落日に燃ゆる④

 俺とエドガーは庭園を歩いて行く。大聖堂前の庭園は手入れの行き届いた芝生と色とりどりの花に彩られていた。大聖堂の正面、庭園の中央には噴水が設置されており、水音がこの空間に柔らかく広がっている。

 すれ違う人々は武装した俺達を見て警備隊と思ったのか、時折「ご苦労様です」と声をかけていく。


 ここには様々な人で溢れていた。ベンチで談笑する恋人たち。庭園を走る子供とそれを諫める両親。地図を広げ困惑した顔の観光客。この光景は平和そのもので、まるで事件など起っていないかの様に平穏に包まれていた。

 そんな様子をエドガーはどこか暗く、沈んだ目で見ていた。


「ここに来てもう六日目になるな」


 俺が話題を振ると彼は顔を上げる。


「もうそんなに経つのか」


 エドガーは腕を組み遠くを見た。


「最初は過激派の異教徒を捕まえて終わりだと思ったんだけどな」

「そう簡単にはいかないよ」


 話しながら少しずつエドガーの眉間の皺が深くなっていき、俺はそれに苦笑いで返す。グラウスで事件の概要を聞いた、あの時まで記憶を辿った。


「異教徒絡みの事件かと思えば、相手はオートマタ。その術者は教会の不祥事の被害者であり復讐者で、やっと捕まえたが三人目の犯行とは無関係」

「馬鹿みたいに複雑になってきたな」


 俺が事件の経過を語るとエドガーは冷笑を浮かべる。彼の言う通り、事件は予期せぬところまで進み、気が付いたらこんなことになっていた。彼は思い出したように俺を見る。


「そういえばオートマタは回収したのか?」

「もちろん。粉々だったけど」

「粉々か……」


 そう、粉々だった。言葉の意図に気が付いたエドガーが虚ろな目となる。


「怒るよな、アイツ」


 俺は無言で頷くとエドガーは深いため息をついた。


「オートマタの歴史的価値より俺達の命の方が大事に決まってんだろ」


 当たり前だ。

 しかし、技術部部長であるダンテは違う。アーティファクトを術師協会本部に取られた際、本部の術師を攻撃しかねないと判断される程の男だ。押収品を再生不可能なレベルまで破壊し技術部へ提出した先の未来は容易に想像できた。


「それをダンテが理解してたら俺達が今憂鬱になるとこなんてないだろ」

「そりゃそうだ」


 奇人への理解を諦めたエドガーの顔に再び影が落ちる。

 気が付いていたが、先程からいまいち元気がない。疲労もあるだろうが少し違う。その理由はなんとなく分かっていた。


「その、大丈夫か?」

「何が?」


 問うもエドガーはこちらを見向きもせず返す。


「思いっ切り刺されてただろ」

「傷なら直ってる」

「そうじゃなくて、無理してるんじゃないか?」


 少し踏み込んで見るとエドガーは瞳だけ動かし俺を見た。すぐ視線が戻り、地面を見つめる。組んだ腕から出た左手の人差し指が自身のコートを叩いていた。そのまま数歩進んだ所で、エドガーの硬く結ばれた口が解け、深い息を吐いた。


「久々に死にかけた」


 低く、沈むような声でエドガーは呟く。


「あの時は平気だったけど、やっぱり怖いな」

「当たり前だ」


 肯定するとエドガーは薄く笑った。表情には出さないが手が震えている。恐怖を喉の奥に留めている様だった。こういう感情はため込むより吐き出しておいた方が良い。


 三級の資格を持つ高位術師と言ってもエドガーはまだ一五歳。本来ならまだ学校に通っている年齢だ。順当に育むべきところを彼は飛び級で通り過ぎ、こうして戦場に投げ出されている。情緒的に成長過程にある彼が、死という根本的な恐怖に勝てる訳がない。

 エドガーは言葉を続けた。


「正直に言うと、じっとしてたら死にそうになったの思い出しそうでお前についてきた」

「そっか」


 部屋を出る時から分かっていたが、ここはあえて知らないふりをする。さらにエドガーの表情が曇っていく。


「これでも軍人なのに、だめだよな……」


 自分の発した言葉で落ち込み、泥沼のようだった。言葉には恐怖の他にも悔恨が滲む。完璧を求める少年には理想と感情の乖離は耐え難い苦痛なのだろう。沈みきる前に俺は口を開く。


「誰だってそうだよ。エドガーだけじゃない」


 俺の言葉に猜疑の目を向けた。


「お前も?」

「もちろん」

「大怪我しても走り回れる奴がよく言うよ」


 エドガーはあまり俺の言葉を信用していないようだった。確かに普段の俺を見ていたら説得力はないかもしれない。


「死なないために動いてるんだよ」


 止まったら死ぬ。死んだら他の皆を危険に晒す。そう考えるだけで息が詰まるような感覚に襲われる。だから何としても俺は、生き延びるために行動し続けるしかない。


「そういうもんか?」


 エドガーは視線を前に戻した。納得していないようだがそれでも表情は先程より柔らかい。


「そのために日々の鍛錬があるんだ」

「お前のは度を越してるけどな」


 そう言ってエドガーは冷ややかに笑う。訓練はやりすぎなくらいで良いのに何を言っているんだ?


 そのまま歩いていると前を見慣れた黒髪の青年が見えた。彼も俺たちに気が付いたのかこちらに向かってくる。


「サボりか?」


 エドガーがジョエルに問う。


「開口一番にそれかよ」


 ジョエルは目を細め不快感を示す。俺もサボっていないか疑っていたところなので何も言えない。彼は冷ややかな目で俺たちを一瞥した。


「お前らこそ仕事してるようには見えねーけど」

「休憩中だ」


 答えると適当な相槌で流される。


「俺は普通に忙しい。お前らと喋ってる暇がないくらいだよ」


 ジョエルは言う。よくよく考えれば事件が発覚してまだ一夜明けたところ。様々な出来事が積み重なり数日前のことのように感じた。


「アルトゥーロ大司教のことは残念だったな」


「まあ、なんだかんだで長い付き合いだったからな。少しは悲しんでやるよ」


 顔に影を落としながらもジョエルは気丈に笑う。


「あいつが抱えてた慈善事業とか引継ぎが終わるまでサボる時間はないだろうな」

「終わってもサボるなよ」


 はいはい、と口だけの返事。張り付いた笑みのせいでいまいち感情が読めない。

 しかし孤児院の管理もアルトゥート大司教の管轄だったのならジョエルも他人事ではない。孤児院のために教会で働く彼にとって一番気がかりとなっているだろう。


「そういえば少し時間作れるか?」

「なんで?」


 ジョエルは疑問の声をあげる。


「アルトゥーロ大司教について聞きたいんだけど、でも忙しいんだろ?」

「まあ、そうだけど」


 ジョエルは口に指を添えしばし思考した。


「夕方くらいには時間作っとくよ」

「ありがとう、助かる」


 仕事が大変な時に申し訳ないが、彼なら有力な情報を持っている可能性が高い。是非とも協力を頼みたかった。

 ジョエルは再び俺を見る。そのまま無言でいるため俺は「どうした?」と首を傾げた。


「これが終わったらお前らもいよいよ帰んのかって」

「寂しい?」


 冗談を言うと鼻で笑われる。


「教会内に変なのがうろつかなくて清々するな」

「なら残念だけど、帰るのはまだ先になりそうだ」


 ジョエルの皮肉も相変わらずだった。ジョエルにとって俺は厄介な仕事を運んできた人間という評価のままなのだろうか。

 生い立ちや人となりを知る今、俺は別れに多少なりとも寂しさを感じていた。育った場所のために身を犠牲にして働く彼はどうか幸せになって欲しい。そう願っている。ついでに勤務態度も改めるべきだ。


「じゃ、お前らも仕事しろよ」


 軽く手を振りジョエルは去っていく。俺たちもそろそろ仕事に戻るとしよう。

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