悪い魔法使いを捕まえるお仕事

中谷誠

断章

黄昏時の喜遊曲

 窓から差し込む陽光が部屋を明るく照らしていた。

 高い天井と白い壁、大理石の床には美しい模様の絨毯が敷かれている。部屋の中央には立派なシャンデリアが下がり、煌めく宝石が光を反射していた。壁には風景画や肖像画、抽象画などいくつもの絵画が種類を問わず飾られている。


 一人の女性が部屋の中央で椅子に腰かけ本を読んでいた。本に向けられるのは慈愛の表情。夜明け前の澄んだ空を思わせる紫色の瞳は、慈しむ様に字を追っている。

 女性はページを捲った。とある一節を読み、美しい顔に影が落ちる。さらにページを捲る。さらに捲る。捲る。捲る。捲る。


 いくら読み進めても変わらない内容に女性の顔から表情が消える。

 ため息をつき本を閉じた。射貫くような冷たい眼で一瞥すると本が燃え上がった。一瞬で塵となり床に落ちていく。


 彼女は席を立ち、窓に向かった。

 眼下に広がる町は活気に満ちていた。幾つもの家が立ち並び、通りには馬車の往来や人々の行き交う姿が見える。遠くからは動物の鳴き声や人々の話声が聞こえ、街の喧騒が心地よく響いていた。広大な命の息づかいに彼女は聖母の様な表情を向けた。


 窓を開けると風が心地よく吹き抜ける。乱れた髪を耳にかけながら女性は窓辺に腰を下ろした。そして、外の景色を眺め嬉しそうに口ずさみ始める。声は部屋の中に響き渡り、優雅な旋律が空気を満たした。


 時に繊細に。時に軽快に。声帯を震わせ、清らかな音を紡いでいく。

 この曲に題名はない。大災害を生き残った小さな楽団が演奏していたものだが、時を重ねる内に楽譜は消失してしまった。


 彼女はこの曲が大好きだった。愛する人間たちが、再び立ち上がろうと作ったこの喜遊曲が。


 いつの間にか太陽は西に傾いていた。夕焼けの色彩が建物や路上の表面に映し出されていく。

 彼女の祈りを乗せた歌は、茜色の街に溶けていった。

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