女神の御許③

 ヴァナディース教会の本拠地であるここは、まるで一つの街のようだった。

 中央の大聖堂の元には庭園が広がり、そこにいくつかの礼拝堂が点在する。大聖堂の裏手には修道者達が暮らす宿舎や神学校が建ち、さらにその後ろには高い木の生い茂る森となっていた。


 そんな教会内部で俺達は道に迷っていた。


「本当にこっちで良かったのか?」


 エドガーが不満をこぼす。それもそのはず。修道女に示された道は閑散としており人一人見かけない。


「エドガーだって一緒に聞いてただろ」


 俺の言葉に「そうだけど」と同意するも表情は変わらない。確かにあの時全員が聞いていた。もしかしたら修道女が道を間違えていた可能性もある。だが、今更どうこう言っても仕方がない。


「とりあえず知ってそうな人にもう一度聞くか」

「そんな奴どこにいるんだよ」


 エドガーの指摘に黙る他ない。再度辺りを見渡すもやはり人影さえ見えなかった。諦めて前を向くと、目の前に細い腕が伸びてくる。


「あそこ」


 ヴィオラの指が前方を指していた。指先を追うと、木々に隠れよく見えなったが礼拝堂がひっそりと建っている。エドガー、マルティナの方を向くとそれぞれ首を縦に振った。


「人、いるかな」


 木製の扉の前で祈る様に呟く。礼拝堂からは物音一つしなかった。一応ノックをしてみるが反応もない。若干気落ちしつつ、両開きの扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。そのまま扉を前に押す。

 入った瞬間、冷たい風が顔に当たった。広い礼拝堂内は信徒用の長椅子が規則的に並ぶ。正面には教会の象徴であるヴァナディース像が佇んでいた。左右の窓はステンドグラスとなっており、それぞれ天使が描かれていた。

 無機質な靴の音が横を通り過ぎて行く。通路の中央まで進んだマルティナが踵を返し、肩をすくめた。


「ハズレみたい」

「大人しく正門に戻るか」


 予想していた事だった。早く引き返し、日が傾く前に担当の大司祭に会わなければならない。

 しかし何故この辺りはこんなにも人が少ないのだろうか。町は聖誕祭前の賑わいを見せていた。ならば教会もと考えたがどうやら違うようだ。


「ちょっと待て」


 扉の持ち手に触れた時、エドガーが俺の服の裾を掴み引き止める。


「あれ……」


 振り返ると血の気の引いた顔でエドガーが礼拝堂の奥を見ていた。エドガーの示す方向、礼拝堂の最前列、順番に視線を移していく。そしてその壁側、長椅子から僅かにつま先が見えた。思わず息を呑む。同時にカティーナから聞いた違法術師事件の概要が脳裏を過ぎっていった。


「俺が行く」


 皆を待機させ、静かに最前列へ歩みを進める。


 長椅子には一人の青年が仰向けに横たわっていた。服装から見るに助祭だろうか。顔は半分に開いた聖書が被さっており分からない。

 死体、かと思ったが僅かに胸郭が動いている。緊張がとけ短く息を吐いた。後ろを向き、腕を上げ大丈夫と合図を送る。


「えっと」


 生きていると安心したもののどうしたものか。起こして良いのだろうか。いや、こんな所で寝ている方がおかしい。


「すいません」


 とりあえず声をかけてみる。だが起きない。仕方ないと、青年の体へと手を伸ばす。肩に触れようとした所で青年の手が動き、顔を覆っていた聖書をずらした。宝石のような琥珀色の瞳がこちらを見る。


「なんだよ……」


 助祭は不満気な声を上げる。だが俺と目が合うとその顔が凍りついた。


 数秒の間。

 やっと俺達を認識したのか飛び起きる。聖書は派手な音を立て床に落ちていった。一度咳払いをするとこちらへ向きなおす。


「現在ここは使用されていませんがどうかしましたか?」


 青年はそう言い微笑む。何故寝ていたのか、そんな疑問はこの青年の美貌を前に忘れていた。

 寝ていたためかやや乱れた髪は烏の濡れ羽のように艶やかで、長い睫毛に縁取られた瞳は見る者を引き込む深い輝きを放つ。顔の中央には細く高い鼻筋、その下に小さな口。全てが完璧な比率でもたらされたその顔立ちは彫刻のようで、滑らかな肌は透き通るように白い。彼はまるで神話の中から現れたかのような、現実離れした美しさを持っていた。


「あなたこそ、なんでこんな所に?」


 俺は一間遅れて口を開く。青年の笑みは崩れない。


「ここの清掃を任されていまして。それが何か?」


 あくまで寝ていた件は誤魔化すつもりなのだろうか。だが時間も押しているため、わざわざ追及する気もない。道を聞いてさっさと出てしまおう。

 質問しようと青年を見ると、今度は彼が俺達をまじまじと見ていた。


「もしかして礼拝に来た方ではないのですか?」

「俺達は違法術師の件で派遣されてきた者で……」


 答えると青年は俺を一瞥する。その後口に手を当て何か考え始めた。彼の美貌の前では、その姿も名手の手がけた絵画の様だ。


「……なんだ、猫被って損した」


 思考を終えた青年が呟く。先程と口調が変わったかと思えば、青年は長椅子に座り足を組む。


「お前ら、あの殺人事件調べに来たのかよ」


 先程床に落とした聖書を拾い埃を払う。叩くたびに砂埃が舞った。おそらく掃除を任されたというのは嘘だったのだろう。

 そんな些細なことより、今は目の前の人物の態度の変化にただ驚いていた。先程の神秘的な雰囲気は俺達が信徒でも観光客でもないと分かると一転。今いるのは、ただ顔が整っているだけの気だるげで不真面目な青年だった。

 昼寝を邪魔された青年は怪訝な顔をこちらに向ける。


「で? なんでわざわざこんな使ってない所に?」

「俺達は道に迷って……」

「迷う? そんな奴らが捜査できんのか?」


 俺達を揶揄するかのように口角を上げ表情を歪めた。


「そっちこそ教会の人間でしょ。こんな所にいていいの?」

「だからわざわざこんな所に来てサボってんだろ」


 マルティナの問いに青年は心底呆れる。妙に返答が噛み合わないが、ここら一帯に人気が無いのと関係しているのだろうか。


「そもそも、迷ったってどこ行きたかったんだよ」

「この事件を担当してるアルトゥーロ大司教を探してるんだけど」


 俺が答えると、一瞬だが青年の顔が強張る。

 長いため息を付くと無言で立ち上がった。そしてそのまま俺の前を通り過ぎて行く。数歩進んだところで振り返り、苛立った口調で口を開いた。


「そいつに会いに来たんだろ。案内してやるから早く付いて来いよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る