五節 天上への祈り

 ルークス教国に来て七日目。

 二度の死闘から一夜明けた所だが、ヴィオラの処置や教会の医術師の助力もあり体調面の問題はない。しかし禁忌魔法という強大な術式を使用したエドガーは中度のマナ中毒に陥り、今も安静が必要な状態である。

 教会はと言うと、敷地内で戦闘となったが該当の場所の立ち入りを禁止しただけで、今日も変わりなく動いている。まるで、何事もなかったかの様に。


 そして昼、俺達は林道を歩んでいく。

 低い木々に小石の多い歩道。つい先日、並んで歩いたこの道は何もかも違って見えた。一歩進む毎にあの時の会話が、出来事が脳裏を過る。

 俺が故郷のことを話さなければ、そもそも魔物の見回りなど引き受けなければ、このような理由でこの道を歩むことなんてなかったのではないか。覚悟を持って彼を討ったが、後悔ばかりが降り積もっていく。


 重い足取りだが、進まなければならない。

 俺達はルークス教国での最後の仕事に向かっていた。俺の一歩後ろにはマルティナが歩く。いつもの露出の多い服装ではなく、今日は白いシャツにジーンズを履いている。最初は俺だけで行くと言ったが、一人で全部やるなと注意された。


 俺の心中を察してかマルティナは何も喋らない。話しかけられたら、きっと弱音を吐いてしまう。一人でこの道を歩いても、途中で立ち止まってしまっていただろう。彼女の気遣いがただありがたかった。

 森を抜けると民家が見えてくる。一歩一歩近付くごとに胸が締め付けられ、鼓動が早くなっていく。心なしか息が苦しい。責任から逃げるな。


 所々に蔦の絡みついた石造りの家の前で立ち止まる。広い庭に放置された遊具は先日と配置が変わり、子供たちが遊んだ痕跡が残る。扉を叩こうと手を掲げて、そのまま動けなくなる。合わせる顔がない。何を言えば良いのか。拳を握り、そのまま下げた。


「あたしが言おうか?」


 マルティナの提案に俺は首を横に振る。これは俺の義務だ。深く息を吐き再び手を上げる。


「あー! この前のお兄ちゃんだ!」


 横から聞き覚えのある子供の声。顔を向けると先日遊んだ子供二人だった。確かレオとエレナと言ったか。無邪気な笑顔のまま駆け寄り俺に抱きついた。


「こんにちは」

「こんにちはー!」


 子供らしい元気な声で挨拶を返され口元が緩む。


「きょうはきれいなお姉ちゃんもいっしょなんだね」


 マルティナはエレナの声に笑顔で返す。レオは俺の顔をまじまじと見て首を傾げた。


「お兄ちゃんげんきない?」

「そんなことないよ」


 指摘され、無理矢理笑顔を作り取り繕う。子供たちは俺の言葉に特に関心を示すことなく、次の興味へと移った。周りを見渡し口を開く。


「ジョエル兄ちゃんは?」


 子供の問いに笑顔に亀裂が入りそうになる。なんとか堪え、俺にしがみつく二人を引き剝がした。


「いないよ。今日はエリノアに話があって来たんだ」

「そうなんだ……」


 エレナは俺の言葉に肩を落とした。彼らの表情に胸が痛む。ジョエルが守った子供たちは彼を慕い、そして愛していた。それを、何もかも全部、俺が壊した。


「エリノアならいるよ」


 レオが俺の手を取る。勢いよく扉を開け、心の準備も出来ないまの俺を中に引き込んだ。


「エリノアー! この前のお兄ちゃんがきたよー!」


 大声で彼女を呼ぶと「はいはい」と遠くで声が聞こえた。足音が少しずつ近付いてくる。洗い物をしていたのか、彼女はエプロンで手を拭きながら小走りで玄関へとやってきた


「突然すいません」

「いいよ、用事があるんでしょ?」


 エリノアはレオとエレナをホールへ行くよう促し、俺の先を見た。


「ジョエルは一緒じゃないのかい?」


 エリノアにとって当たり前の疑問が胸に刺さる。表情には出すまいと堪えていたが、彼女を前に平静を保つことが出来なかった。だが、顔を逸らす訳にはいかない。拳を強く握り彼女を見据えた。俺の様子を見て彼女の瞳から光が消えてく。


「ジョエルは?」


 もう一度問う。全てを察した彼女の顔には絶望が広がっていた。


「彼は、ジョエルは、違法術師との戦いに巻き込まれ亡くなりました」


 俺の口は無情な言葉を紡ぐ。エリノアは言葉を失い立ち尽くしていた。


「自分たちの力が及ばず、このような結果となり申し訳ございません」


 俺とマルティナは頭を下げる。エリノアに本当のことなんて言える訳がなかった。前方からの物音に顔を上げると、彼女は膝から崩れ落ちていた。壁に手を突きなんとか上体を支えている。


「やっぱり間違いだったんだ」


 震える声でエリノアが呟いた。瞳からは大粒の涙が零れる。頬を伝い、床へと落ちていく。


「教会に行かせたのは間違いだったんだ」


 取り留めなく流れる涙に彼女は両手で顔を覆った。手の隙間からは後悔に染まった嗚咽が漏れる。最悪の真実は伝えずとも、彼が亡くなったことに変わりはない。

 エリノアはジョエルの幸せを願い教会に送り出した。それが結果的に死を招いた。今ある現実だけが、残された者に深く突き刺さる。

 扉を開けたまま話す俺達に疑問を持ったのか、ホールから子供が顔を出す。俺達を見て目を丸くした。


「エリノアどうしたの? 泣いてるの?」


 その声に他の子供たちも集まってきた。彼らはエリノアの前に立つ俺を睨みつける。


「お兄ちゃんがいじめたの!?」


 俺達に向けられた目が憎悪に染まる。子供が投げつけたぬいぐるみが俺の体に当たった。


「エリノアからはなれろ!」

「でてけよ!」


 子供たちは次々とボールや人形を投げつけた。俺は避けも逃げもせず受けていく。一人の子供が投げた積み木が頭に当たった。角で皮膚が避け血が滴る。痛くない、ジョエルの受けた痛みに比べたら、こんなもの。

 俺は泣き崩れるエリノアに教会が葬儀を執り行うこと、後日日程の通知が行くことを伝え、再び頭を下げその場を離れた。もう二度とここに来ることはないだろう。



 教会と話し合い、ジョエルの引き起こした事件は隠蔽されることとなった。

 術師協会もそれについて特に言及する様子はない。彼らは事件を片付け、アーティファクトの行方だけ分かれば良いらしい。こういう時に協力関係にあるというのは楽、というか汚いなと思った。

 あの三人はジョエルとの戦闘前、警備隊に警護を任せていた。しかし事が終わった後、部屋から消えそれからもう見ていない。行方は気にならないし、知りたいとも思わない。ただ、俺の手で殴れなかった事が唯一の心残りとなっている。


 俺はこの結末を選ぶ切っ掛けとなった言葉を思い出す。


「後は頼んだ」


 ジョエルは確かにこう告げた。聞きたくなかった、そんな言葉。自分は散々暴れて、最後まで抵抗していたくせに。何もかも託して死んでいくなんて許せなかった。


 だが、彼の今までの人生を思うと、その願いを無下にする事なんてできない。


 良心と正義の狭間で悩んだ末、俺は彼の嘘を継承していく事に決めた。

 アルトゥーロ大司教の罪を公表すれば、同時にジョエルの半生も曝されることとなる。今まで隠し通してきた事が世間に、いや、孤児院に伝わるのは何よりも避けたいと思っているはずだ。自分の幸せを願って教会に送り出したのに、彼らのためにずっと苦しんでいたなんて。


 教会の不祥事を握りつぶす条件として、孤児院への支援の継続、及び本当に信頼できる者に慈善事業を引き継ぐことを約束した。これ以上俺達にできる事はない。


 ジョエル、これはお前の望む結果なのか?

 答えなんて返ってくるはずがない。俺が、殺したのだから。

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