女神の御許⑩
昼間、俺とエドガーは聞き込みの休憩に屋台の行列に並んでいた。順番待ちをする人々の笑い声と、屋台から漂う香ばしい匂いが混じり合い、場の活気が伝わってくる。
「いつもこの組み合わせだな」
エドガーが俺を見て呟いた。俺は苦笑いを零す。
「仕方ないだろ。この班で回復魔法使えるのは俺とヴィオラしかいないし」
「別に嫌って言いたいわけじゃない」
何かあった時のためにも、使える魔法を考慮して組み分けをしなければならない。その意味はエドガーも理解している。ただ言ってみただけだろう。
行列が進み俺たちも前に一歩ずつ進んでいく。横では窯で焼きあがった生地が次々と積み上げられていた。別の人間がそれに、野菜やハムなど挟み隣へ流している。
「エドガーも回復魔法学んで見るとかどうだ?」
「興味はあるけど手が回んねぇよ」
いつも不機嫌そうなエドガーの眉間に皺が寄り、さらに不機嫌となる。
回復魔法は人体の構造を正しく理解する必要がある。体に起こっている異常を理解し、適切な魔法を選択しなければならない。だからこそ上位の回復魔法の使い手を医術師と呼ぶ。
俺の使う筋力強化魔法も人体を理解する必要があるため、回復魔法と合わせて会得するものが多い。まあ、筋力強化魔法は強化に耐えられる体作りの方が重要となるが。
前の客が去り俺たちの順番が回ってきた。指で個数を示し代金と商品を引き換える。エドガーに一つ渡しその場を離れた。
「ありがと」
受け取ったエドガーが礼を言う。
確かピアーダ、と書いてあった気がする。小麦粉で作られた生地にハムや葉野菜、チーズなどを挟んだ食べ物だった。一口齧りつつ、大通りを歩いて行く。
「手が回らないって、前言ってたあれか?」
咀嚼中のエドガーは無言で肯定し、飲み込むと俺に視線だけ向けた。
「技術部と検証してものにはなってる」
瞳が動き、腰に固定された魔具を見る。一見普通の本だが、何度も改造を繰り返した凶悪な代物だ。
件の魔法の再現も、思った以上に話が進んでいるようで内心驚いていた。
「一応使用許可は出てるしあとは実践で使うだけだな」
「使うような敵が出ないのが1番だけど」
「そりゃそうだ」
エドガーの口元が半分だけ上がり皮肉な笑みを浮かべる。強大な術式など、使わないに越したことはない。
「それにしても、本当に混んでるよな」
「聖誕祭前ってのもあるけど、元々観光地としても有名だから」
大通りには人々で溢れかえり、賑わいを見せていた。屋台にはどこも行列ができ、店舗には隙間なく人が詰め込まれている。
聖誕祭前であるためか、街の至る所に国花であり女神ヴァナディースを象徴するディアントスの花が飾られていた。聖誕祭用に彫像なども建てられ、これらを見るために世界中から観光客が訪れるという。教皇が国を治める宗教国家であるからそこ、聖誕祭は一大行事であり莫大な予算の元執り行われている。
こうしてみると、まるで違法術師事件など起こっていないような錯覚に陥ってしまいそうだ。
「聖誕祭って何やるんだ?」
「教皇の祝辞とか、儀式の再現とか、あとは聖歌隊の合唱とかだな」
「詳しいけど参加したことあんのか?」
「ないよ。俺も宗教に関心がある訳じゃないし」
「だろうな」
だろうな? エドガーの評価に引っかかりつつ歩いて行く。ふとエドガーを見ると、食べる手が止まり半分以上残っていた。
「昨日の……言いすぎたよな」
エドガーが小さい声で呟く。
「ちょっとな」
俺が答えるとエドガーは俯いた。今朝は特に変わった様子がないため、気にしていないと思ったがやはり昨日のことを考えていたようだ。
あの時は外野に揶揄され、頭に血が上っていたのだろう。だとしても他人の生き方に口を出すのはあまり良いとは言えない。
「次会ったら謝んねーとな……」
エドガーは前を向き言葉を零す。口は悪いが素直なのがエドガーの良い所だ。
「何見てんだ?」
「いや別に」
口元が緩んでいたため、指摘される前に残っていたピアーダを食べきり誤魔化す。弟がいたらこんな感じなのだろうか。しかし言わずに胸へ留めておく。同じ仕事をする以上、俺たちに歳など関係なく対等な関係であるべきだ。
***
空は藍に変わり、街灯には光が灯る。捜査に進展のないまま迎える三日目の夜。
内部の犯行である可能性も視野に入れ教会内を重点的に聞き込みを行ったが、相変わらず有益な情報は得られないまま。だが、各々が警戒しているためか二件目以降新たな殺人は起こっていない。
俺は大通り沿いにある飲食店の扉を押した。
暖色の明かりが照らす店内には穏やかな旋律が流れる。落ち着いた飴色の壁に合せた色の机と椅子。奥の壁には大通りの裏手に通じる窓が並んでいた。客はほぼ観光客と思われる。こうして人が集まる飲食店は何かと有益な情報を得られる事が多い。
入り口で店員に人数を伝えカウンター席を選択。と言っても俺一人だが。
教会関係者は夜間出歩かないようになっているが、俺は一応見回りと情報収集を兼ね動いている。マルティナも付いて行こうかと申し出たが断った。時間外の業務に付き合わせる訳には行かない。
カウンター席に座ると店主が俺を見た。視線は腰から下がる剣に向かう。
「酒は置いていないよ」
「分かってますよ」
俺は苦笑いを浮かべた。武装しているため、信者ではないのはすぐ分かる。メニューを指差し珈琲を注文した。
「ここにはなくても、ごく一部の店にはあるけどな」
おそらくそれはこの時期に集まる傭兵達のためだろう。聖職者達は酒も賭博もご法度。国民の多数が教会に連なるこの国では、荒くれ者達が好む娯楽はこの国に表立って置かれていない。店主は珈琲に湯を注ぎ蒸らしていく。
「お兄さんはもしかして噂の術師協会から来たって人かい?」
「はい」
「術師協会が来たんなら安心だ。なんせ聖誕祭の中止だけは避けたいからね」
目の前に注文していた飲み物が置かれた。黒色の液面には不可解な面持ちをした俺の顔が映る。
「それは危険を冒してまでしなければならない事なんでしょうか」
「外から見たらそう思うだろうね。でも、ヴァナディース様は皆の支えなんだよ」
こんなご時勢だ、と店主は呟く。俺はカップを傾け苦味と共に飲み込んだ。
女神ヴァナディース。彼女は人々に魔法の知識をもたらしたとされている。その教えは古の時代から語り継がれ、今や生活の基盤となっていた。
魔法は戦いに使うものだけではなく日常生活に用いられる事の方が多い。魔石の多くは加工され誰でも操作のできる生活魔具となる。俺達の生活は便利な生活魔具によって支えられ、魔法なしの生活など考えられない程だ。だからこそ、この女神は崇められ、世界宗教となっている。
「まあ、それだけじゃないけどな」
店主は親指と人差し指で丸を作って見せた。俺が苦笑いを浮かべると店主も笑う。
聖誕祭は多くの信者が訪れ、教会も警備のために傭兵を雇う。既に莫大な金額が動いており、ここで中断するのは誰にとっても良い結果にはならないのだろう。
「でも実際、皆はこの件についてどう思っているんでしょうか」
「そりゃ不安さ。大司教様が一人殺されてるんだ」
「……そうですよね」
思わず一間遅れて返答。一件目の事件は隠し通す気なのだろう。平然を装いもう一口珈琲を啜る。
カップを受け皿に戻した時、視界の隅で何かが動く。顔を向けるが店の中は特に変わりはない。気のせいだったか。前を向きなおす、が、窓の向こう、裏手に人が歩いているのを確かに見た。
立ち上がった勢いで椅子の前足が浮き、激しい音をたてながら戻っていく。店内の視線が俺に集中するがどうでもいい。今のは確かに彼だった。
「すいません、お釣りはいらないんで」
料金をカウンターに置き出口へ直行。店を出ると左右を確認し裏手に回れる道を探す。
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