剣と血の祝祭⑤

 木製の扉をくぐり、家の中へと足を踏み入れた。玄関からホールにかけて、壁には子供達が描いたであろう様々な絵が飾られている。中には子供が描いたジョエルらしき絵もあった。

 広いホールの中央には大きなテーブルがあり、その周りには使い古された玩具や本が散らばっている。何人かの子供は絨毯の敷かれた床で本を読んだり、人形で遊んだりしていた。


 ここはクローゼル孤児院、ジョエルの育った場所だ。


「散らかってて悪いね、適当に座って」


 エリノアはホールに隣接された台所で食器を出しながら言う。俺は一番端の席に腰かけた。子供達との遊びの疲れが残っているため座れるのはありがたかった。


「ありがとね、あの子達と遊んでくれて」


 台所の奥からエリノアがティーセットを持ちやってきた。テーブルにカップを並べ紅茶を注いでいく。


「大変だったでしょ?」

「いえ。それに元気なのは良いことですよ」


 俺が言うと、エリノアは微笑んだ。紅茶を注ぎ終え俺の前に置かれる。彼女は俺の前の席に座った。


「ジョエルがここの子以外と普通に話してるのは初めて見たよ」


 エリノアは嬉しそうに話始める。そして紅茶を飲む俺をまじまじと見つめた。顔には疑問の色。


「見た感じ、ここら辺の人じゃないよね?」

「聖誕祭のため術師協会から派遣されてきたんです」

「術師協会から……!」


 エリノアは驚くのと同時に奇異の目を向けた。俺はカップを置きいつものことに笑う。


「あんまりそうは見えませんよね」

「いや、見た目で判断したあたしが悪かったよ」


 ごめんね、と彼女は謝り言葉を続ける。


「でもこの国の外から来たんならジョエルが普通に喋ってるのも分かるよ」


 ジョエルを良く知るこの女性は、彼が教会内で孤立しているのはきっと知っているのだろう。彼女の寂しげな瞳がそう語っていた。


「ジョエルとはどこで知り合ったんだい?」

「彼は教会や街の案内とか、あと術師協会とここの窓口になってくれたりして、それで」

「あの子もちゃんと働いてるんだね」


 エリノアは安堵のため息をついた。俺はジョエルとの出会いを思い出して苦笑いとなる。

 出会ったのは一件目の殺人現場である礼拝堂。あろうことか彼は仕事をさぼりそこで昼寝をしていた。ルークス教国にしてまだ四日目だが、すでに懐かしさを覚える記憶となっている。


「ジョエルは子供達から慕われてる様ですね」

「皆の兄みたいなもんだからね」


 そう言って彼女は庭へと繋がる窓へ目を向けた。外からは子供達の無邪気な笑い声。それに混ざりジョエルの声も聞こえてくる。それは長閑で、幸せに満ち溢れた空間だった。


「ジョエルは昔からここの子以外に心を開かない子だったんだよ」


 エリノアは過去を思い出し、静かに語り始める。


「街の子から親がいないって言われて、よく喧嘩して帰ってきたっけ」


 彼女の言葉にジョエルが周りから投げかけられていた言葉を思い出す。それは彼の生まれを否定するものだった。昔からそのようなことを言われ続け、何をしてもその言葉がついてくると思うと周りと距離を置きたくなる気持ちもよく分かる。

 エリノアは視線を俺へと移した。


「あの子、教会じゃ浮いてるでしょ?」

「そんな……」


 何か言おうと口を開くも、気の利いた言葉など思いつかず詰まってしまう。否定しようとしたのもジョエルを思う彼女を心配させたくない、そう思ってしまったから。その結果中途半端になってしまい後悔した。エリノアはそんな俺の気持ちを汲んだのか「いいんだよ」と微笑んだ。


「あの子は今の生活について全然話さないけど分かるよ。生まれてすぐ引き取って、それからずっと一緒だったからね」


 だからこそエリノアは何も言うことができない。それは彼への悲しい理解だった。


「確か、本人は教会に引き抜かれたって言ってましたね」

「そんなことまで話したんだね」


 嬉しそうにエリノアは笑った。


「そう、アルトゥーロ大司教様がここの孤児院を支援したいと言って下さりそうなったんだ」


 アルトゥーロ大司教、この事件の担当者ではあるが会ったのは最初きりだ。人の良さそうな印象なのはよく覚えている。神学校からとなると大司教とジョエルはそんなに長い付き合いなのか。次に彼女の瞳はこの部屋へと向けられる。視線に気が付いた子供が不思議そうに俺達を見た。エリノアが「なんでもないよ」と言うと首を傾げるも遊びに戻っていった。


「ここじゃ教育も限られるでしょ? 神学校なら術師資格も取れるし申し出を受け入れたの」


 でも、と呟き顔を曇らせた。


「それが間違いだったんじゃないかって今は思うんだ」


 エリノアは後悔の滲む表情で天上を仰いだ。


「神学校の寮に入って初めての長期休暇で帰ってきた時、あの子、あたしに泣きついてきたんだよ」


 当時のことを思い出し彼女は笑う。ジョエルにもそんな時代があったのか。ここ数日の彼からは想像できない姿だった。

 顔を俺へと戻した彼女の瞳は深い悲しみの色に染まる。


「それから泣くことはなかったけど、ずっと辛そうだった。今もそう」


 机の上で組まれた手に力が入った。顔を伏せ、彼女は戻らない時への後悔を吐露していく。


「あの子の幸せを思って、幸せになってほしくて送り出したけどそれが正しかったのか分からない」

「術師資格さえ持っていれば就職先も広がります。あなたの選択は客観的見れば間違っていない」


 俺が言うとエリノアは顔を上げ、ありがとね、と力なく笑った。彼女の思いは正しかった。支援によって高等教育を受けられるのならその方が良いに決まっている。


「まあそんな事もあって、この前大司教様がまた支援したいって申し出てきてくれたけど悩んでてね」


 彼女の呟きに答えは出ない。不安なのだろう。いくら血が繋がっていなくとも、彼女が子供達に向ける愛情は確かなものだ。愛する子供達が不幸になる道など避けたいに決まっている。


「ごめんね、初対面の人にこんな事話して」

「いえ、お気になさらず。初対面だからこそ話せる事もありますし」

「そうだね、ここの子たちにこんな話できないよ」


 そう言って笑うエリノアの顔には、出会った頃の笑顔が戻っていた。


 子供達には神学校に関わらず、数多の不幸や困難が待ち構えているだろう。それが孤児であるというのなら猶更。変えられない生まれは一生彼らに付きまとう。

 どうか彼らが納得できる道が見つからないものか。神に対する信仰心は薄いが、この時ばかりはそう祈ってしまう。彼らとは先程出会ったばかりだが、子供の悲しむ顔など誰だって見たくない。


 玄関が開き、先程よりさらに疲れた顔のジョエルが入ってきた。前を歩く二人の子供は彼とは反対に満足気な笑みを浮かべている。ジョエルはエリノアを見た。


「そろそろ帰るから。こいつも仕事の途中らしいし」

「えー! もう帰っちゃうの?」


 子供は大きな声で不満をもらす。その声を聞き、ジョエルが帰ってしまうと気が付いた子供達が遊びを投げ出して彼の元へと集まってきた。


「もっとあそぼうよ!」

「私、まだあそんでないよ」

「つぎは鬼ごっこっていったじゃん!」


 それぞれが彼を引き留め場の収集がつかなくなる。ジョエルはしゃがみ、子供達に目線を合わせた。


「また来るかな、な?」


 そう言ってジョエルは優しく微笑んだ。彼に諭され、子供達は少しずつ静かになっていく。


「ぜったいだからね!」


 はいはい、と相槌を打ちつつジョエルは立ち上がると一番前にいた子供を反対側に向かせ背中を押した。子供は顔をこちらに向け「ぜったいだよ!」と念押ししホールへと走って行った。


「で、お前は何話してたんだ?」

「別に大した話じゃないよ。ジョエルの小さい頃の話とか」


 俺の言葉を聞き、ジョエルはエリノアを睨む。彼女は悪びれる様子もなく笑っていた。


「あと、さっきアルトゥーロって聞こえたけど」

「アルトゥーロ大司教様、だろ。まったく」


 上司である大司教を呼び捨てにするジョエルにエリノアは深いため息をつく。


「またここの子を支援したいって話だよ」


 その言葉にジョエルの顔が強張る。それは一瞬ですぐに元の表情に戻っていた。


「……じゃ、近いうちにまた来るから」


 エリノアの言葉に対して彼は何も答えない。聞こえていたはずだがわざとだろうか。


「体には気を付けるんだよ」


 彼女は笑顔を浮かべているものの、その顔にはどこか寂しげな影が落ちていた。俺との会話もあり、ただ見送るのは心苦しさがあるのだろう。

 エリノアや子供達に見送られ、俺達は孤児院を後にした。

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