てきたようだ。極限状態による疲労と顔色の悪さはあるが特に怪我は見られない。とりあえず無事で良かった。
彼は俺の右腕を見た後、目を背ける。
「悪い、俺のせいで……」
彼の口からは謝罪の言葉。俺はジョエルを睨んだ。
「なんですぐ逃げなかったんだ。死んでたかもしれないんだぞ」
状況を思い返し、遅れて怒りがやってくる。俺が傷付くのはどうでもいい。怪我をするのは日常茶飯事であり、重傷を負ってもある程度は動くことができる。
だが彼は違う。武器も持たず身を守る術もない。あの場にいれば俺から逸れた攻撃が彼に当たってしまう可能性だってあった。ジョエルができることはない。なのに、なぜ逃げなかったのか。それがこの苛立ちの理由であり、疑問でもあった。
ジョエルは再び俺を見て何か言おうと口を開けたがすぐに閉じてしまう。気まずそうな表情で足元に視線を向けた。
「お前があんな怪我したのに、一人で逃げるなんてできないだろ」
やっと紡ぎ出したジョエルの言葉を理解できず、一瞬思考が飛ぶ。つまり俺が心配で逃げられなかった?
そう思うと、遅れて笑いが込み上げてきた。ジョエルは俺の様子に「なんだよ」と反応に困っている様子だった。
「いや、俺の事なんて見捨てて真っ先に逃げると思ったから」
元々他人を寄せ付けず、教会の外の人間である俺達には皮肉な態度。人嫌いと捉えられても不思議ではない。それに加えジョエルにとって自分達は仕事を増やすし、出生にも踏み込んでくる面倒な存在であったはずだ。
しかし彼は過度な言葉には素直に謝り、自分のせいで傷付いたとなると危険な場所にも留まった。なんだかんだで優しい彼がおかしくて仕方がなかった。
「こっちはお前が死なないか心配して……」
途中まで言いかけそれ以上言うのを止めた。俺に釣られてジョエルも笑い出す。
「俺のことそんなふうに思ってたのかよ」
ジョエルは言う。当たり前だろ。自分の態度を振り返ってみろ。
「でも、助かったよ。ありがとう」
そう言ってジョエルは俺に右手を差し出した。
「どういたしまして」
俺はその手を取り立ち上がる。俺に向けるその表情は余所行きのものではなく、嘲るようなものでもなかった。これが彼の本来の笑顔なのだろう。
確かに俺はジョエルのことを何も知らない。彼が作る壁は他人からの理解を拒み続けるだろう。しかし、この時ばかりは彼との距離が縮まったような、そんな気がした。
危機が去り森には再び静寂が訪れる。木々の間から差し込む冷たくも優しい月の輝きが寄宿舎への道を照らしていた。
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