揺蕩う魔の世界

一節 違法術師取締課 

 赤と金の装飾が施された扉に手をかけ、俺は店内に足を踏み入れた。

 吊り下げされた裸電球が微かに部屋を照らしている。薄暗い部屋には十程度の木製の丸机と素朴な椅子が規則的に並ぶ。壁と同系色の古臭い棚には様々な酒のボトルが並べられていた。

 ここは酒場である。

 店内には疎らに客が入っており、皆それぞれで酒をたしなんでいた。カウンターでは黒いベストに赤い色のネクタイを付けたバーテンダーがグラスを拭き、俺の動向を探っている。


「おいおい。ここはガキの来る場所じゃねーぞ」


 一人の粗暴な男が俺に言葉を投げる。店内にいる数人の男性がそれに対して下卑た声で笑っていた。俺は無視して一直線に奥の席へと向かう。相手にするだけ無駄だ。

 一番奥の席で、一人で酒を飲む中年の男の前で足を止める。


「ロバート・ワイールだな」


 男の名を告げる。ロバートは酒の入ったグラスを置き、眉にしわを寄せ訝しげに俺を見た。


「なんの用だ?」


 彼が探るように問いかけた。


「魔石不法売買の容疑でご同行願おうか」

「お前、術師協会の……」


 ロバートは静かに呟くと俺の後ろへと視線を送る。それを合図に後方で椅子と床が擦れる鈍い音がした。

 何人もの足音がし、瞬く間に俺の周りを屈強な男達が囲む。数は八人と言ったところか、店に居た客全員が集まっているようだ。彼らの手には棍棒やナイフなどの武器が握られていた。


「用意周到なようで。歓迎感謝するよ」


 まあ用心棒もいるだろう。相手も馬鹿じゃない。俺は口元に笑みを浮かべ余裕を見せつける。その態度が気に障ったのか、俺を見る目を細めた。


「悪いがこっちも商売なんでね」


 直後、俺の隣にあった木製の椅子が派手な音を立てて一瞬で木片へと変わる。後ろにいた男が威嚇に棍棒を振り下ろしたようだ。後ろから複数人の笑い声が聴こえる。俺は微動だにせず、ロバートを見据えた。


「大人しく捕まるつもりはないようだな」


 ため息交じりに呟くと、それと同時に俺を囲む男達が動き出した。

 真後ろの男が頭めがけて棍棒を振り下ろす。俺は左に体を逸らし棍棒を避け、そのまま男の顔に肘打ちを叩き込む。低いうめき声と共に、男の口から折れた歯と血が零れた。よろめきながら口元を手で覆う男のこめかみへさらに強烈な拳の追撃を入れる。棍棒を持つ男の眼が反転、そのまま重力に従い頭から倒れていった。休む間もなくその横からナイフを持った男が現れる。

 男はナイフを横に薙ぐ。俺は飛び退き回避。着地と同時に床を蹴り、前方へと跳躍する。そのままナイフを振り切り無防備になった男の腹へと飛び蹴りを放った。足は上腹部へとめり込み、男の口から空気が吐き出され、体は勢いと共に床へ向かう。腰を強打し、胃を強く圧迫された男は口から胃液を垂れ流しながら失神する。


「抵抗は無駄だ。余計な罪が付くぞ」

「ここでお前を殺せば問題ないだろ!」


 忠告を無視し、剣を持った男が突進してくる。俺は近くの机に置かれた飲みかけの酒を手に取り、中身を向かってくる男の顔にかけた。


「えっ、ちょっ」


 混乱する男に容赦なく蹴りを入れる。急所を突かれた男は短くうめき声をあげ後ろに倒れていった。

 俺は腰に下げた剣を抜き構える。次は三人が一斉に動き出した。

 一人目が振るうナイフを体を傾けかわし、手首を掴み捻り上げた。男は苦悶の声をあげナイフを落とす。休む間もなく二人目が後ろから切りかかってきた。俺はこの姿勢のまま後ろに剣を回しナイフを受け止める。そして一人目の男の手首を掴んだまま体を旋回させ、二人目の男に回し蹴りを放つ。蹴り飛ばした先に振り回されていた一人目の男も投げ飛ばした。

 二人を片付け三人目の男の行方を探す。すでに三人目の男は俺の後ろに周り込みナイフを振り上げていた。

 その瞬間、店内のどこからか何かが破裂するような乾いた音が鳴り響く。

 それが銃声だと認識した時、ナイフを振り上げていた男は右手を押さえ床に倒れこんでいた。手の間からは血が溢れ、床に赤い水溜まりを作っていく。


「一人じゃないのか!」


 苦悶に顔を歪ませる用心棒の姿を見て、それまで静観していたロバートが叫ぶ。彼は八人もの男が俺一人にやられる事はないだろうと考えていたのだろうか。次々と倒されていく男達に焦燥感と不安を覚えたのか、彼は勢いよく席を立つ。そのまま入口とは反対にある非常口へと駆け出した。

 追いかけたい所だがあいにく用心棒達の相手で忙しい。だが、このまま見過ごす訳がない。


「エドガー!」


 俺は己に降りかかる刃を弾き返し、誰もいない暗闇へと叫ぶ。

 ロバートが非常口に手をかけようとした時、青い円状の術式が浮かび上がるのと同時に扉全体が凍り付いた。強烈な冷気がこちらにまで届く。


「クソッ! なんだよこれ!」


 ロバートは凍り付いた扉を蹴る。だが厚い氷で覆われびくともしない。無駄だと分かったのか、胸元から赤色の石が装飾された短い杖を取り出した。


「こんな所で終われるか……!」


 呪詛のように呟きながら杖先を俺に向ける。石が僅かに光ったその直後、人の頭程の火の玉が出現し、俺へと打ち出された。

 火が弾け、煙が辺りを包む。

 白煙の奥に口元に笑みを浮かべたロバートの姿が見えた。しかし煙が晴れた時、その笑顔は凍り付く。

 俺に火の玉は当たっていなかった。否、阻まれていた。俺の前には緑がかかった半透明の壁が出現しており、危機が去ったと分かると粒子となり消える。


「なんだよ! 他にもいんのかよ!」


 ロバートは叫びながら半狂乱で杖を振り回した。


「出てこいよ!臆病も……」


 彼の言葉は中断された。振り回していた手も、恐怖からか凍り付いたかのようにぴたりと止まる。彼の頭には銃口が突きつけられていた。


「お望み通り出てきたけど?」


 ロバートが動かない体の代わりに眼だけ動かし声の主を見ようとする。彼の隣には赤髪の女性が銃を向け微笑んでいた。

 扉を覆っていた氷が粒子となって消える。ゆっくりと開き、右手に本を持った少年が顔を出した。


「そろそろ終わったか?」


 少年は部屋を見渡し、最後に追い詰められたロバートを見た。状況を理解したのか本を腰のホルダーへとしまう。


「なんなんだよお前ら……!」


 再び俺を見る。複数形なのは隠れて待機していた残りの人物も出てきて俺の後ろに立っているからだ。用心棒を倒し切り、身を隠す必要もなくなった。


「じゃあ改めて、一緒に来てもらおうか」


 俺が言い放つと、ロバートは膝から崩れ落ちた。

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