女神の御許⑪
建物の間の細い道を走りぬけ、森に面した細い道に出た。大通りとは違い街灯などなく、月明かりと建物から漏れる光で辛うじて道の輪郭が分かる程度だった。
当然人など居ない。ただ一人を除いて。
「ジョエル!」
ふらふらと神父服のまま前を歩く彼の名を呼ぶ。反応はない。聞こえていないか、違う人物なのか。しかしあの美貌を見間違えるはずがない。
たいして距離は開いていなかったため走れば簡単に追いついた。腕を掴み引き止める。
「おいジョエル!」
もう一度名を呼び、強引に振り向かせた彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「触るな!」
怒声と共にジョエルは俺の腕を振り払った。元々白い顔はさらに青白く、息は荒い。
呆気に囚われ何も言えずにいると、ようやく俺だと気が付いたのか、ジョエルは静かに目を伏せる。
「…………悪い」
弱々しく、消えてしまいそうな声だった。
俺が一歩踏み出すと、同じ距離だけジョエルは後ろへ下がる。俺は近付くのを止め、その場で口を開く。
「どうしたんだ、こんな所で。服だって……」
「お前には関係ない。さっさと帰れよ」
ジョエルは俺を睨む。俺も負けじと彼を見据えた。
「それでも放っておく訳にはいかないだろ。危険だし、何より顔色も良くない」
「よくもまあそんなに他人に気をかけられるよな。このお人よしが」
「何て言われたって良い。ただ心配してるんだ」
無言の睨み合いが続く。
何故こんな時間に出歩いているかはこの際どうでも良い。だがこの地で連続殺人が起こっている今、何を言われようとそのままにしておく訳にはいかない。俺には彼を守る義務がある。
観念したジョエルが目を逸らし、ため息を付いた。
「どうせ突き放しても付いてくるんだろ」
ジョエルは忌々しげに言い放つと歩行を再開する。「もちろん」と返答し後を追った。
「馬鹿みたいに真面目だな」
「よく言われるよ」
「それ、褒められてねーからな」
ジョエルは呆れ声を出す。いつもの憎まれ口なのだろうが、実際よく言われる事のため俺は気にも留めない。
「昨日の事だけど」
十数歩進んだ所でジョエルがふと呟く。静かな夜道でなければ聞き逃してしまいそうな声量だった。
「言いすぎたと思ってる。悪かったな」
「んん?」
予想外の言葉に思わず立ち止まった。足音が途絶えた事に気が付きジョエルも振り返る。
「いや、なんでもない」
俺は小走りで開いた距離を埋めた。
彼の言葉にただ驚いていた。皮肉でも何でもない、本心からの謝罪だった。あまりにも意外すぎて一瞬思考が飛んでしまう。昨日のことは踏み込んだ発言をした俺達にも非はあると思っている。しかし、それをジョエルが気にかけ、謝るとは思ってもいなかった。
思い返せばジョエルは最初出会った時、道を伝えるだけで良いのにわざわざ俺達を案内してくれたりと案外親切だ。
彼は、俺が思っていた人物とは違うのかもしれない。
俺とジョエルは黙って歩いていく。
道が分岐し林道に入った。確かこの道は正門の反対側にある裏門に通じていた気がする。教会の裏手にある寮には大通りを通るよりこちらから行った方が近いだろう。
林道に街灯はないが、月と星の明かりでそこまで暗いとは感じない。だがこの静寂は何となく不安を煽る。寮まではまだ距離があった。
「一つ、聞いて言いか」
「勝手に喋ってろよ」
「なんで教会に勤めてるんだ?」
黙々と歩く背中に問いかける。ジョエルは答えない。俺は続けた。
「そんな性格には見えないから」
「急に失礼だな、お前」
今度は立ち止まり、ジョエルは再び振り返る。俺の言葉に対して不服を示すように眉を顰めていた。俺は取り繕うように笑いかける。ジョエルはしばらくして短く息を吐いた。
「……教会に引き抜かれただけだよ」
「本当に?」
「信用してねーな」
ジョエルは自嘲気に口元を歪める。
「別にどう思われても構わないけど」
「いや、信じるよ。外面は良いもんな」
「ありがとよ」
そう言って彼は肩を竦めた。
こうして話すジョエルは普通の青年だった。口が悪く捻くれた性格をしているが、それでいてどこか優しい、どこにでもいる人間だった。
昨日の朝の修道士達の言葉を思い出す。「孤児のくせに」と。何故引き抜かれたからといって本性を隠してまで教会にいるのか、俺はそれが分からなかった。周りと距離を置きながらも、教会に在籍し続けなければならないその事情が。
「やっぱり分からない。何で、」
「さっき聞くのは一つって言っただろ」
「……そうだったな」
先程自分で言った事を思い出し、口を噤んだ。俺を見てジョエルは喉を鳴らす。
「本当真面目だよな?」
「そう言うジョエルは不真面目すぎる」
「ちゃんと仕事はしてるだろーが」
「それでも一応聖職者だろ。もっと身の振り方とか……」
昨日の仕事の速さといい、きちんと仕事をこなしているのは分かる。だがそれとこれとは話は別だ。
ジョエルは長い長いため息を吐く。
「それはお前の押し付けだろ。神を信じる奴は善良であるべきとでも言いたいのか? じゃあ神に縋ってここにガキを捨てる奴は? そいつが正しいとでも?」
嫌悪で濁る眼差しを大聖堂の方角へと向けた。
「神なんてただの記号で、都合の良い言い訳で、どうしようもない奴らの逃げ道だ。その名前を出せば良い事をした気になって、何でも許されると思ってる」
「途中で気が付いたけど話をすりかえるな」
「あー本っ当優等生は面倒くせー」
俺がジョエルの出生を知った上で、良心を咎めさせる言葉を用い自分への非難を無理矢理逸らす。やはり相当性格が悪い。本当に油断も隙もない奴だ。思わずため息が漏れた。
その時、風に揺れた木々の葉擦れの音の間に微かな物音を捉える。すぐ横は林、動物がいてもおかしくない。だがそうとは言い切れない違和感が残る。その理由は一つしか考えられない!
一歩でジョエルとの距離を縮め、その勢いのまま肩で突き飛ばす。
その直後、ジョエルの元々いた位置、俺の目前を何かが通過していく。真横の木に着弾。太い幹を貫通し、勢いを殺すことなく後ろの木へ。四本目でようやく停止。『
「なんだよ急に……」
ジョエルは俺に押し倒され座り込んだままだった。
轟音。支えきれなくなった木々が倒れていく。それを見てようやく状況を理解したのか、彼の顔から血の気が引いた。
「もしかして」
「そのもしかしてだ」
ジョエルの前に立ち、剣を抜く。
「大司教殺しの違法術師……!」
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