落日に燃ゆる⑤
部屋に戻るとマルティナも既に戻ってきていた。俺達を見て「おかえり」と声を掛ける。なぜか座らずに壁に背を預けていた。
疑問に思いながらも彼女の視線が向く先を見ると、見知らぬ三人の青年が椅子に腰を下ろしていた。服装からここの修道士であることが分かる。
「この人たちは?」
「なんかアルトゥーロ大司教の件で情報提供してくれるんだって。今班長はいないって言ったら、このまま待つって言うから」
「そうか、待たせて申し訳ない」
会釈すると青年たちも無言で頭を下げた。だが、彼らはどことなく様子がおかしい。皆あちこちに視線を動かしたり、貧乏ゆすりをしたりと落ち着きがない。怯えているような、焦っているような、表情や態度からその様な雰囲気が伝わってきた。
「遅かったけど、何かしてたの?」
マルティナが青年達を無視して俺に話しかける。
「そこでジョエルと会ったから話してて……」
突如、物が擦れる鈍い音が響く。音の先を見ると一人の青年が椅子ごと後ずさっていた。俺の視線に気が付き咳払いをすると姿勢を正した。
三人の青年を見てエドガーが何かに気が付いた。
「この前の三人か?」
「この前?」
「アイクが魔物の様子を見に行った時の話だよ。俺達を見てたけどなんも言わないでどっかいった奴ら」
話しながらエドガーの眉間に不快感の皺が刻まれる。あまり良い印象はないらしい。丁度俺が席を外していた時の出来事なら知らないわけだ。だがそれと今の話は無関係のため意識の外に追いやる。
「それで、情報っていうのは?」
問うと三人の顔が一斉に強張る。顔を見合わせ無言の会話。右に座る青年が意を決したように頷き俺を見た。
「アルトゥーロ大司教を殺した犯人について、思い当たる奴がいる」
「本当か?」
青年の言葉に思わず体が前に出る。捜査が振り出しに戻った今、犯人へと繋がる話は願ってもいない申し出だった。しかし青年たちの表情は暗い。一体何に怯えているのだろうか。
右側の青年は顔を伏せたまま続ける。
「そのかわり、条件がある」
「俺達と取引しようって言うのか?」
エドガーの表情が苛立ちを帯びる。前に出ようとするのを腕で静止し、代わりに俺が一歩進んだ。
「その条件とは?」
「俺達を守って欲しい」
先程とは変わって即答だった。守るとは犯人からということか? 不明な点が多いがとりあえず飲むしかない。
「できる限り対応する」
その言葉に三人は一斉に顔を見合わせた。そして、頷き合うと中央に座る男が意を決したのか俺を見る。
「ジョエルから俺達を守ってくれ! あいつが殺しに来る!」
言葉の意味が分からず、先ほどまで考えてたことが全て頭から飛ぶ。
「どういうことだ? ジョエルが?」
名前を復唱するも尚理解ができない。彼らは一体何を言っているんだ?
犯人の情報とジョエルが殺しに来ること、結びつくことを考えるのを頭が拒否していた。
「アルトゥーロ大司教が殺されたんだ! 俺達も殺される!」
右側の男も叫び出す。左にいる男は黙っているが、見ると顔面が蒼白となり、手は小刻みに震えていた。
「落ち着いてくれ。意味が分からない」
全員混乱したら場の収集がつかなくなる。だが、俺はそう言うも、自分の鼓動が早くなるのを感じていた。嫌な予測が頭から離れない。
「アルトゥーロ大司教を殺せるのはジョエルしかいない」
震えていた青年が呟く。右と中央の青年も喚くのを止め彼が話すのを待っていた。真相に迫るその言葉を。
「あいつが大司教の部屋に行くのは大体、十九時から二十時の間なんだよ」
「それなら確かに殺された大司教が殺された時間と一致する。なんでそんな時間に大司教の部屋に……? それも頻繁に行くのか?」
新たな疑問を浮かべる俺を見て中央の青年が笑った。
それはここにはいない、ジョエルへ向けた嘲笑だった。
「あいつは、ジョエルは……大司教と関係を持ってたんだよ。体のな」
「……は?」
青年が告げた言葉の衝撃で思考が飛ぶ。
その言葉を理解できても、脳が拒絶していた。
「まさか」
うまく呼吸ができず、呟きは掠れた声となる。
全てを諦めた言動、大司教の話が出た時のこわばった表情、孤児院のためと笑う姿。ジョエルとの数々の出来事が脳裏に浮かび、そして消えていく。そんなことあってたまるか。そんな。
いや、兆候はあった。孤児一人を教会で引き取った上で孤児院の支援金を増やすことに違和感を覚えていた。だが俺はそれ以上考えるのを止めていた。意図的に推考しなかったんだ。教会がそんなこと、するはずないと信じて。
全て現実として受け入れるのと同時に吐き気が込み上げてきた。
誰も喋らない。静寂は思考を加速させる。
目の前の青年たちを見た。
「じゃあ、ジョエルが自分たちも殺しに来るって……」
青年たちを見る。彼らは引き攣った笑みを浮かべていた。挙動不審だった意味を、理解した。
「お前たちは、」
怒りで声が震える。全身の血が沸騰したような感覚だった。
「
ジョエルを犯していた大司教が殺されたのなら、同じことをした自分たちも殺されるかもしれない、彼らはそう考えたのか。自分たちは害を与えておいて、守ってくれと、死にたくないというのか。
怒りが、憎しみが胸の中に吹き荒れる。
言いたいことを言って吹っ切れたのか、青年たちが笑みを浮かべた。
「前から気に入らなかったんだよ。孤児のくせに大司教に気に入られて、あの地位にいて」
雑音が耳に入ってくる。こいつらは何を言っているんだ? 理解できない。理解する価値もない。
「だから大司教との関係を調べて、脅したら、簡単だったよ」
「ふざけるな!」
怒号と共に彼らと俺を隔てる机を腕の力だけで除ける。派手な音を立て転がるがどうでも良い。
「やめろアイク!」
エドガーが俺の腕を掴むも振り切る。こいつらは、こいつらだけは許せない!
短い悲鳴を上げ、部屋の隅へと逃げていく。出遅れた左側の男の腕を掴み引き寄せる。胸倉を締め上げると体が宙に浮いた。彼が苦悶の表情を浮かべるのを見てさらに激情に駆られる。ジョエルが受けた屈辱は、苦悩はこんなもんじゃない。胸倉を掴む手に力が入る。拳を振り上げると、マルティナがその腕を掴んだ。
「班長が情報提供者を殴ったら問題になるでしょ!」
マルティナの言う通りだ。だが、俺は──、
正面から乾いた笑い声がする。こんな状況で尚、冷笑を浮かべていた。
「ははっ……最高だったよ。あのすました顔が歪むのはさ」
その一言で、渦巻いていた感情が引いてくのが分かった。
周囲から音が消える。胸倉を掴む手を緩め男を地面に落とした。転がった男の足を踏みつけ逃げられないようにする。
こいつらは生きる価値もない。
マルティナの腕を振り切り剣の柄に手をかけた所で、視界の端に緑の光が映った。ヴィオラが杖を構え、その先端には雷撃術式の光が灯る。マルティナも横で銃を構えていた。それらは全て俺に向けられている。
俺は、俺がしようとしたことにようやく気が付いた。柄から手を離し、男から足を除ける。足元の男が四つん這いのまま逃げていく。
「悪い……」
手を上げもう攻撃の意思がないことを伝えると二人は武器を下げた。マルティナは息をつき俺を睨む。もう少しで取り返しのつかないことになっていた。
俺達が攻撃できないことが分かると彼らは下卑た笑みとなる。
「あいつ、あんたにも媚び売ってたんじゃないのか? 二人で寮に入ってくのを見たぜ」
邪悪さに吐き気がする。大した努力もせず、他人に嫉妬し、隙あらば陥れる。人はここまで堕ちるものなのか。
術師協会の人間が自分たちに手も足も出せないという状況はさぞ気持ちがいいだろう。自分たちが優位だと分かればこのように煽り始める。しかし拳を握りしめ、睨むことしかできない。
乾いた音が、部屋に響いた。
マルティナが喋っていた男を殴っていた。鍛えてもいない体は容易に吹き飛ばされ壁に激突する。呆気に囚われていた男の頭を掴み、蹴り上げた自分の膝と顔面を衝突させた。最後に反撃しようとした男の腕を掴み反対に曲げ、そのまま腹部を殴り付ける。一瞬の間の出来事だった。三人の男が床に転がる。
「こんな事して良いと思ってんのか……!」
壁に衝突した男が起き上がり怨嗟の声を上げる。
「確かに責任者の班長が殴ったら問題になる」
マルティナは無機質な足音を響かせながら男に近付いた。頭の髪を掴み自分の目線を無理矢理合わせる。
「だから、あたしが殴る」
そう言って反対の手でもう一度殴る。歯が数本飛んでいくのが見えた。
「処罰でもなんでも受けるよ。でもね、この会話は記録してる」
最後の言葉に男たちの顔が青くなっていく。マルティナは口の両端を釣り上げた。
「あたしの事を報告すれば、この音声も当然教会に提出する」
冷たい氷の声で彼女は告げる。男たちは目を伏せ何も言わない。マルティナは掴んでいた男を投げ背を向けた。
「でも、約束は守るよ」
マルティナの言葉が重く響く。こんな奴らでも、仕事上守る義務があった。
***
彼らを別の部屋に詰め込み、護衛はマルティナに頼んだ。あそこまで痛めつければ彼女に手を出すことはないだろう。何かあれば通信魔具で知らせるようになっている。
俺の胸中には嵐のように様々な感情が吹き荒れていた。あの時は怒りで手一杯だったが、少し落ち着いた今数々の事実にただ混乱している。
「彼らの証言だけでは証拠にならない」
一つ一つ頭の中で整理し俺は呟く。まだアルトゥーロ大司教を殺した犯人がジョエルであると決まったわけではない。
決まってはいないが、不必要な情報だけ省いていくとそこには最悪の事実だけ残る。未だに信じられなかった。先程の話も何かの間違いであって欲しい、それが正直な思いだった。
「どうやって証拠を掴んでいくの?」
ヴィオラの問いにエドガーが顔を曇らせる。
「あいつを探して、あの日何してたか聞く、とか……」
「それは、正直避けたい」
咄嗟に声が出る。声に出してすぐ、ありえない方針だと気が付いた。
「悪い、俺の感情の問題だ」
この仕事をしている以上感情に左右されてはならない。分かっているのだが、まだ受け止めることができていなかった。しかも、あの話を聞く直前に俺達はジョエルと話している。普段と変わらない口調でアルトゥーロ大司教のことを話していた彼に寒気を覚えた。
「俺だってそうだよ、あんな話聞いて。それにさっきまで普通に話して、いや、今までだって……」
一緒にいたエドガーも同じことを考えていた。簡単に気持ちの整理はつかない。
「証拠ね……」
ヴィオラが思考する。
「彼が最近魔法を使ったとかはないかしら」
「あいつ、資格は持ってるだけって言ったろ? 使う機会なんてねーだろ」
エドガーは答え再び悩む。傭兵ならともかく、一般の者が魔法を使う機会なんてそうない。移動中に魔物が出たとしても普段から訓練していなければ咄嗟になんて発動できないだろう。
「……いや、あった」
俺の声に二人は顔を上げる。
魔物、という単語で思い出す。孤児院からの帰り道、あの場にいたのは、魔物から俺を守ったのはジョエルだった。
「あの時は疑問に思わなかったけど、確かに使っていた」
自分に確認するように呟いていく。よくよく考えると不自然だった。魔法は使えないと言っていた彼が高位魔法である障壁を貼るなんて。嫌な汗が背中を伝う。心臓が痛いくらいに強く脈打っている。
俺は立ち上がり二人に声を掛ける。おそらく術痕はまだ残っているはずだ。
「一緒に森に来てもらって良いか?」
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