落日に燃ゆる⑥
夕方の教会は静けさに包まれる。
俺達は最初に足を踏み入れた礼拝堂の前にいた。夕日の光が長い影を落とし、シルエットが美しく浮かび上がる。ジョエルは夕方に時間を作ると言い、場所まで指定しなかった。俺達が礼拝堂にきたのは、なんとなくここだと思ったから。
木製の扉に手を掛ける。鍵はかかっていない。扉を押し足を踏み入れる。
広い通路の左右には信徒用の長椅子。正面には教会の象徴であるヴァナディース像とその台座に座るジョエルがいた。夕暮れの光がステンドグラスを通りぬけ、彼の背後に暖かい色彩の影を映し出していた。彼の美貌もあり、それは神話のような光景だった。
「四人揃ってんのは珍しいな」
ジョエルが笑いかける。
「アルトゥーロについて聞きたいんだろ?」
ジョエルの声が胸に刺さり、咄嗟に視線を落とし顔を背けた。自分でも不自然な行動だって分かっている。彼の目を見ないまま俺は口を開く。
「そのことはもういい。他に聞きたいことができた」
「へぇ……?」
まともに顔を上げられなかった。彼がどんな表情をしているのか、どんな思いで話しているのか、見ることが出来ない。
無機質な足音が礼拝堂の中に響く。彼が立ち上がり俺に向かって歩き出していた。
「もしかして、俺を疑ってんのか?」
冗談混じりの軽薄な声。昼間の俺だったら笑って流していたかもしれない。
顔を上げ彼を見る。整った顔に浮かぶ皮肉な笑み、普段と変わらない彼の姿だった。それに安心感を抱くと共に、強烈な違和感を覚える。なんでそんな風に笑っていられるんだ。
俺が黙っているとジョエルは首を傾げる。
「マジで疑ってる?」
俺は答えられない。ジョエルの口がさらに歪む。
「残念だけど、俺みたいな戦闘経験のない助祭があいつを殺せる訳ねーよ」
「アルトゥーロ大司教の殺害に使われたのは、彼の所有していたアーティファクトだ」
ジョエルの表情は変わらない。口元に笑みを張り付けたまま、静かに俺の言葉を聞いている。
「ジョエル、お前が持ってるだろ」
「そんなまさか」
俺の指摘にジョエルは肩を竦めて見せた。否定するのなら俺は言葉を続けるしかない。
「孤児院の帰りにジョエルが使った術式と、アルトゥーロ大司教を殺した術式の術痕が一致した」
これ以上先を言いたくない。だが、言わなければならない。この事件を終わらせるために。
「これは、お前が殺したという紛れもない証拠だ。もう演技はやめろ」
断言するとジョエルの喉が鳴る。
次第に大きくなり彼は声を上げて笑った。哄笑は石壁に高く、鋭く反響し部屋の隅々まで届く。やがて囁き声のように微かになり、ついには静寂が戻った。
ジョエルが俯き長く深いため息をつく。
「あーあ。ばれちまったか」
ジョエルの口が小さく動く。顔を上げ俺を見た。琥珀色の瞳は冷たく光り、唇には薄笑いが浮かんでいた。
「そうだよ。俺がアルトゥーロを殺した」
犯行を認め、ジョエルがゆっくりと歩みを進めた。靴底が大理石を叩く音が静謐を破る。俺の前まで来ると、肩に手をかけ顔を耳元に近付けた。
「俺が疑われたって事は、俺とあいつの関係も知ってんだろ」
「……ああ」
肯定すると、ジョエルは乾いた声で笑う。再び俺と向き合った。
「どうせあのゴミ共が話したんだろ」
冷たい声が礼拝堂に響いていく。
「あいつが支援のためとか言ってたけど全部嘘だよ。最初から体目当てだった。俺の前も何人かいたらしいけど、どうなったか分かるだろ?」
俺は何も言うことが出来ない。教会の隠蔽体質は今回の件で嫌と言う程思い知らされた。ジョエルの前と言うのも、おそらく始末され、不審死として片付けられてきたのだろう。
「お前には感謝してるよ。お前のおかげで殺す決心がついたんだし」
「俺が……?」
一体いつ俺が殺人の後押しなんてした? 困惑する俺にジョエルが微笑んだ。背筋の凍るような感覚が走る。
「俺は逃げられなかった。だから殺した」
その言葉に息を飲む。孤児院の帰り道の会話が脳裏を過ぎっていった。
「孤児院から帰った夜、あいつにこんなことやめたいって言ったんだよ。そしたらなんて言ったと思う? やめるなら孤児院から俺の代わりを探すってよ」
あまりにも残酷な仕打ちに声が出ない。
アルトゥーロ大司教はジョエルの良心を喰い、自己犠牲を強いて長く繋ぎ止めていた。そして、孤児院という人質を取り、彼との関係を確固たるものにしようとした。
ジョエルの口から語られる最悪の事実に、初めてこの国を訪れた日、大司教に好印象を抱いた自分を殺したくなる。
けれども時間は戻らない。俺は目の前の現実に向き合うしかない。
「だから殺したのか?」
「そうだよ。最高だった、少しずつ切り刻んだらさ」
そこまで言ってジョエルの唇が歪み、乾いた笑い声が喉から漏れた。抑えきれない笑みが顔全体に広がっていく。
「止めてくれって泣き叫んで。俺の時は止めなかったくせに。お前らが死体を見た時とかさ、笑いを堪えるのに苦労したよ」
ジョエルは肩を震わせながら、当時の記憶に浸っていた。
アルトゥーロ大司教が亡くなったと聞き駆け付けた彼の言動を思い出し寒気が走る。あの時、そんなことを思っていたのか。
「だからってあんな殺し方、」
「煩ぇんだよ、善人ぶりやがって」
俺の言葉を氷点下の声が遮る。ジョエルの目が鋭く細まり、軽蔑の色に染まった。
「お前の言動にはいつも吐き気がした」
その言葉が鋭い矢のように胸に突き刺さる。あるはずのない痛みが全身に広がり、無意識に後ずさる。何も言い返せなかった。
あの時、俺の言葉がジョエルに選択肢を与えてしまった。彼が、彼自身の幸福を掴み取ろうと踏み出した一歩は、底のない絶望へと繋がっていた。俺がそこに突き落としてしまったのだろうか。降り積もる後悔で圧し潰されそうになる。
だが、俺は踏み留まる。
確かに俺が切っ掛けを与えてしまったのかもしれない。しかし、ジョエルはアルトゥーロ大司教を殺害する日より前にアーティファクトを盗み、所持し続けている。それは以前から殺害の機会を伺っていたということだ。
俺は罪悪感を拭い彼を見据えた。
「だからと言って人を殺して良い理由にはならない」
「綺麗事を」
ジョエルの美貌に亀裂が入る。
「あんな奴、殺されて当然だろ」
吐き捨てるように言う。確かに彼はそれだけのことをしていた。死ぬべきとも思う。
けれども、それだけで自分は救われるのか。
「じゃあお前は、アルトゥーロ大司教を惨殺して満足したのか?」
「するわけねぇだろ!」
ジョエルは声を荒らげた。
「散々脅されて! 使われて! 一度殺したくらいで満足できるかよ!」
怒鳴り、息を切らすジョエルの瞳に絶望が広がっていく。彼もきっと理解している。殺したその時は良かったかもしれない。だが、長い年月をかけて増大して行った怒りや憎しみが一瞬で晴れるはずがない。
じわじわと湧き上がる行き場のない感情が、彼を蝕んでいた。一生満たされることのない虚無感に耐えられるものか。
「……まだ終わってない。まだ、あいつらが残ってる」
ジョエルが抑揚のない声で呟いた。
遠くに向けられる琥珀色の双眸の奥に憎悪の炎が灯る。
「アルトゥーロに呼ばれなかった日はあいつらが来てさ、孤児院に何かされたくなかったらヤラせろって言うんだよ」
氷のような声の奥底には燃え上がるような恨みが込められていた。
「本当はお前らにバレる前にあいつらも殺したかったけど駄目だったみたいだな」
ジョエルは目を逸らし、口元に自棄になった笑みを浮かべた。しかしその裏で魔力を練っていくのが分かる。オートマタにも勝るような強大な波長となり放たれていた。
俺は、剣に手をかけるもまだ抜くことを躊躇ってた。頼むからここで止まってくれ。
「どけよ」
「ジョエル……」
名を呼ぶと俺を睨みつける。
「どけ!」
ジョエルが右手を前に出す。人差し指に嵌められた指輪が、盗み出したアーティファクトが光った瞬間、目の前に巨大な術式が展開された。その輪の数は八。それはオートマタの使った高位術式を超える禁忌術式を意味する。
「邪魔するならお前らも殺してやる!」
叫びのような怒号と同時に黒い術式から無数の黒い帯が出件。蛇のようにうねり四方に放たれた。同時に左右の長椅子に線が入る。線が三本四本と刻まれたかと思えば一瞬で細切れとなった。
咄嗟に剣を抜き防御するも数本の帯が俺に殺到。受け流せなかったものが皮膚を裂いていく。
横に回避すると、俺の後ろからエドガーの『
着地と同時に前方を確認。先程までいた場所には帯が乱舞、縦横無尽に動き細切れにしていく。迫る帯を受け流しさらに後ろへ撤退。抱えられたエドガーか『
「八重術式なんて聞いてねぇぞ。個人で所有が認められるアーティファクトに大した性能は備わってないはずだろ」
記録との齟齬にエドガーの顔が歪んだ。
「あのアーティファクトが術師協会に申請されたのが三十年前」
俺は術師協会に登録されていた文章を思い出し答える。
「アーティファクトの法整備と所有基準が改定されたのは十五年前ね」
後方でヴィオラが俺の言葉に補足した。法の欠陥に隣でエドガーが呻く。目の前では帯が渦巻き粉塵を散らしていた。
「つまり記録は当てにならないってこと!」
煙が晴れると同時にマルティナが言い、駆け出す。俺もその横に並びジョエルへと向かった。
前から迫る帯をそれぞれ剣で受け流し前に進む。後ろから周り混もうとする帯はエドガーとヴィオラが援護し弾いていく。マルティナは正面に迫る帯を横に飛び避けた。そのまま二手に別れ、俺はさらに進む。
「これが大司教を殺した術式か」
俺はかつて文献で読んだ記憶を辿る。『
「そうだよ」
俺の声を聞いたジョエルが笑う。こうやって、と俺に右手を掲げ帯を向けた。俺は彼の人差し指に嵌る指輪を確認する。華美な装飾が施される輪の中央には核である紫色の魔石が鎮座していた。装飾品の形を模すのは寄生型アーティファクトである証。莫大な魔力を与える代わりに所有者の命を食らい動く最悪の古代魔具だ。術師協会のデータでは大した性能ではないということになっていたが大分食い違う。
帯を弾き、避けることに精一杯だった。
いや、違う。俺はこの期に及んで、攻撃するのを躊躇っている。
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