約束(1)


結婚式の翌日である今日、皇宮の謁見の間では、皇女夫妻へのお祝いの挨拶をするべく沢山の貴族が訪れていた。


そのほとんどは結婚式への参列が許されなかった中流以下の貴族で、噂の皇女夫妻がどのような人物なのかを一目見るべく、煌びやかな贈り物を用意し、馳せ参じていた。


「──私はジョルジュ家当主代理で参りました。長男のフォーソンにございます。この度はご成婚おめでとうございます」


中流貴族の筆頭であった、ジョルジュ子爵家の長男は、短い階段の上にある椅子に腰掛けている皇女夫妻に深く首を垂れた。しかしその下では、皇女が選んだ夫が隣国の第二王子であることを馬鹿にしていた。


献上した贈り物を、近くにいる側近が皇女夫妻の目の前へと運び、何を贈られたのか簡潔に伝えている。それを聞いた皇女は天使のような微笑みを浮かべ、お礼を伝えるとともに顔を上げるよう子息に声を掛けた。


畏れ多くも、子息は顔を上げて、その先に飛び込んできたものを見て目を見張った。


皇女クローディアが天女の如く美しいのは、この国で生まれた人間ならば誰もが知っている。だが、その隣に座る夫君ヴァレリアンも、目が眩むくらいに美しい青年だったのだ。


「──羽のように柔らかな手触りで、暖かいですね。孤児院の子どもたちに寄付してもいいでしょうか?」


「は、はい、それはもちろん──って、え、寄付……?」


皇女の夫に見惚れていた子息は、にっこりと笑っているヴァレリアンとその手元にある羽毛の織り物を交互に見て、目を白黒とさせた。


これはジョルジュ子爵領で生産しているもので、国外でも高値で取引されている高級な品だ。此度は結婚祝いのために、贅沢な一級品を作り上げ、贈ったというのに──皇女の夫は孤児院に寄付がしたいという。


それを断る権利も術もなかった子息は、ふらふらと謁見の間を後にした。


そんな子息を遠目から眺めていた麗しい貴公子は、秋の花束を手に、堂々とした足取りで皇女夫妻の下へと進み出た。


「──オルシェ公爵家次期当主、ベルンハルト殿の御成ー!!」


久しく会っていなかった従兄の名を聞いたクローディアは、菫色の瞳をふわりと和らげた。


肩の辺りで切り揃えられている銀色の髪が、風で波打つように靡く。帝国の名門貴族・オルシェ公爵家が代々受け継いできた灰色の瞳は、美しき皇女夫妻へと真っ直ぐに注がれ、陽の光を受けて強く煌めいていた。


迷いのない足取りで夫妻の下へと着いた青年は優雅にお辞儀をすると、皇女には手の甲にキスを、その夫君の手は自身の額にそっと着けると、眩しい笑顔を飾った。


「お初にお目にかかります、ヴァレリアン殿下。ベルンハルト=オルシェと申します」


「お会いできて嬉しいです。ベルンハルト公子」


リアンは公子と軽く握手をすると、ふわりと微笑み返した。 


ベルンハルト公子のことは勿論知っていた。帝国で一、ニを争う名門貴族・オルシェ公爵家の次期当主であり、クローディアとエレノスのいとこ。直接会ったことはなかったが、その父親であるラインハルトとは、王国とオルシェ公爵領が隣接していることもあり、何度か公の場で会ったことがあった。


少女と見間違える美貌と、陽だまりのような笑顔。人々から愛されている、クローディアの夫候補だった青年。リアンはつい見入ってしまった。


「ふふ、似てますか? 僕と皇女殿下は」 


そんなリアンを見て、ベルンハルトはくすくすと笑う。


「……ええ、似ています。兄妹だと言われても信じてしまうくらいに」


「小さい頃はよく言われましたよ。僕と皇女殿下は兄妹同然だったので」


そう言って、ベルンハルトはリアンからクローディアへと視線を移すと、懐かしいものを見るかのように目を細めた。


「季節病でお祝いの席を欠席してしまい、申し訳ありませんでした。……結婚おめでとう、クローディア」


クローディアは緩々と首を横に振った後、ベルンハルトから差し出された花束を受け取った。


既にオルシェ公爵家からは山のように贈り物を頂いているが、これはベルンハルトからの個人的なお祝いなのだろう。


クローディアは「ありがとう」と言うと、花束に顔を埋めて頬を綻ばせた。


「ベルはリアンと同じ歳なのよ」


「…ということは、今年で十七?」


「ええ。二人とも私の一つ上なのね」


ひとつもふたつも変わらないよとベルンハルトは笑う。つられるように笑っているクローディアを見て、リアンも唇を綻ばせた。


「いつでも呼んでくださいね、ヴァレリアン殿下。領地からすっ飛んで来ますから」


「──それを口実に勉強をさぼらぬように。ラインハルトが怒るぞ」


突如として響き渡ったのは、この場にいるはずのない人間で。


凛とした──けれども低くて落ち着くその声に、一同は声がした方を振り返る。


「……ルヴェルグ兄様!」


現れたのはルヴェルグだった。公務の途中で抜け出してきたのか、皇帝の証でもある紫色のロングマントと紋章の指輪を嵌めている。


ルヴェルグは堂々とした足運びでクローディアとリアンが座る椅子の横に立つと、片膝をついたベルンハルトを穏やかな眼差しで見下ろした。


「ベルンハルト公子が来ていると聞いたから、顔を見に来たんだ。…元気そうで安心したぞ」


「嬉しいです。陛下自ら会いに来てくださるなんて」


「そなたは我らの家族同然なのだから、当然のことだ」


皇帝と忠臣の子息の会話というより、まるで家族がするような会話が広がる。笑みを浮かべながら聞いていたリアンだったが、時間が経つにつれて瞬きの回数が多くなっていった。


「末の弟君は元気か? 最後に会ったのは歩き始めた頃だったのだが、もう走り回っているか?」


「ええ、それはもう元気に。お話ができるようになりましたよ」


「近いうちに連れてきてくれ。…ラインハルトの奴め、何を聞いても“元気ですよ”としか言わないうえ、頼んでも連れてきてくれないからな」


「ふふ、父は過保護なので。今度僕が連れてきますね」


どうやらベルンハルトには何人か兄弟がいるらしい。話の内容から、一番下の兄弟はまだ幼いことが伺える。歳の離れた兄弟がいることに驚いたが、リアンにはそれ以上にびっくりしたことがあった。


それは、蕩けるような優しい微笑みを浮かべているルヴェルグの姿だ。


(ルヴェルグ皇帝陛下って、こんな風に笑う人だったんだ)


リアンは自分の知るルヴェルグと、目の前で笑っている義兄の姿を頭に浮かべ、首を傾げた。


帝国の皇帝──ルヴェルグ一世という人間は、何十年も続いていた大陸全土の戦争に終止符を打った人物だ。全てを消し去るような眩い金の髪を靡かせながら、自ら剣を手に取り戦場の前線を駆け抜けていた戦士でもあったと聞いている。


威風堂々とした、稀代の皇帝。どの国でもそう語られているルヴェルグは、近づき難い人なのだと思っていた。


だが、実際は違っていた。


「お転婆娘のメルリアナは元気か?」


「妹も元気にしていますよ。ファーストダンスは陛下と踊るんだって言って聞かなくて、両親を困らせています」


「それは光栄だ。私でよければ喜んでお受けしよう」


「もう、陛下ったら」


リアンの目の前にいるルヴェルグは、ベルンハルトと家族の話をしながら優しく笑っている。冷酷な覇王だと聞いていたが、とてもそんな人には見えない。


「リアン、どうしたの?」


隣に座るクローディアが、心配そうな面持ちで顔を覗き込んできた。リアンは前を見据えたまま、ゆっくりと唇を開く。


「…いや、俺が聞いていた皇帝陛下とは、随分印象が違うから……驚いてた」


リアンの言葉に、クローディアはふふっと淑やかに笑う。


「ルヴェルグ兄様はおっかないように見えて、本当は優しい人なのよ。子供が大好きで、月に一度お忍びで街へ出て、お菓子を配りに行っているもの」


他にも、国の子供のために新しい行事を考えていたり、動物の保護活動を密かにしているという。


噂はひとり歩きすると言うが、ここまで異なっているとなると、最早意図的に流されたものではないかと思ってしまう。


「……目の前にいる人が、戦争を終わらせた覇王か」


「ええ。それは確かなことよ」


リアンは剣ではなく、農具を握ってきたことにより荒れている手を握りしめながら、ルヴェルグへと目を向ける。


約四年前に終結した大陸全土が巻き込まれた大戦の時、リアンはまだ十三歳で、王宮の隅で隠れるように生きていた子供だった。


外で戦が起きていたことは知っていた。けれど、どの国が始めたのか、どれくらいの規模なのか、誰が悪くて誰が悪くないのか、何人が死んだのか、自国の状況はどうなっているのか、何一つ分からなかった。


だが、ただ一つだけ分かっていたことがある。それは、王国の西隣にある帝国の新皇帝が革新的な戦術を用いて、大陸の西側から攻めてきた国々を次々と制圧し、勝利したということ。


それにより、戦に怯えていた王国は、戦わずして国の平和と民の命を守れたのだ。


(……なのに、なんで…)


リアンは無意識に俯きながら、考え事をし始めた。


王国は覇王の国となった帝国の機嫌を取り、友好的に付き合っていこうと国王は考えているというのに、何故王太子であるフェルナンドは帝国を怒らせるようなことをしようとしていたのだろうか。


帝国の唯一の皇女であり、皇帝の妹であるクローディアにあのような暴行紛いなことをしておいて、万が一皇帝に露見したらどうなるかなど考えなかったのだろうか。



──もしも、フェルナンドが信ずる神が、神ではなく、ただの悪しき人なのだとしたら。


一体何を企んで、フェルナンドとクローディアが番となる運命であるなどと告げたのだろうか。


リアンは頭がズキズキと痛むのを感じながら、隣で笑っている形だけの妻の手をそっと握った。

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