剣と血の祝祭⑧
報告を受け、俺達は現場へと向かう。焦燥感からか皆自然と速足となっていた。教会内にはもう情報が広まっているのかすれ違う者達は皆不安気な顔を俺達に向ける。
ルークス教国で初めて訪れたその部屋の前には扉を挟んで二人の警備隊の男性が立っていた。俺達に気が付くと会釈する。
「状況は?」
「そのままにしてあります。じきに鑑識の術師も到着するでしょう」
「分かった。とりあえず現場を見せてもらっても?」
警備隊の男性は頷くと扉に手をかけた。
噎せ返るような血なまぐさい臭いに顔をしかめる。部屋が視界に入るなり喉から苦鳴が漏れた。そこには惨状が広がっていた。
真っ先に目に映るのは壁一面の血と所々に散らばる肉と骨と臓物の欠片。遺体の胴から下は肉挽機にかけられたように細切れにされており、残りの体は執務机の前にもたれかかっている。体から伸びる黄色や赤の内臓が床に伸び、異臭を放っていた。苦痛に歪んだ遺体の表情から察するに、生きたまま体を削られていったのだろう。
顔も損傷が酷い。殴打により内出血で余すことなく紫色に染まり倍に膨れ上がっている。目は潰れ、鼻骨は粉々に破壊されている。口に詰め込まれているのは、切断された自身の手だった。体を切り刻む際叫ばないようそうしたのか。口の膨らみから察するに奥までねじ込まれている。
この部屋にあるのは、アルトゥーロ大司教の惨殺死体だった。
俺達は言葉を失い立ち尽くしていた。俺の後ろに居たエドガーが小さな声で呻く。振り返ると青白い顔となっていた。俺が頷くのを見るとエドガーは踵を返し、小走りで部屋から出ていく。この惨状を見て吐き気を催すのも仕方ない。
彼の足音とすれ違う様に別の足音が近付いてくる。
「ここは立ち入り禁止ですよ」
「分かってる!」
エドガーと入れ替わりに現れたのはジョエルだった。部屋の前で警備隊に侵入を阻まれている。走ってきたためか息が切れていた。
「アルトゥーロが殺されたって……!」
ジョエルは部屋を見ると口元を押さえ後退する。無理もない。俺だってこんな光景、見ていたくない。
***
部屋を一通り記録し、一旦俺達は引き上げる。ジョエルも通常の業務に戻っていった。沈黙が支配する部屋は圧迫感が漂う。誰も話さず、ただ時計の針が進む音だけが響いていた。
この事件を任され五日目、ついに三人目の犠牲者が出てしまった。
仕事に抜かりはなかった、と言えば嘘になる。違法術師の襲撃もなく、容疑者を絞れるという場面において俺は油断していたのだ。
マルティナが大きなため息をつき、静寂を破る。
「まさかアルトゥーロ大司教まで殺されるなんてね」
その言葉は鉛のように重く、俺にのしかかってきた。彼女は責めているわけではない。彼女自身もこの結果に自責の念を抱いている。固く握られた拳がそれを物語っていた。
後悔してもしょうがない。俺達は、この話を進めなければならない。
「遺体の状態から犯行時刻は20時頃。現場の術痕は今照合中だ」
「調べたけど無理やり潜入された様子もないんだよね」
マルティナは当時の状況を振り返る。窓や扉も綺麗なまま。外に繋がるもの全て確認したが侵入した形跡や術痕も見られない。床も大司教の下半身を細切れにした魔法によって傷付いていたが、その他は荒らされていない。本当に殺すだけだったようだ。
エドガーが不可解な殺人現場を思い出し眉間を押さえる。
「犯人を招き入れたって事か?」
そう発言する彼の顔は未だに青い。あんな悪意に満ちた部屋を見た後だ、仕方がない。その前の死体の状態も酷かったが今回は特に激しく破壊されていた。
「それとしか考えられないけど、断定はできないよ」
マルティナは椅子の背に体重を預け思考に戻る。続く言葉を誰も発しない。
部屋は再び静寂が支配し、圧迫感が漂っていた。事件現場に残された術痕を照合するこの待ち時間は嫌いだ。何もできないため捜査が進まないことに対する焦りから罪悪感を抱いてしまう。壁に掛けられた聖女の絵画さえ俺達を責めているように見えた。重苦しい空気が肺を圧迫し、息苦しく感じる。
エドガーの指が机を叩く。視線は遠くを見つめ、口は堅く引き結ばれていた。彼も何か考えているようだが答えは生まれないらしい。
突如、机の隅に置かれていた通信機が甲高い音で鳴り出した。心臓が跳ねあがり、思わずそれを凝視する。
ヴィオラが手に取り端末を操作すると音は止まる。同時に通信機の上に映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのはグラウスの通信士、カティーナだった。
「皆さんお疲れ様です。えっと、大変でしたね」
俺達の状況を知るカティーナは微笑み労いの言葉を送る。この状況で彼女のいつもの笑顔を見ると少し安心を覚えた。正面でエドガーは「ほんとだよ」と小さく呟く。
「昨日ヴィオラさんから頼まれていたもの、分かりましたよ」
「助かるよ」
カティーナには前の被害者二人が過去在籍していたとされるクレセントール支部で、事件などなかったか調べて貰っていた。このタイミングで結果が分かるのはありがたい。
「ちょっと画面切り替えますね」
映像の中のカティーナが手を動かすと、一瞬画面が乱れ、映像が切り替わる。そこに映し出されていたのは何らかの資料だった。
「まず結論から言うと、あの教会で昔不正献金事件がありました」
資料を背景にカティーナの声が流れていく。皆表情を変えずそれを聞いていた。口にはしないが、何か事件があったのは分かりきっていたことだ。
彼女が提示する資料には信者達からの巨額の献金をめぐる事件の概要が書かれている。
教会の施設の建て直しに関して、信者達へ必要のない寄付を募りその金を着服した事件だ。信仰心を餌にした最悪の詐欺に気分が悪くなる。
「画像の通りこの人物一人のせいにされていますけど、これはおそらく不正の犯人に仕立て上げられていますね」
「どうしてそう思うんだ?」
「この人物は追放されたあと、不審死を遂げています」
淡々とした声で告げるがそれはとんでもない事実だった。ありふれた話だがまさかここでこの手の話題に遭遇するとは思わなかった。いや、神に仕える者の善性を信じていた俺が間違いなのかもしれない。教会も所詮人間が運営する組織なのだと思い知らされる。
「あと、被害者二人と同じ期間クレセントール支部に在籍し、今はルークスにいる者と言うことですが、該当する人物はこちらです」
画面には一人の人物が写し出される。ジュリオ・コンティ司教。白髪交じりの黒髪の男性だった。眼鏡の奥の青い瞳は柔和に微笑んでいる。誠実な人物に見えるがこうして名が挙がる以上、不正献金に関わっている可能性が高い。
「不正に関わっていたとしたらこの司教も殺されるかもしれないのか」
エドガーは先程の惨状を思い出しているのか、呟き顔を曇らせる。
「アルトゥーロ大司教は? この支部に在籍したことはないのかしら?」
「調べますね」
ヴィオラが聞くと画面の向こうからは端末を叩く音。しばらくして止まったかと思うとカティーナは悩ましげな声をあげる。
「うーん、残念ながらしていないようです」
「じゃあ前二人が殺されたのは偶然で過去の事件とこれは無関係って事?」
マルティナは唇に指を当て目を伏せる。三件目の殺人にしてそれまでの被害者と共通点がない。そうなると捜査もまた一からやり直しということが考えられた。それは、ここにきて一番の痛手となる。
「分かるのは司教以上を狙った犯行ってことになんのか?」
「でもアイクとジョエルだって襲われてるじゃん」
マルティナはそう発言したエドガーへ冷ややかな目を向けた。指摘されエドガーは唇をきつく結ぶ。「知ってるよ」と言うも、二人から新たな意見は出ない。
「……あの日、狙ったのはジョエルじゃなくて俺だったとか」
考えていたことを呟くと皆が一斉に俺を見た。
「どういうこと?」
「いや、ただ思っただけだよ」
マルティナは理解できないといった面持ちだった。
しかし俺はこの出来事について前々から小さな違和感を抱いていた。
「ジョエルを狙ったのならいくらでも俺をすり抜けて先に行けたはずだ」
こじ付けに近いが、どうしてもこれが引っかかっていた。オートマタに対して俺の実力は劣る。彼を殺したいなら俺に構わず先に行けばいい。だが彼らはそうしなかった。
「でもオートマタは俺に攻撃し続けた。俺が単独で動いてるうちに消しておきたかったからじゃないか?」
「そう言われるとそんな気もするけど」
マルティナは天井を仰ぎ、気がかりを残した表情をするも俺の意見に同意する。
「だとしたらアルトゥーロ大司教も何らかの理由で消されたって事も考えられるな」
エドガーが俺の意見に推測を重ねていく。決定的な事柄ではないため断言できないが、今の段階ではそう考えるしかない。
「とりあえず、このもう一人の司祭に会ってみよう」
席を立つと皆がそれに続いた。
これからの捜査を思い、憂鬱になりながら扉に手をかける。部屋の外には薄暗い廊下が続く。朝食の時間も終わり、それぞれの業務に着いているためそこには誰もいなかった。
起きてしまったことに後悔し続けても仕方がない。時間は戻らないし、待っていても犯人が名乗りをあげてくれる訳でもない。そんなことは分かっている。今やるべきことを確実に遂行することでしか俺達は許されないのだ。
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